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新春 特別座談会 自然災害と鹿島 ~今,私たちは何をすべきか~

近年,日本の国土に甚大な被害をもたらしている自然災害──。
復旧・復興活動,防災・減災技術の開発やインフラ整備など建設業が果たすべき役割は大きい。
研究・開発,設計,そして災害復旧の現場から6名の技術者が集まり,今,何をすべきかを語った。

出席者

近藤宏二

技術研究所 プリンシパルリサーチャー
近藤宏二
1981年入社。武藤研究室(当時)に配属され,原子力発電所における地盤と建屋の動的相互作用解析,振動試験などを行う。1986年,小堀研究室(当時)へ。1987年から技術研究所にて,主に超高層建築物の耐風設計,風洞実験,数値流体解析を担当。2002年より,地震動,風,火災,リスクの研究グループのグループ長として,防災・減災関連の技術開発全般に携わる。現在,当社のBCP関連全般に関わり,震災対策組織災害調査班や本社拠点リーダーも務める。

福田孝晴

建築設計本部 本部次長
福田孝晴
1981年入社。建築設計本部構造設計部(当時)に配属される。1985年からアジア,米国などで構造設計業務を担当。本年,全体完成を迎えるスナヤン開発プロジェクトは,思い入れの深いプロジェクトという。1991年から1995年まで技術研究所企画室にて研究開発マネジメント業務を担当。その間,阪神・淡路大震災の報告書作成や大型振動台実験に関わる。1995年4月から建築設計本部にて,幅広いレパートリーの構造設計全般を担っている。

新原雄二

土木設計本部構造設計部 臨海・エネルギーグループ グループ長
新原雄二
1993年入社。技術研究所にて,土木構造物の耐震・耐風技術に関わる研究開発を担当。阪神・淡路大震災関連では現地調査後に,供用中の橋梁の免震化技術を開発。2002年,台湾龍門原子力発電所の放水口工事(海上工事)に従事。2004年から羽田空港D滑走路の桟橋接続部の設計業務を経て,同現場の施工を担当。現在,土木設計本部にて,臨海関連やエネルギー関連施設の設計に携わり,強靭化対策などを積極的に進めている。

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青山和史

環境本部 環境ソリューショングループ 次長
青山和史
1994年入社。土木技術本部環境開発部(当時)に配属され,廃棄物・汚染土壌の業務に携わる。阪神・淡路大震災関連では処分場での廃棄物の選別・破砕・リサイクルにより埋立量を減量する業務に関わる。2000年の東海豪雨,2004年の福井豪雨の災害廃棄物処理を担う。2011年,宮城県石巻ブロック災害廃棄物処理業務を技術提案から処理業務まで一貫して担当。災害の種類により廃棄物の性状が異なることから「がれきは生き物」と話す災害廃棄物処理のスペシャリスト。

江口健治

関西支店赤谷工事事務所 所長
江口健治
2006年中途入社。阪神・淡路大震災の際には,自ら志願して復旧工事に従事した。2006年,第二京阪高速道路讃良地区の橋梁下部工事を担当。2009年から大滝ダム(奈良県)の地すべり対策工事に携わる間に,紀伊半島豪雨(2011年9月)が発生。奈良県赤谷地区の斜面崩落土砂ダム対策として河道閉塞対策工事に従事し,現在,土砂災害から地域を守る砂防堰堤の構築を急ピッチで進めている。自然災害に建設業の一員として対応することに,誇りと生き甲斐を感じるという。

加藤研一

小堀鐸二研究所 所次長
加藤研一
1984年入社。原子力設計部に配属され,電力会社のプラントに対して耐震設計を担当。1986年から小堀研究室(当時)で地震・地震動の解明,原子力発電所や免震・超高層構造物の入力地震動評価などに従事。1991年から約2年間,米国南カリフォルニア大学に留学。本場の地震学・地震工学を学ぶ。阪神・淡路大震災では現地にて被災調査を行う。2010年4月より小堀鐸二研究所に出向。地震工学のエキスパートとして社内外から高い評価を受けている。

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阪神・淡路大震災から20年

近藤 近代都市を直撃した巨大地震災害「阪神・淡路大震災」から20年が経ちます。構造物や建物が無残に崩壊した光景は,私たち建設技術者の心に今もなお強く焼き付いていると思います。まずは,皆さんの当時の思い出や状況をお聞かせください。

