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KAJIMAダイジェスト

Focus2 職人技

“良い職長,職人が集まった”“人の手の素晴らしさを知った”
“あの人がいなければ復原はできなかった”――
工事に関わった人は必ずと言っていい程,職人の技を称える。
明治建築の重厚感が漂う“赤レンガ駅舎”の保存・復原には,
希少な伝統技法が欠かせなかった。シンボルともいえる赤レンガの外壁を復原させた
匠の技と,その魂に触れ,職人たちが残したものを探る。

現代に伝承されていない伝統技法

外壁の化粧レンガ工事には,ミリ単位で計算されたレンガの割付け,現存するレンガと風合いを合わせた3色のレンガ製作など,数々の技術とノウハウが用いられた。中でも特徴的なのが覆輪目地と呼ばれる日本独自の手法だ。目地の断面が半円形で中央部を“かまぼこ”のように盛り上げることにより目地を強調し,レンガの美しさを際立たせる効果がある。「100年前の建物ですから,材料や道具など,現在使っているものとは全く違います。何度も繰り返し試すことで,創建時に限りなく近いところまでもってきた自信はある」と話すのは不二窯業(東京都中央区)の坂野厚志さん。外壁化粧レンガ工事の職長を務めた。覆輪目地を施工する技術は,現代の職人には伝承されていないため,鏝(こて)の製作から,技術の習得までを現場で実施してきた。

写真:坂野厚志さん

坂野厚志 さん
不二窯業
外壁化粧レンガ工事職長
タイル職人
在任期間:2011年3月~
2012年10月

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100年前の職人との対話

復原に求められた品質は非常に高く,根気のいる作業だった。特に目地が交わる部分では,“かえる股”といわれる縦目地が横目地の中央部に綺麗に乗って見えることが求められた。「“かえる股”の仕上げを習得するには,熟練の目地工でも最低1週間はかかります」と同社の目地職人,長谷川靖比古さんは語る。何人もの職人が「難しすぎる。割に合わない」と現場を去ったが,長谷川さんが職人仲間に言い続けたことがある。「何十年,何百年後に同じ仕事があった時,“昔の職人は,たいしたことないな”と思われたくないよな。職人としてプライドを持ち,恥ずかしくない仕事をしよう」。これは,長谷川さん自身が,施工方法が見つからず苦しみぬき,寝食を忘れ創建時のレンガを見続けて感じたことだ。「100年前の職人が,語りかけてくるんです。お前は,ここまでできるか?やってみろってね。手は抜けないですよ」。結局,残った職人7~8名と切磋琢磨しながら技を極め,50万枚弱の化粧レンガを施工した。

写真:長谷川靖比古さん

長谷川靖比古 さん
不二窯業 目地職人
在任期間:2011年5月~
2012年10月

仕事に魂を込め丹精を尽くす

「レンガ職人や目地職人だけでなく,銅板や左官など全ての職人が,ここで仕事ができたことに感謝し,そして意地と誇りを持っていましたよ」と坂野さん。精魂こめて造った場所に,今,多くの人々が集まるのは本当に嬉しいという。

「現代には欠けているものが,ここにあるから人が集まると思うんですよね。“仕事に魂を込め,丹精を尽くす”シンプルなことです。若い人には,そんな魅力ある仕事に就いて欲しいと思っています」と二人は熱く語った。

写真:覆輪目地の試験施工の様子

覆輪目地の試験施工の様子。技術習得も現場で実施した

写真:覆輪目地の施工状況

覆輪目地の施工状況。中央部が“かまぼこ”のように盛り上がっている

写真:通常目地(左)と覆輪目地(右)

通常目地(左)と覆輪目地(右)。縦目地が横目地の中央部に重なって見える形状“かえる股”が再現された

造った“人”の想いを次の100年へ

開業を1年後に控え,現場を奔走していた東京ステーションホテルの山本芳裕さんは,別の角度から工事を見ていた。工事事務所と同じプレハブにあったホテル開業準備室から,工事の様子を眺めていた時,ある思いが胸をよぎったという。「ここで働いている人たちは,家に帰り家族に今の仕事のことをどう伝えているのだろうか。ホテルがオープンする頃には,きっと別の現場で働いている。今,想いを残さなければ」。開業準備室室長の藤崎斉さん(現東京ステーションホテル総支配人)とは「このホテルで働く人は,生きた重要文化財で働く意味と価値を知り,その歴史を受け継ぎ,伝える必要がある」と常に話していたという。職人たちの想いを知り継承する責任があると感じ,藤崎さんに相談したところ「職人さんからメッセージを集め,歴史の一つとして残し,開業後お客さまに伝えていこう」と即答だった。

写真:山本芳裕 さん

山本芳裕 さん
日本ホテル
東京ステーションホテル
マーケティング部マーケティング&
コミュニケーションマネージャー

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藤崎さん,山本さんはじめ,開業準備室のスタッフが朝礼台に立ち,その思いをぶつけた。その時,山本さんの印象に残っているシーンがある。「江戸城を造ったのは太田道灌ではなく一人ひとりの大工です。丸の内駅舎を造っているのは皆さんです」と藤崎さんが切り出すと,皆が腕を組んでうなずいたという。2012年3月から現場の休憩室にメッセージシートを置いたところ,想いを託した50通を超えるメッセージが集まった。その中に,山本さんが涙を流した一通のメッセージがある。『私事ですが,私の先代が2月(2012年)に他界しました。12月まで当現場で働かせて頂いておりました。日本中の人が知っている赤レンガ工事に携われたことを本当に喜んでいました。初志貫徹,妥協を許さない職人としての精神は,私も駅舎完成まで受け継いで参ります』。外壁化粧レンガ工事の職長,坂野さんが書いたものだった。

「次の100年に向け,職人さんが受け継いできたバトンを,今度は私たちが受け継いでいきます」(山本さん)。

写真:職人たちから寄せられた50通を超えるメッセージ

職人たちから寄せられた50通を超えるメッセージ

写真:朝礼台に立つ東京ステーションホテルの藤崎さん(現総支配人)。左が山本さん

朝礼台に立つ東京ステーションホテルの藤崎さん(現総支配人)。左が山本さん

写真:山本さんが開業準備室から見ていた風景(撮影:2011年12月)

山本さんが開業準備室から見ていた風景(撮影:2011年12月)。駅舎全体がシートで覆われていた

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