九州支店では全社員が一丸となり,熊本地震への対応に邁進してきた。
震災から2ヵ月超が経過した6月23日,陣頭指揮を執る河野九州支店長と,
最前線で応急復旧活動に尽力した担当者たちが集い,
これまでの対応について議論を交わすとともに,本格復旧へ向け結束を新たにした。
平成28年熊本地震の特徴
支店長 座談会を開催するにあたり,この場をお借りして,平成28年熊本地震により被災された方々に,謹んでお見舞いを申し上げたいと思います。そして,この2ヵ月間,被災地の復旧のために,昼夜を問わず全力で取り組んでいただいた社員,協力会社の皆さんには,心より感謝申し上げます。髙橋所長も,前震・本震と呼ばれる2度の地震を経験されていますが,ご家族は大丈夫だったのでしょうか。
髙橋 4月14日(木)21時26分に起きた前震の際は,熊本市中央区の自宅にいました。いきなりドーンと下から突き上げるような揺れで,揺れ自体は短かったです。私の家は,家財などの転倒もなく家族も無事でしたが,これは尋常ではないと感じました。すぐに約1km離れた営業所へ車で向かいました。営業所内は,机上のパソコンや書類,棚の上のファイルなどが全て落ちて散乱している状態でしたが,建物に支障はありませんでした。ひたすら,29名いる社員の安否確認の電話をかけ続けました。
支店長 前震の際,私はあいにく岡山に出張中でした。各部署が連携して,初動対応にあたっていただいたわけですが,当時の九州支店の状況はどうだったのでしょうか。
田川 支店のある福岡市博多区は,震度4の揺れでした。皆,テレビなどで熊本の事態を聞きつけ,発災直後から支店幹部・各部署長他が支店に集まり,震災対策本部を立ち上げました。現地の髙橋所長の電話による安否確認と社員各自が携帯電話などから「従業員安否システム」へ登録したことにより,23時15分には熊本県下に居住する社員本人・家族全員の無事が確認できました。
支店長 早急に社員の安否を確認できたので,私も安心しました。
田川 前震の時点では,建築は現場・得意先ともに特に大きな被害は確認されず,15日夕方には落ち着きを見せていたのです。
石井 土木の方は14日23時30分頃に,「熊本高架熊本駅部新設JV工事」の現場から,JR在来線駅に大きな被害はないとの連絡が入りました。その旨を営業部(土木)の山田徹営業部長が九州旅客鉄道(JR九州)へ電話報告したところ,九州新幹線脱線によるクレーン要請を受けたのです。
支店長 あれはすごいタイミングでした。我々も,何かお手伝いできることはないかという思いで連絡を差し上げたわけですから,お役に立てて本当によかったです。
石井 そうですね。日付が変わる頃には,山田営業部長と古賀健一土木部長がタクシーで現地へ向かいました。車中でクレーン業者をあたり,運よく熊本市内で作業を終えたばかりの220tクレーンを探し当てることができました。15日早朝から1日がかりで,JR九州の関係者と新幹線の脱線状況の調査,撤去方法の検討を行いました。
支店長 そして,その夜の4月16日(土)1時25分,本震が来たわけですね。
石井 山田営業部長の話では,電線がショートして火花が散ったと同時に停電になり,街中が真っ暗になったそうです。宿泊していた営業所近くのビジネスホテルではロビーのガラスが割れる音がして,建物倒壊の恐れを感じ慌てて荷物を持って外へ出ると,電柱や電線が波打ち,方々から悲鳴が響きわたっていたようです。営業所に行って皆の顔を見た時の安堵感は,忘れられないと話していました。
熊本式初動体制の確立
支店長 本震により,事態は大きく変わりました。いち早く熊本営業所の体制を整え,顧客の応急復旧対応にあたれるよう,まずは支店内の人事に精通する田川建築工事管理部長(工管部長)と石井土木工事管理部長(工管部長)に現地入りしてもらうことが最善と考えました。
髙橋 今回の地震は,甚大な被害が熊本に集中していたため,九州全域から社員や作業員を派遣することが可能でした。施工系社員をよく知る土建の工管部長が現地でリアルタイムに状況を把握し,適切な人材を派遣できたことは大きかったです。
田川 私と石井工管部長は,16日の7時過ぎに,別々の車で支援物資を積んで現地に向かいました。高速は渋滞が予想され6時間位は覚悟していたのですが,意外とスムーズに流れ,通常1.5時間程のところを3時間弱で熊本に着きました。発災が週末だったこともあり,客先対応が本格化したのは週明けでしたので,現状を把握する準備ができたことがよかったです。髙橋所長のところに集まってくる客先からの要望に対し,技能,スケジュールに適した社員の派遣,作業員,資機材の手配などをこなしていきました。
支店長 派遣要員が来ると,宿泊先の手配などが大変だったと思います。
髙橋 周辺ホテルは全く営業しておらず,賃貸アパートも不動産屋が閉まっている状態でしたので非常に苦労しました。片っ端からタウンページを見て電話をし,支店にも探してもらって,民宿とアパートを22ヵ所確保することができました。事務系社員の活躍は大きかったです。