福田 当時,技術研究所の企画室に勤務していました。ライン部署ではなかったこともあり,直接,現地へ派遣されることはありませんでした。しかし建築構造の技術者として,テレビの映像ではなく“自分の目で見なくてはいけない”という強い思いから,1週間後の休日には新幹線に乗り込んでいました。

写真:近藤宏二

新原 私も同じです。当時,入社2年目で,技術研究所の土木構造物の耐震・耐風技術に関する研究開発グループに所属していました。震災直後,現地は交通機関が寸断されていましたが,自分の目で被災地の状況を確かめたいという強い思いから,マウンテンバイクを輪行袋に入れて,土日を利用して新幹線で神戸に向いました。西宮の斜面災害,新幹線の高架橋,阪神高速神戸線の橋脚,ポートアイランドの液状化などの凄まじい被害に衝撃を受けながら,写真を撮り続けました。

福田 私にとって衝撃的だったのは,1階が駐車場でピロティになっているマンションの崩壊と中高層建物の中間層が破壊されている状況でした。構造設計者として弱いところに力が集中することを改めて肝に銘じ,帰りの新幹線では何をすべきかを必死に考えていたのを記憶しています。

近藤 二人とも技術者の使命感から,休日を使って現地に入ったのですね。

新原 実は週明け直ぐに興奮気味で上司に現地の状況説明をしたところ,個人的判断での現地入り,二次災害の危険性を考えない行動について,注意を受けました。今の自分の立場で考えれば,あまりにも軽率だったと反省しています。ただ熱意は伝わり,その後に現地派遣要員となり,大阪支店(当時)の阪南寮で雑魚寝状態のなか不眠不休で,橋脚を中心に被災調査にあたりました。本社や他支店から多くの技術系社員が集まっており,組織で動くことの大切さを実感しました。

写真:新原雄二

江口 私は,千葉県富津で大震災の一報を聞きました。実家が兵庫県なので,とにかく連絡を取ろうと電話をかけ続けましたが,つながりません。姫路なので大丈夫だろうと思いながらも,心配な時を過ごしたのを覚えています。災害時には,安否を含め情報がいかに大切かを知るきっかけともなりました。震災直後から,会社に故郷の復旧・復興に尽くしたいと懇願を続け,1年後に兵庫県や阪神高速道路などの復旧工事に携わりました。

青山 私の実家も兵庫県です。新入社員として土木技術本部環境開発部に配属され,廃棄物や汚染土壌などに関する業務についたところでした。家からも会社からも,電話がつながらない状況が続きましたが,当日夕方に,ようやく家族の無事を確認できました。通信インフラの大切さを,身を持って体験しました。

近藤 通信インフラの話になりましたので,総務部から聞いた阪神・淡路大震災での経験を自社BCPに活用している例を紹介しておきます。大阪支店(当時)は,震災対応の詳細な日報を記載していたそうです。そこには“テレフォンカードが使えない。10円玉を用意しておくこと”“タクシー無線が有効な通信手段だった”“通信手段は複数用意しておくこと”など通信インフラに関して細かく記載がありました。この記録から,各拠点にはMCA無線,社内専用線などが配備されました。東日本大震災直後には,MCA無線が唯一の通信手段として活用されたのです。

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福田 当時の具体的な記録が役に立ったのですね。技術的にも記録に残すことは意義があります。当時から大きな地震があると,技術研究所と小堀研究室の専門家を中心に,すぐに現地で調査できる体制が整えられていました。阪神・淡路大震災でも,地震のあった当日に調査の先発隊が神戸に向かいました。翌日には調査人員も補強して,地震動,地盤,基礎被害,建築・土木構造物の被害を調査しました。10日後には被害報告の速報を作成し,2週間後の2月1日には「平成7年兵庫県南部地震被害調査報告書(第1報)」ができあがりました。これは,当時の野尻陽一技術研究所長の強いリーダーシップによるもので,自らも被災地に入り,技術陣を指揮されました。この報告書は,一企業として,大変迅速な対応で,学会やマスコミからも大きな反響があったのを覚えています。

新原 野尻所長は,震災復旧に関わる技術開発を至急立ち上げるという方針を打ち出し,私は既存の橋梁を供用したまま免震化するという技術開発を任されました。短期間で成果を出すことがミッションであり,震災から8ヵ月後には,大型振動台を用いて兵庫県南部地震の地震波による免震橋梁の公開振動台実験を行いました。震災後に開発された新技術として注目が集まり,多くの方々に見学してもらいました。この技術は,すぐに実用化され,多くの橋梁に適用されています。

