IT企業のステータス
秋葉原クロスフィールドの発端は,東京都が2001年に掲げた「秋葉原ITセンター構想」。神田青果市場の跡地を活用するアイデアだった。これに応えた当社らの提案は,産学連携による次世代ビジネスのインキュベーション機能。全国の著名な大学や企業,自治体,研究機関が呼びかけに応じ,一堂に会した。「ここに来れば新たな事業展開が期待できる」とさらに多くの研究機関や企業を集めている。
「この建物で活動することがステータスとなり,それがまち全体に広がり始めています」。当社開発事業本部の山本俊行事業部長は,計画段階から一貫してプロジェクトに携わってきた。最近では渋谷で活躍する大手IT企業が,名指しで研究機関を移転してきて驚いたという。秋葉原クロスフィールドのオープン以降,ソフトウェア系企業の増加率が都内で最も高いまちとなっている。
スーツ姿の似合う場所
秋葉原UDXは,大型プロジェクトにおける開発フェーズからの不動産証券化の日本第1号である。ワンフロアの延床面積が2,000坪クラスのオフィスビルの先駆けとなるなど,建物の資産価値を高めるさまざまな手法で業界のモデルとなった。
かつてはオフィス街のイメージが全くない場所だったが,山本事業部長が着目したのは「交通至便な秋葉原駅の目の前」というポテンシャル。137m×45mの広大なフロアを,間仕切りなし,フリーアドレスで使う企業もあり,その風通しのよさは多くのテナントに好評を博している。
新たな手法は,ビル運営にも多数導入されている。たとえば“美観度”を場所ごとにランク付けし,普段は使わない非常階段の清掃頻度を見直すなど,たんなるコストカットではない性能評価による建物管理を行っている。運営面でもテナントの評価は高い。
現地の総合管理事務所が管理するのはペデストリアンデッキまで含まれる。違法駐輪や若者の座込みをまめに注意するなど,スタッフ全員が日々の努力を積み重ねていった結果,ビルの周囲は「スーツ姿も似合う場所になった」と古くからのまちの人々にも歓迎されている。
災害に強い管理システム
UDXあったかいよ──東日本大震災が起きた3月11日,こうした書き込みがインターネットの投稿サイトで続いた。秋葉原UDXに詰めかけた帰宅困難者は500人以上。テレビでも受け入れ先としてテロップが流れたほどだ。
大規模ビルの多くが安全確認に数時間を要したなかで,秋葉原UDXでは発災から30分あまりで建物の安全宣言を館内に放送した。「リアルタイム防災システム(RDMS: Real-time Disaster Mitigation System)」が,建物内で揺れが大きかった箇所を即時に割り出し,モニタに表示。被害状況を確認する初動対応が大幅に軽減されたからだ。その後の大きな余震でもRDMSが活躍し,「建物を預かる身にとって頼もしい存在」と管理事務所のスタッフは口を揃える。
また,環境配慮の機能にも優れ,自然換気を行う外気導入システムや,ビルエネルギー管理システム(BEMS:Building and Energy Management System)で省エネを快適に実現。さらに,深夜電力でつくった氷による日中の冷房利用やコージェネレーションシステムなど,多様な機能で省エネの現場を力強くバックアップする。
まちと建物のシークエンス
建物の運営・管理は「ソフトの重要性がますます高まっていく」と山本事業部長は語る。「ビルの防災が完璧でも,地域のインフラ整備が伴わなければ意味がない。建物とまちのシークエンスを考えなければ,まちの魅力を維持できません」。
建物の低層部にオフィス以外の施設を組み込んだのは,こうしたつながりを機能と景観の両面で意識したからだ。イベント情報とともに建物の認知度も高まり,地域ブランドが形成される。ここではオフィスと商業の空間が,地域全体としてほどよくバランスし,共生している。
秋葉原ダイビルと対をなして立つ超高層マンション「TOKYO TIMES TOWER」。横長の秋葉原UDXを挟んだスカイラインは「開発当初から意識していた景観」と語る山本事業部長は,完成後すぐにこのマンションに入居した。地域住民のひとりとして「秋葉原タウンマネジメント株式会社」の取締役も務める。
同社は,公益的なまちづくり事業を展開し,その収益はまちづくりへ再投資される。千代田区や当社らの企業, 地元住民が出資し,官・民と住民がイコールパートナーとして事業を実施。有名な歩行者天国の事務局も務めるほか, 公共空間の広告やプロモーション事業などを手掛け, 昔の町会, 商店街のような役割を担っている。
アメリカでは徴税権をもつ組織もあるタウンマネジメント会社は,長期的な視野でまちづくりに取り組む。地域の魅力や価値を向上させることで,不動産価値が上がり,その結果,収益力が高まって持続的な繁栄をもたらす。一般の不動産開発が家賃や地価を相手にするのと比べると,「遠くに投げたボールを回収するイメージ」だという。
神田祭で知られるこのまちは,もともと地域の結びつきが非常に強い。しかし,青果市場移転後は空き地の期間が長く,「周囲とコミュニケーションが切れた状態」だった。山本事業部長は,土地の購入段階からこのプロジェクトを担当し,時間と労力をかけて地域との信頼関係を築いてきた。その成果は施設づくりに実を結び,そこで培われた知見や人脈が長期的なまちづくりに再投入されている。