田川 応援の社員は,熊本県内に家のある人間を優先に集めました。単身赴任で家族の様子がわからないのは不安ですし,自宅に泊まってもらえれば,その分,宿を別の人間に回せます。
髙橋 社員や作業員の中には,避難所から現場に通っていた人もいました。仕事は任務としてやらなければならないし,家族も守らなくてはいけない。その狭間ですごく悩まれている方が多かったと思います。勤務を交代制にするなどして配慮はしていましたが,大変だったと思います。
田川 水の確保にも苦労していましたよね。飲み水は支店からすぐ支援物資が来ましたが,トイレの水が大変でした。
髙橋 熊本県内の建築現場に散水車があったことが頭に浮かび,現場の所長と相談して水を運ぶことができました。川に行って散水車を満タンにしては,営業所のタンクに入れ替えて,トイレ用の水として使用しました。
支店長 皆さんの苦労や工夫が伝わってきます。本当によく頑張っていただきました。こうして振り返りますと,早期に初動体制を整え,応急復旧対応へ移れたことは大きかったです。それは,営業所の建物に被害がなく機能が存続できたこと。そして社員の安否確認が迅速に完了できたからです。「従業員安否システム」の有効性と,年に2回行われる登録訓練の成果を実感しましたね。
田川 今回の地震では,水道とガスは数日ストップしましたが,電気と通信は,ほぼつながっていたことが救いでした。テレビ会議は大変有効で,出先からでも営業所や支店,本社の関係部署と会議ができたので,時間を有効に使うことができました。各県を結ぶ幹線道路が寸断されなかったのも,物資の輸送面では大きかったと思います。
支店長 今後,ライフラインが全て寸断された時のことを考慮した非常時の対策は,営業所単位でも整備していくことが必要かもしれないですね。
交通インフラの応急復旧対応
支店長 土木は交通インフラの応急復旧という重要な任務がありました。
石井 前震の時点ではJR九州の九州新幹線脱線車両の撤去対応のみだったのですが,本震後,西日本高速道路(NEXCO西日本)から日本建設業連合会(日建連)を通じ九州自動車道の復旧工事の対応要請があり,当社は九州自動車道熊本インターチェンジの料金所撤去工事を担当しました。私は,16日夜からこの現場対応にあたりました。
支店長 大菅所長には九州新幹線脱線復旧工事の現場代理人として現地を取り仕切ってもらいましたね。
石井 豊富な鉄道工事の経験をもつ大菅所長が適任だと判断しました。
大菅 この工事は,前震の際に脱線した九州新幹線回送電車の車両を撤去する作業でした。GW前の開通を目指していたため,時間の猶予がありませんでした。私は,現在担当している西鉄春日原JV工事の地震後の対応がありましたので,18日から現地入りとなりました。その間,先程お話にありました山田営業部長が中心となって,JR九州と施工法の検討を進めていただきました。
支店長 施工法の検討では様々な議論が交わされたと聞いていますが,どのような施工法が採用されたのですか。
大菅 当初,リフターと呼ばれる特殊な門型機械を使う方法を検討しましたが,橋の床版の厚さと荷重の関係で断念しました。最終的にはJR九州が車両をジャッキアップして載線し,ジャッキを使うと危険と判断される車両を当社が大型クレーンで揚重・載線させるという方法が採用されました。また,ジャッキでの載線作業には,JR東海の技術的な支援にも助けられました。
支店長 14日に手配した220tのクレーンは,資機材の搬入用として使われましたね。
大菅 そうです。15日から順次,床版の調査・補修,資機材の搬入,揚重作業の綿密な検討を繰り返しました。6両目と5両目の後部を吊り上げることが決まって,狭いエリアに入る最大のクレーンが450tでした。4月23日,脱線車両の揚重作業が実施され,無事車両撤去が完了し,4月27日に九州新幹線が開通しました。
支店長 マスコミも注目した応急復旧作業でしたし,これまでに経験のない工事だっただけに苦労も多かったことでしょう。
大菅 幸い,いま担当している現場が大型クレーンで資材を吊る作業や軌道の上に機械を載せる作業の頻度が多かったので,その経験が活かされました。
支店長 NEXCO西日本の九州自動車道開通は,GWが始まる4月29日でしたね。熊本インターチェンジの料金所撤去工事は,27日には無事作業を完了させ引き渡しすることができました。
石井 この工事は,破損した料金所のトールゲートの屋根や支柱を撤去する作業でした。延べ444人の社員・作業員を投入し,24時間体制で作業を実施しました。余震が頻発する中,足場や支保工の設置作業や屋根の上での作業が必要でした。本震で構造物が傷んでいますから,二次災害が発生しないよう安全管理には非常に神経を使いました。