加藤 小堀研究室(当時)に所属していたので,地震動の担当者として直後から現地で被災調査を行い,報告書作成に関わっています。報告書をまとめることは,研究開発や営業的な観点からも重要です。例えば,阪神・淡路大震災では,新耐震基準の1981年以降の建物には構造的な被害が非常に少なかった一方,それ以前のものは大きな被害が出ていました。こういったことを地震動の特性とともに写真やデータとして残すことが重要なのです。具体的には,耐震改修促進法の整備もあり旧耐震基準の建物に対して耐震補強技術の開発を加速させましたし,新耐震基準の建物には,鹿島が先駆的に開発を進めてきた制震・免震技術の適用が一気に広がりました。

江口 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)や昨年11月に起きた長野県北部の地震でも被害状況をまとめたと聞いています。他社にいた経験から感じるのは,どの建設会社の社員も,復旧や復興工事に熱意を持って対応し,個々には様々な経験を積んでいます。ただ,経験という暗黙知を報告書としてまとめあげ,将来に活かしていることが鹿島の力だと思いますね。

青山 東日本大震災による津波で発生した災害廃棄物の処理業務を担当していました。災害廃棄物を粗選別や破砕選別,焼却を行い,昨年9月末に約3年半で処理を完了したところです。その際にも,詳細な完了報告書を作成しました。今後,本格化する福島県富岡町での処理に活かしていく予定です。もともとは,阪神・淡路大震災で発生した震災廃棄物に関連し,受け入れる処分場内で行った廃棄物の選別・破砕・リサイクル業務が,当社として初の本格的な「がれき処理」です。廃棄物処理にあたる営業種目がありませんでしたので,定款を改定して対応し,その後の東海豪雨や福井豪雨,東日本大震災での対応につながったのです。

写真:青山和史

Column 月報は「阪神・淡路大震災」をどう伝えたか

Column 供用中の橋梁を免震化する

Column 石巻ブロック災害廃棄物処理業務の記録

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想定外への対応

近藤 東日本大震災の話も出てきましたので,少し幅を広げていきます。東日本大震災では「想定外」という言葉を多く聞きました。人間はどうしても自分の経験や知識の範囲で物事を考えてしまいますが,私たち技術者はいかに「想定外」に対応していけば良いでしょうか。

加藤 記録としてまとめることの重要性が指摘されましたが,特に地震に関しては,歴史に学ぶ姿勢も重要になると思っています。恥ずかしいことなのですが,地震や地震動を理屈で捉えがちだったと感じます。例えば,関西に巨大地震は発生しない,自分が生きている間に日本でM9.0の地震は起きないという考えが頭の隅にあった気がします。しかし,1000年以上前には貞観(じょうがん)地震が発生し,東北地方に甚大な津波被害を引き起こしていますし,少し前の2004年にはスマトラ島沖地震が発生しているのです。

福田 そのとおりですね。もう一点,地震については,まだまだ分かっていないことが,あまりに多いという謙虚な気持ちも大切だと思います。阪神・淡路大震災の後も,2003年には十勝沖地震による苫小牧での長周期地震動,2004年には新潟県中越地震による阪神大震災以上に大きい震度7の揺れと,山の斜面崩壊,新幹線,高速道路などのライフラインの被害,そして2011年には未曾有の地震規模となった東日本大震災による東北地方の大津波,東京湾岸での大規模な液状化,関西地方までおよんだ長周期地震動による超高層ビルの大きな揺れ,東北,関東各地での天井の被害といった具合です。

写真:福田孝晴

新原 分かっていないことに,どう対応するのか技術者として悩むところです。例えば私が担当する土木分野の設計では,液状化現象のシミュレーションが設計手法として確立されていますが,入力する地震波が違えば設計の結果も大きく変わります。想定外の地震波のときにどのようなことが起こるのかをイメージしておくことの必要性を感じています。

加藤 建築でも同じようなことが言えると思います。

福田 その答えは「想像力(イマジネーション)」ではないかと考えています。技術者として,経験値だけで思考するのではなく,分かっていない部分については,予想外のことが起きたらどんな現象が生じて,その影響はどうなるかといったことを想像して,業務にあたることだと思っています。

