大規模な建設プロジェクトを交響曲に例える人がいる。
作曲家やプロデューサーが「設計者」や「監理者」。バイオリンなどの演奏者が「職人」。
そして,各パートが美しい音を奏でるための環境をつくり,タクトを振り,
演奏をとりまとめるのが「施工管理者」である。
ここでは,指揮者や裏方としての“鹿島の視点”をクローズアップする。
注目すべきは裏側
東京駅丸の内駅舎と聞くと,多くの人が駅前広場から見える風景を頭に浮かべるのではないだろうか。しかし,副所長として外壁工事全般を担当した西口勝久さんの記憶に深く刻まれているのは,正面側でなく線路に接する工事である。
地下工事と同様に,乗降客の安全確保,車両の運行を妨げないことは絶対条件となり,ほとんどの作業は,終電後の1~2時間だった。覆輪目地,擬石などの匠の技も正面側と同様に見ることができる。「人の目に付かない部分も,手を抜かず復原されていることを知ってもらいたいですね。当然のことですが」と笑顔で説明してくれた。
中央線線路の閉鎖,職人の作業空間の確保,駅舎の上や中を通した資材の搬入,足場の設置など,念入りな施工計画と慎重な作業が求められた。
憧れの場所が教えてくれたこと
南ウイング線路側3階にはカルトゥーシュと呼ばれる装飾がある。今は,JR京浜東北線の上り電車の車窓から,一瞬だけ見ることができる。この装飾は,外壁仕上げ工事を担当した杉下紗惠子さんにとって特別な存在となった。
子供の頃,家族とサイクリング中に見かけた“赤レンガ駅舎”の美しい外観が心に残り,ずっと憧れの場所だったという。入社後,病院などの新築工事などを経て,念願の「丸の内駅舎の保存・復原工事」を担当することになった。
憧れの場所での仕事は,すぐ近くに電車が走る狭い場所での外壁の仕上げだった。設計の要求する形状や位置を,どう現場で施工していくかを悩み続けた。施工図にはない質感的な表情を職人にどう伝えるか?答えが見つからず,憧れだったはずの赤レンガを見るのも嫌になった程だ。その時,杉下さんが出した答えは原点に返ること。先人たちが,どう造りたかったのかを想像することで,何かが見えてくると考えた。職人に沢山の知恵を出してもらい,どう造りたかったのか,どう造っていったのかを感覚的に理解していった。「しっかりと段取りをして,人や資材を手配して,計画どおり工事を進める。この能力があれば施工管理者が務まると思っていました。でも,一番大切なのは“人が造っている”ということを忘れないこと。これは,今も昔も変わらないのですね」。憧れの場所は,造ることの難しさと,これからの軸となる考えかたを教えてくれたようだ。
問題は現場で解決する
和知寛喜さんは,東京ステーションホテルのモデルルーム施工から現場入りし,工事課長として内装全般を担当した。重要文化財の保存・復原工事と並行して,最先端の設備を有するホテルを施工する過去にも例がない工事である。これまで高級リゾートホテルの新築工事など多くの経験を積んできたが,和知さんの想像を超える難しさがあった。「このままだとユニットバスが納まらない」と現場の職人から連絡が入る。モデルルームの施工では,全く問題なかったことが現場で起こる。構造レンガを保存しながらの工事のため,着工前から各部位の納まりが課題となることを予想し,詳細な施工図を作成していた。しかし,100年前の構造レンガは“生き物”のように直線で構成されている部分がなく,図面では示せない部分があったのだ。この問題を解決するため,和知さんはシンプルな方法をとった。「設計担当者にも現場に来てもらい,職人と一緒に現物を見て,ミリ単位で壁の位置を調整するなど,必要な対応をその場で決めて各部位を納めていきました」と話す。この対応を繰り返し行っていくと,問題になりそうなところが予想できるようになり,工事も軌道に乗った。「プランニングや設計で決められた要求性能を変えずに,現場を納める。私たちに課せられた責任です」。
職人技のための段取り