大菅 九州新幹線の工事でも,クレーンで車両を揚重する際には緊張が走りました。東日本大震災の時に,脱線した車両が転倒しないよう門型に補強していた話を聞いていたので,余震による転倒防止のためにJR九州の方へ提案したところ,採用していただけました。
支店長 それはJR九州にも感謝されましたね。二次災害は絶対に起きてはならない事故です。
田川 建築でも,外壁が落下する可能性がある建物は,緊急に足場を組んで欲しいというお客さまも多かったので,余震には非常に気を使いました。
本社・支店間との連携
支店長 建築の応急復旧対応で特徴的なことはありましたか。
田川 建築は,GW中に既存建物の構造調査と応急復旧対応がほぼ完了しました。応急復旧対応では,お客さまの早期事業再開に向け業種ごとに様々な要望がありました。例えば,生産施設では,一刻も早い製造再開のためにクリーンルームの稼働を急がれているお客さま,コールセンターの再開を一番に着手するお客さまもいらっしゃいました。ショッピングセンターは,被災地の方々のために食料品売り場だけでもオープンしたいということで,GW前の1週間で応急復旧対応を完了させました。
髙橋 宿泊施設は,宴会場を早くオープンしたいという要望が多かったですね。被災者や他自治体の応援者・対策会議等の受入れなどが目的です。個室より多くの収容人数をまかなえるからです。結婚式の予約に対応したいという要望もありましたね。
田川 構造調査の方では,お客さまから応急危険度判定の依頼がかなりありました。支店には構造設計者が5名程しかいないため,建築設計本部から3名派遣していただきました。構造設計者に「大丈夫です」と診断されると安心感が生まれるのでしょう。お客さまの安堵した顔が印象的でした。
支店長 GW明けからは本格復旧工事に向けて,建築管理本部には他支店からの派遣要員の人選に尽力いただいていますね。
田川 そうなんです。こちらからの無理な要望にも迅速に対応いただき,現在他支店から常時15名前後の社員が来て施工管理を担当しています。
支店長 各支店からエース級の中堅社員を送り込んでもらい,当社の豊富な人材に驚くと同時に,社員間の刺激にもなっていると思います。
石井 阿蘇大橋地区の地滑り調査をはじめ各種構造物の被災度調査や補修対応の検討についても,土木管理本部や技術研究所にご協力いただきました。
支店長 本社をはじめ各支店には,支援物資をはじめ多大なるご支援をいただきました。数多くの支店長から即電話で励ましと協力の言葉をいただき,東北支店長からの経験にもとづく助言は大変参考になりました。有事の際の結束力は大きな力を発揮するということを,身をもって経験した気がします。
記録を残すことの重要性
田川 今回,東北支店で東日本大震災後にまとめられた資料が非常に役に立ちました。技術的資料をはじめ,お客さまへの対応や文書の提出方法,説明資料の事例,被災度判定のマーク対応等々,東北での経験がぎっしり詰まった資料でした。
大菅 土木でも,東日本大震災の様々な復旧対応事例がまとめてありまして,JR東日本での復旧事例をJR九州に説明したところ,「うちもこれに倣おう」と採用いただきました。経験から生まれた技術は信頼度が高いのです。
田川 初動・応急復旧・本格復旧の流れの中で,何をやるべきか書かれた資料もありました。そのおかげで,常に前倒しで準備・対応することができたと思います。
支店長 これは,鹿島にとっての財産といえます。我々が今回の経験を正しく記録として残すことも,大きな使命のひとつといえます。
熊本再生に向けて
支店長 土木・建築ともに本格復旧への対応が始まりつつあります。
石井 現在,土木の方は徐行運転中の九州新幹線・熊本―新八代間の7月4日通常運転再開を目標に補修作業を行っていますし,俵山トンネルの復旧工事も始まります(座談会開催時)。
髙橋 一方,益城町を中心とした個人家屋の対応については,様々な課題が山積していると思いますし,阿蘇大橋をはじめとする南阿蘇村周辺の復興となると,かなりの長期化が予想されます。熊本県民の魂ともいえる熊本城の早期修復も,県民が待ち望む復興のひとつです。
田川 熊本城でいえば,当社は国宝姫路城の保存修理工事や,東日本大震災で被害を受け現在修理中の福島県にある小峰城跡石垣復旧工事等の実績がありますので,何かのかたちでお手伝いできる場面があるのではないかと検討しています。
髙橋 今後も熊本の復興に向けて,熊本営業所ではできる限りのお手伝いをさせていただきたいと考えています。国難に対し力を発揮することをモチベーションに,社員,協力会社の皆さんとともに頑張っていきたいと思います。
支店長 そうですね。九州支店が中心となって,鹿島グループ全体で新たな熊本のまちづくりのお手伝いができればと考えます。これからも,安全第一で熊本復興のために邁進していきましょう。
(2016年6月23日,九州支店にて収録)