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土木が創った文化「防災」~この国土に住む限り~

写真:いまから63年前の9月,関東,東北地方に記録的な大雨を降らせたカスリーン台風で,利根川のこの場所が決壊。未曾有の大水害をもたらした。いまは,民家を見下ろす高さの堤防が築かれている

いまから63年前の9月,関東,東北地方に記録的な大雨を降らせたカスリーン台風で,利根川のこの場所が決壊。未曾有の大水害をもたらした。いまは,民家を見下ろす高さの堤防が築かれている

埼玉県北埼玉郡東村(現・加須市)新川通。利根川の堤防が緑の壁のように長く連なり,地面からの高さは優に10mを超える。点在する2階建て家屋の屋根よりも高い。堤防の上から,遥か先に奥多摩や秩父の山々が望める。

いまから63年前の1947年9月15日深夜。房総半島をかすめたカスリーン台風は,関東の山間部に500mmもの大雨を降らせ,三陸沖に抜けた。利根川はこの場所で決壊。延長340mを破堤して,下流の東京都足立・葛飾・江戸川区など関東平野に未曾有の大水害をもたらした。死者・行方不明者は約1,200人にのぼった。

これを契機に,河川防災対策が検討され,戦後日本の治水の基本理念が打ち出された。利根川水系では1949年に策定された「利根川改訂改修計画」に基づき,長い歳月をかけて,片品川や渡良瀬川など上流山間部に矢木沢,奈良俣,草木など7ダムと渡良瀬遊水地を建設。中・下流域の河道浚渫や掘削,堤防拡幅,護岸工事などの事業が行われた。決壊地点付近の堤防は嵩上げされ,河幅が拡大されるなど,流下能力は大幅に向上した。

この利根川水系ダム群に加え,栃木・群馬県境付近の鬼怒川水系も,五十里ダムを始めとするダム群が整備されることになった。

写真:鬼怒川上流部では,4つ目の湯西川ダム建設が進んでいる。当社のダム技術の歴史が積層するダム群の集大成となる。相互に補完しあって,下流域の洪水被害軽減などに一層の貢献を果たす

鬼怒川上流部では,4つ目の湯西川ダム建設が進んでいる。当社のダム技術の歴史が積層するダム群の集大成となる。相互に補完しあって,下流域の洪水被害軽減などに一層の貢献を果たす

内務省(当時)から,カスリーン台風による利根川大決壊の緊急締切工事の特命を受けた当社(鹿島組)は,直ちに総動員態勢をとった。施工は超突貫で行われ,着工以来20日間で完遂。その実績が認められて,鬼怒川水系のダム群建設工事を担った。

その第1号となった五十里ダムは,暴れ川・鬼怒川の治水と用水を目的に1950年に着工した。国内初の堤高100mを超える重力式コンクリートダムである。アメリカの最新技術を学びながら手探りで築き,その後のダム建設のモデルとなった。続いて川俣ダム,川治ダムの工事が始まる。

高田悦久さん(現当社土木管理本部統括技師長)は1979年,川治ダム建設に従事した。「地図に残る大きな土木構造物を造りたい」。その一念で生涯の仕事に「ダム」を選んだという。入社して3年間赴任した三保ダム(神奈川県)からの転進だった。その後も奥野(静岡県),宮ケ瀬(神奈川県),滝沢(埼玉県),胆沢(岩手県)ダム工事へと続く。

「治水にはダムが一番合理的。大量の水を蓄え,容易に調節できるのはダムしかありません。しかも抜群の安全率を確保できる」。長い経験に裏打ちされたダム建設への強いこだわりと誇りがある。川治ダムには,湛水開始まで3年近く携わった。「一連のダム建設によって,洪水に対する安全度は向上し,多くの人命や財産を守ってきた」と,高田さんは胸を張る。

いま,鬼怒川上流部では,4つ目の湯西川ダム建設が進んでいる。当社のダム技術の歴史が積層するダム群の集大成となる。同時に,相互に補完しあって,下流域の洪水被害軽減と,都市用水・灌漑用水の安定供給,水環境の改善に一層の貢献を果たすことになる。

写真:カスリーン台風により決壊した利根川の緊急復旧は超突貫工事で行われ,着工以来20日間で完遂した

カスリーン台風により決壊した利根川の緊急復旧は超突貫工事で行われ,着工以来20日間で完遂した

高田悦久さんの写真

高田悦久さん

写真:首都圏外郭放水路の建設は,水害のない平穏な生活をという地域住民の願いを実現するため計画された。地下トンネルの全長6.3km,全工区の工期が10年にもわたる大治水事業だった

首都圏外郭放水路の建設は,水害のない平穏な生活をという地域住民の願いを実現するため計画された。地下トンネルの全長6.3km,全工区の工期が10年にもわたる大治水事業だった

各地で集中豪雨が多発している。気象庁によると,76年〜86年に時間雨量が50mm以上の回数は年平均160回だったのが,98年〜08年には239回に増えた。都市部では,一気に流れ込んだ雨水で河川が溢れ,浸水被害を引き起こす。そうした都市型水害を減らす切り札の一つとして,「雨水を流さず,貯める」取組みが進んだ。普段は空洞だが,大雨の時には氾濫直前の川の水を引き込む「地下ダム」の建設である。

