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ベンガルール:先端都市に響くコロニアルな音風景

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インドの経済発展を象徴する高級ビジネス街,
UBシティ周辺の景観

©alamy.com

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聖アンドリュー教会の聖歌隊によるクリスマス・コンサート。
パイプオルガンやピアノなど西洋の楽器が伴奏を務める

「インドのシリコンバレー」として世界的に有名な,カルナータカ州の州都ベンガルール市は,近年の人口増加が著しく,インド第3位の人口を有する大都市となっている。19世紀以降に南インド最大の英軍駐屯地として発展し,英語風に「バンガロール」と呼ばれてきた。今日もこの地名はよく流通しているが,2014年,州公用語のカンナダ語の発音に合わせた「ベンガルール」への改称が正式に承認された。

1980年代までは静かで落ち着いた雰囲気の街だったと思う。車も少なく,空気も澄んでいた。マイソール高原の標高920メートルに位置するため,年間を通じて比較的涼しく,デリーやムンバイの暑さと喧噪から離れてたどり着くと,穏やかな気候や豊かな緑にほっとしたものである。しかし,1984年以降,政府がIT産業優遇策を推進するようになると,インフォシスやウィプロといったインド有数のITベンチャーや外資系企業が進出,工業団地が次々と建設され,最先端のメガシティとなったのである。

ベンガルールはかつてマイソール王国の領土だったが,1806年に英軍駐屯地「バンガロール・カントンメント」がつくられ,現地住民居住区(ペーテーまたはシティ)とは分かれて発展することとなった。カントンメントにはイギリス人の他に,アングロ・インディアン(インド人妻をもつイギリス人,英印混血の人),職を求めて隣接地域から移住したタミル人など多様な人々が居住した。共通語は英語で,今日も英領期に由来する地名が残り,カントンメント鉄道駅周辺のコロニアルな建築が街の景観を彩る。特に,マイソール王国弁務官のカボン英陸軍中将の名に因んだカボン公園から延びるカボン・ロードとMGロード周辺に位置するゴシックやバロック様式の教会は際立った存在である。教会のパイプオルガンのほとんどは,イギリスが去った後,長年放置されてきたが,近年,古いパイプオルガンを生き返らせようとする動きが顕著になっている。

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かつての英軍駐屯地教会,
聖マルコ大聖堂とパイプオルガン

カボン公園に隣接するバロック様式の聖マルコ大聖堂は,英軍駐屯地教会として1812年に完成した。1929年に設置されたパイプオルガンは近年修理され,クリスマスやイースターなどの重要な祭礼の機会に演奏されている。1923年に聖マルコ大聖堂が火災で使用できなくなった際には,カボン・ロードに面したゴシック様式の聖アンドリュー教会が駐屯地教会の役割を担った。この教会は1866年に完成,パイプオルガンは1881年に設置された。近年まで絶えることなく音楽を奏で続けてきたが,126年を経てオーバーホールされ,2009年にはイギリスの著名オルガン奏者リチャード・マーロウのリサイタルで当時の音色がよみがえった。この出来事をきっかけに,ベンガルールにおける古いパイプオルガン再生の機運が高まった。

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ゴシック様式の尖塔をもつ聖ヨハネ教会

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聖ヨハネ教会のパイプオルガン演奏,聖歌隊の伴奏の際には鏡で指揮者を確認する

ゴシック様式の聖ヨハネ教会は1857年に完成した。カントンメントの北端,年金生活者やアングロ・インディアンの居住区クリーヴランドタウンに位置する。彼らの子供たちはカントンメントにあるヨーロッパ式の学校に通うことができなかったため,ここに学校と教会がつくられた。パイプオルガンはベンガルールで最も古く,修理も非常に困難だったという。

1870年に完成したオールセインツ教会は山小屋風の建築と美しい庭園を備えた小さな教会である。南のリッチモンドタウンに位置し,やはり年金生活者など聖マルコ教会の教会員になれない人々のために建設された。2009年,教会改修のために広く寄付を募ると,特にドイツから多くの支援が寄せられ,現在設置されているパイプオルガンもドイツの教会から寄贈された。

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山小屋風のオールセインツ教会

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パイプオルガンはインドにおける西洋クラシック音楽の伝統を象徴するが,一方,教会は異文化との出会いの場でもある。現地語による教会音楽のレパートリーには,ラーガ(旋律のルール)とターラ(リズムのルール)に基づいて作曲されたインド人聖職者のオリジナルが圧倒的に多い。イエスの十二使徒のひとりトマスはインドで布教したといわれる。2000年の歴史をもつトマス派キリスト教徒は最も土着化した集団で,聖歌の伴奏には,インドの伝統打楽器タブラー,英領期に定着したヴァイオリン,最新型キーボードといった多様な楽器を用いる。

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奇跡譚で有名な幼子イエス教会のミサ。宗派を超えて数千数万の人々が集まる

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ギター,キーボード,ヴァイオリンにインドの伝統打楽器タブラーを加えたトマス派神学校の楽団

さて,1947年の独立後もカントンメントの繁華街にはクラブやライブハウスが次々とオープンし,インディーズ・シーンを活気づけてきた。ビッドゥーはベンガルールが生んだ世界的プロデューサーである。1967年にイギリスに渡り,1974年にはジャマイカ出身の歌手カール・ダグラスの「カンフー・ファイティング」をプロデュースした。この曲は世界各地で大ヒット,彼は1970年代ユーロディスコブームのパイオニアとなった。中森明菜のヒット曲「ブロンド」も彼のプロデュースによる。また,インド・ジャズにおける新しい試みもこの街から誕生し,ジャンルを超えてシーンの活性化に貢献してきた。カルナータカ打楽器カレッジは南インド古典音楽の打楽器専門学校だが,ジャズやロックなどとのフュージョンに積極的に取り組み,西洋との懸け橋になってきた。

近年,ベンガルールは「インド・メタルのメッカ」と称され,大規模ロックフェスが開催されるようになった。一方,防音防火対策が不十分との理由でライブハウスへの規制が年々厳しくなり,当局とライブハウスとの間ではいたちごっこが続いている。それでも,眠らないメガシティの音楽は決して眠ることはない。

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クリスマス飾りを売る屋台の賑わいと交通の要,オートリクシャー

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カントンメント随一の繁華街ブリゲード・ロードの夜景,
ここからインディーズバンドが育った

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Listening

City Life/Louis Banks’ Sangam(1983)

サンガムは「インドジャズのゴッドファーザー」ルイス・バンクスとカルナータカ打楽器カレッジの演奏家たちのコラボで,活動期間は短いが,ヨーロッパ・ツアーは大成功を収め高い評価を得た。

井上貴子|Takako Inoue

大東文化大学国際関係学部教授。専門は南アジア芸能文化史。インド,デリー大学で南インド古典声楽を4年間学び,帰国後も継続して演奏活動を行う。著書に『近代インドにおける音楽学と芸能の変容』(青弓社,2006年),『ビートルズと旅するインド、芸能と神秘の世界』(柘植書房新社,2007年)ほか。

石橋 純|Jun Ishibashi

東京大学大学院総合文化研究科教授。東京外国語大学スペイン語学科卒業後,家電メーカー勤務中にベネズエラに駐在。のちに大学教員に転身。文化人類学・ラテンアメリカ文化研究を専攻。著書に『熱帯の祭りと宴』(柘植書房新社,2002年),『太鼓歌に耳をかせ』(松籟社,2006年)ほか。

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