写真:特別座談会

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災害列島との対峙

近藤 それは,地震に限らず自然災害全般に言えることですね。最近は,スーパー台風の発生,竜巻による建物の直接被害,雪の少ない地域における大雪による大屋根の崩落,広島での土石流の発生,御嶽山の噴火など,様々な自然災害が生じています。豪雨災害の緊急対策工事を担当している江口所長に現場の状況をお聞きしたいと思います。

江口 2011年9月,台風12号により発生した豪雨は,紀伊半島を襲い236ヵ所が通行止めとなり,孤立した地区が18ヵ所におよびました。多数の死者・行方不明者が出た大災害です。私は,奈良県五條市の赤谷地区の緊急対策工事を担当し,仮排水路の設置などの応急対策を行いました。現在は,抜本対策として河道閉塞部(天然ダム湖)の安定化を図るための砂防堰堤の構築を急ピッチで進めているところです。昨年8月には,台風11号による豪雨で,設計で想定していない約80万m3もの土石流が推定時速120kmで流下してきて,完成間近の砂防堰堤の一部が崩壊しました。自然の恐ろしさ,想定外とは何かを体感しました。堰堤の機能により,人命に影響を与えるという最悪の事態をまぬがれ,私たちの工事の意義も同時に感じました。

写真:江口健治

近藤 まさに自然の猛威と闘いながらの工事ですね。災害列島ともいえる日本における建設業の役割を,どう考えますか。

江口 この工事を担当して感じたのは,TEC-FORCE(テック・フォース 国土交通省緊急災害対策派遣隊)の力です。大規模自然災害が発生すると,全国から選ばれた様々な災害対応のエキスパートを現場に派遣して,被災地の早期復旧や災害応急対策に対する技術的な支援を行います。赤谷工事にも派遣され,土砂災害や砂防分野のプロが結集しました。当社には,大規模災害時には全社を挙げて被災地を支援する体制もあり,様々な災害に対する専門家がいます。施工という側面から,あらゆる設計に対応できる災害対策技術のレパートリーを増やし,国や自治体へ提案していくことが必要ではないでしょうか。これは,一企業でなく“オールゼネコン”で取り組む必要があるかもしれません。現在,当社も参画し,複数の建設会社で構成される次世代無人化施工技術研究組合では,災害現場に必要な無人化重機などの開発を積極的に行う予定であり,一つの足掛かりになると考えています。

加藤 少し視点が異なりますが,20年前と現在で国内状況がどう変化したかを色々な項目で調査したことがあります。一番の変化は,国の借金が3倍に膨らんだことです。これまで幾度もの自然災害から日本は復興を遂げてきましたが,次の巨大災害での対応は,財政的に厳しくなることが予想されます。そのためには,今,何をすれば良いかを考えるようにしています。

写真:加藤研一

青山 災害に強い国土を造らなければならないということですね。これまで見てきた災害廃棄物のなかには,被災された方の思い出が詰まった品々が数多くあったことを忘れることができません。災害廃棄物がない世界が来るのが一番良いのですが,過去の同規模の災害と比較して,廃棄物の量が少なくなるような災害に強い国土造りは,絶対に必要だと思います。災害は起きてからの対応より,災害を最小限にする方がトータルでの支出は少ないのですから。

江口 災害現場を担当して感じるのは,この国で暮らしていく限り,自然災害をゼロにはできないかもしれないということです。ただ,尊い人命を守るためにも,災害復旧活動になくてはならない人・モノを運ぶ主要道路,被災情報を得るための通信インフラを強靭化することは重要です。

近藤 具体的な提案はありますか。

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江口 はい。災害時には「情報が命」です。情報を得るために必要な道路が寸断されたり,危険な状態が続く環境に備え,地形データやリアルな映像情報を入手できる小型無人飛行体の開発などを促進させる必要があると考えています。3年前,土砂災害の現場へ向かうとき,主要道路があちこちで欠損し,通行止めが多発していて,通常3時間程度でたどり着けるはずが,12時間も要した経験から,そう感じるのです。

近藤 国家レベルでのBCP(事業継続計画)として重要な視点であり,私たちは防災・減災に資するインフラ構築や技術開発をとおして貢献できると考えます。

新原 現在,臨海地区に拠点を持つ民間企業に対して,地盤改良や防潮堤などのBCP対策や耐震対策の設計業務を担当しています。政府の国土強靭化基本計画により,強靭化対策事業が積極化していますが,民間企業にとっては,いつ起こるかもわからない大地震に対する大規模な先行投資はとても難しい経営判断だと思います。耐震性,耐津波性を確保し,かつ低コスト工法を提供して,民間企業のBCP対策への投資を促すことも我々の大切な役割の一つです。それが国の強靭化にもつながると思っています。