千葉県との県境を流れる江戸川の西側に位置する埼玉県庄和町と春日部市。中小河川が多く,皿状の低地が広がる市街地は,台風シーズンなどの出水期になると,水浸しの状態が長く続いた。2006年に完成した「首都圏外郭放水路」は,その総合治水事業として行われた国内最大級の地下放水路工事である。

国道16号線の地下約50mに,6.3kmにわたってシールドトンネルを構築。各河川に増水した雨水を,地下トンネルを経て巨大な調圧水槽に集め,ポンプで江戸川に放水する。当社は5工区に分かれたトンネル工事のうち第3,第4工区と,第4立坑を担当した。

原廣さん(現当社横浜支店土木部専任部長)は,この工事の事務所長・副所長として携わった。「カスリーン台風で緊急締切工事をした同じ流域の安心・安全にかかわる仕事」に感慨を覚えたという。同時に,この付近の地盤面が東京湾から30km以上内陸にあるのに,海面からわずか6mしかないことに驚いた。

「周辺に住む人たちは,先祖代々にわたり洪水に悩まされたことが,よく分かりました」。カスリーン台風のトラウマを引きずる人もいたという。「そうした人たちに,放水路トンネルを喜んでもらえたことが嬉しかった」と,原さんは振り返る。全工区の工期が10年に及ぶ大治水事業で,建設関係者を支えたのは地域住民の安心への強い願いだった。

原さんはそれ以前にも,東京都内の善福寺川と神田川の水害防止のための「神田川・環状7号線地下調節池工事」の副所長も務めている。この治水施設の整備により,水害の頻発していた神田川中流域の安全性は大幅に向上した。

原 廣さんの写真

原 廣さん

写真:東京都は,阪神・淡路大震災での被災状況を踏まえて防潮堤の耐震補強工事を実施した。旧江戸川右岸の東葛西防潮堤工事もこの事業の一部として行われた

東京都は,阪神・淡路大震災での被災状況を踏まえて防潮堤の耐震補強工事を実施した。旧江戸川右岸の東葛西防潮堤工事もこの事業の一部として行われた

改ページ

東京の江東,墨田,江戸川区を中心とする海抜1m以下の臨海部や低平地の人々の生命や暮らしを高潮から守っているのが,防潮堤や水門,排水機場などの防御施設である。

旧江戸川(東葛西)防潮堤は,阪神・淡路大震災での河川施設の被災状況を踏まえ,高潮発生時と地震時の安全性を確保するための補強工事が行われ,2004年に完成した。当社がこの工事を担当。中村孝太郎さん(現当社東京土木支店土木部第三生産計画グループ担当部長)は2003年から工事事務所長として携わった。

工事は,江戸川区と千葉県浦安市を分ける旧江戸川の妙見島西側防潮堤を,約470mにわたって海底面以下の地盤改良と,鋼管矢板圧入などを実施した。「屋形船など係留船舶所有者などの協力も得ながら進めました。山本周五郎の小説『青べか物語』のモデルになった船宿の人もいて,工事の合間に漁師町の話などを聞くこともできました」(中村さん)。

1973年の入社後の4年間,中村さんは渡良瀬川の草木ダムの建設現場にいた。「普段は水量の少ない川が,大雨になると豹変する。自然の脅威を思い知らされました」と,当時を思い起こす。そして「住民の生活を守るには,発生してからの対応ではなく,自然災害を未然に防ぐ手立ての必要性を痛感します」というのである。草木ダムも,カスリーン台風後の利根川改訂改修計画により建設されたダムである。

中村孝太郎さんの写真

中村孝太郎さん

埼玉県久喜市本町に在住していた故三野亮さんが,カスリーン台風による洪水の状況を記録した日記が久喜市公文書館に残っている。

日記は,「朝はすばらしい天気だ。秋晴れのさわやかさである。このよき日が災害の日であった。おそるべき水害の朝が来ていたのである」で始まる。「昼食前の11時30分頃,近所の主人が,水だ,水がみえる,とあわてて家に飛び込み,遠くから白く光る水が見えてきた。水はみるみるうちに近くの水田をうめて流れ始めた」と記述している。

三野さんの恐怖を,その後この流域の人々が体験することはなくなった。カスリーン台風の記憶も消えつつある。しかし日本の脆弱な風土は,常に災害と背中合わせにある。そうした中で先人たちは,絶え間ない技術開発と英知で自然と向き合い,この国を住みなしてきた。建設業の歴史は自然災害との対峙の歴史といっても過言ではない。

利根川右岸のカスリーン台風決壊現場に,「決潰口跡」と記された石碑が建つ。石碑の背面には,工事事務所長と地元3村長の連名で,こう刻まれている。「この国土に住む限り治水を疎かにしてはならないことを痛感し,沿岸の方々と我々に続く河川工事関係者に,不断の努力を切望致します」。

写真:カスリーン台風決壊現場の碑。「決潰口跡」と書かれた石碑は,戦後の関東地方が体験した大洪水の記憶として建てられた

カスリーン台風決壊現場の碑。「決潰口跡」と書かれた石碑は,戦後の関東地方が体験した大洪水の記憶として建てられた

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