もう一人,構造レンガと向き合ってきた人がいる。南北ドームレリーフの復原工事を担当した篠崎正徳さんである。最初にドームを見た時,赤茶色のレンガ壁が剥き出しになっている状態だった。如何に施工して創建時のドームを復原するのか?教科書がある訳ではない。ドーム天井部の精度管理,レリーフ毎に違う取付け方,木製建具の施工方法――。これまで経験のないことばかりだった。左官職人,墨出し職人と膝を突き合わせて議論を繰り返し,一つひとつ施工方法を考えていった。最も苦労したのがアーチ状のレリーフ。下地となるレンガ壁の位置が一律ではなく,漆喰を施工図通りに塗ると要求された精度を確保できない。木製の施工用型板を作成し,壁の厚さが変わる毎に木製レールの位置を決め,レールに合わせて施工する管理を行った。レールの設置は,八角ドームの各面毎に段取り替えが必要となった。「アーチ部が計画通り納まった時には,これぞ職人技と感激しましたが,絶対に段取りのミスが許されない重責も感じました。品質に直結するだけでなく,素晴らしい職人技をムダにはできないからです。胃が痛くなった時もありましたよ」。今,美しく復原されたドームを見ると,寝る間を惜しんで対応した段取り替えや検査を繰り返した記憶が走馬灯のように浮かぶという。
コミュニケーションをつなぐハブ
「人生の目標となる上司との出会いが,この工事で得た最大の財産です」(篠崎さん),「困った時には,いつも助け合える仲間がいた。そして,かけがえのない仲間になりました」(杉下さん)。インタビューした若手は,現場のチームワークの良さに助けられ,難しい課題や悩みを解決してきたと話す。このチームワーク作りに貢献してきたキーマンがいる。機電担当の山崎賢一さんだ。乗客導線と工事エリアの隣接,鉄道近接工事など,厳しい施工条件のなかでクレーンなどの重機配置,仮設,電気などの綿密な計画を練り遂行してきた。5グループ(躯体・外構,外装,屋根,仕上げ,設備)の工事計画をそれぞれ理解して,事前に重機の配置計画や手配を行う必要があった。「複雑かつ輻輳する各グループの段取りが良く見えていて,調整能力があった」と副所長の西口さんは評する。各グループからの信頼も厚く,コミュニケーションをつなぐハブのような存在となった。「機電という中立的な立場だからこそ,各工事グループの考えの違いをまとめられたと思います。幹部と若手の立場も考慮することも大切ですね」(山崎さん)。
お客さまの立場にたって
2007年12月から5年以上,副所長として現場を見つめてきた上浪鉄郎さんも,中立的な視点を大切にしてきた一人である。「現場運営には,外部との接点が重要なポイントになります。駅構内で行われた工事ですから,お客さま(乗降客)との接点を第一に考える必要があります」。大切なのは,工事を進める立場だけではなく,お客さまの立場から現場を見ることだという。一例が「コンコースマスター」と呼ばれる巡視員。仮囲いの外から駅利用に影響が出てないかをチェックする仕組みを構築した。また,あらゆる渉外業務にも積極的に対応してきた。「優秀な人財が現場に集まったから工事については安心して任せられました。だから“つなぎ”の部分に集中できただけですよ」と謙虚だが,果たした役割は大きい。
人と組織を大事にしてこそ
「これだけの大規模な保存・復原工事を成し遂げたことは,鹿島の歴史に大きく輝くことです。厳しい施工条件のなかで,良い品質のものを造り上げることができた。工事に携わった全ての社員,作業員に感謝したい。それぞれの立場で,本当に良く頑張ってくれた」。工事を率いた所長の金丸康男さんが,昨年10月の完成時に,延べ78万人の工事関係者全員を労った。所長室には入らず,大部屋に席を置いた。組織をまとめて,全員が同じベクトルに向かうためには,細やかな意思疎通が欠かせないと考えていたからだ。「こうした大事業は,人と組織を大事にしていかなければ,絶対に成し遂げられない」。100年の歴史と伝統に真摯に向き合い,自らの信念を貫くことで重責を果たした。