福田 そうですね。民間企業のBCPに対するニーズが高まり,様々な提案を行っていると思います。そのときに大切なのが,私たち専門家と一般の方には被害に関する認識にギャップがあるということです。これは阪神・淡路大震災で認識したことですが,1981年以降の新耐震基準の建物は,人命に関わるような構造体の大きな被害はほとんどなかった。しかし非構造壁や仕上材,設備機器などの被害により,建物が財産的,機能的な価値を失ってしまいました。

近藤 一般の方は,そうなるとは思ってもいなかった。

福田 そうなんです。その後,建物が壊れなければ良いという考えから,財産の維持,機能の維持といったBCP的発想に変わってきたのです。私たちは,阪神・淡路大震災後の他の大地震の経験も経て,東日本大震災前から,独自の天井落下防止策や超高層ビルの長周期地震動対策に関する技術開発を進めていました。“想像力”を働かせ,社会や顧客ニーズの一歩先を見据えた技術を“創造”していかなければならないと考えています。

Column 阪神・淡路大震災後に急激に増えた「制震・免震構造」

Column 紀伊半島大水害から3年~国内外から注目を浴びる対策工事~

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今,何をすべきか

近藤 最後に,今後の自然災害に備えるために,私たちが何をすべきか一言お聞かせください。

加藤 日本国内に約2,000あると言われる活断層が,いつ動き,どの程度の地震規模になるかを評価できる技術を確立していきたいと思います。これは,鹿島のみならず,日本全体にとっても重要な技術です。大きな目標は,「地震災害ゼロに向けたロードマップ」を掲げ,公的機関や大学とアライアンスを組みながら日本全体の「総合防災力」を高めていきたいです。

新原 入社後の22年間で2度の大きな地震災害(阪神・淡路大震災,東日本大震災)がありました。私の会社人生は残り15年を切りましたが,定年までにあと1,2回は大きな自然災害が発生してもおかしくないと思っています。いざ,大災害が発生したときに,個人として,また,鹿島の一社員として何ができるか,いつもイメージして日々の業務を遂行していきます。

青山 阪神・淡路大震災や東日本大震災のような大規模災害により発生するがれき処理は,建設業が担うべきであり,担わなくてはならない仕事だという気概でいます。今後,発生が予想される南海トラフ地震へ備えるために,これまでの経験,反省点を次の世代に伝えていくのも私たち建設業界の役割であり,それを自ら実践していきたいと考えています。

江口 これまでの経験から,当社の工事現場がBCPの拠点的な役割を果たす機能を持てないかと未来志向で考えることがあります。例えば,災害対応の準備として,通信業界と連携して当社の現場が基地局となれる環境整備を行い,緊急事態に周辺10km圏内はWi-Fiが使えるようにできれば,ものすごい社会貢献につながると思います。また,南海トラフ地震への備えとして,日本海側の支店や現場が太平洋側を支援するための連携など,今でも行動すべきことは多いです。

福田 世界には様々な災害に苦しむ国が多くあります。災害大国である日本で培った防災,減災技術をグローバルに展開していくことも考えています。鹿島が国際社会へ貢献していくと同時に,自身のグローバル化も進めていくことができるはずです。

近藤 本日は,皆様から大変有意義なご意見を伺うことができました。わが国のBCPを考える場合,災害直後の警察,消防,自衛隊による救助活動に続く復旧活動では,建設業が果たすべき役割は非常に大きいといえます。そのときに力を発揮するためには,会社の機能維持はもちろんですが,社員や家族の安全確保も重要となります。昨年11月に発生した長野県北部の地震では,多くの建物が損壊したにもかかわらず,住民同士の救助活動の結果,一人の死者も出ておらず,自助・公助・共助の重要性が改めて認識されました。わが社は,様々な分野で豊富な人材を有しており,“いざ鎌倉”となればそれを結集して非常に大きな力を発揮することができます。これからも社内の連携を取りつつ,我々が日本を守るという気概を持って防災・減災に取り組んでいきたいと思います。皆様ありがとうございました。

写真:特別座談会

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