カジマ・オーバーシーズ・アジア 副社長
スナヤン・トリカリヤ・スンパナ 社長
大石修一(おおいし・しゅういち)
1959年生まれ,静岡県出身
- 1983年
- 鹿島入社。東京土木本部に配属。
富津出張所,奈良俣ダム工事事務所勤務。 - 1989年
- サンフランシスコ州立大短期留学後,カジマ・インターナショナル(KII)へ出向。ダラス営業所,ニュージャージー本社勤務。
- 1994年
- 関東支店 経理部。
- 1995年
- スナヤン・トリカリヤ・スンパナ(STS)社へ出向。
プロパティ・マネージャーとして,施設運営部門の組織づくり,運営管理手法の確立に務める。 - 2004年
- 開発の再開を前に,STS社長に就任。
- 2015年
- カジマ・オーバーシーズ・アジア(KOA)副社長。
成功の鍵となった鹿島の総合力
約25年の歳月を投じ開発に取り組んできた「スナヤン・スクエア」が,このたび,ホテル「フェアモント・ジャカルタ」のグランドオープンをもって,すべての開発フェーズを完了させました。
「スナヤン・スクエア」は,まさしく「鹿島の総合力」で創り上げたプロジェクトです。開発入手の経緯では,インドネシアにおける先人たちの偉業が深く関わっています。なかでも,ジャカルタ最初の高層ビル「ヌサンタラビル」やインドネシア初の複合商業施設「ラトゥプラザ」の評価は高く,各地での土木のインフラ整備工事も有名であり,開発コンペへの入札参加要請は,こうした実績によるものでした。
このプロジェクトの最大の特徴は,開発・設計・施工・運営を“オール鹿島”で手掛けている点です。開発の企画力,それを具現化していく高度な設計力,そして何より高品質な建物をつくる技術力と施工力をもちあわせている当社は,新興国での開発事業では大きな強みとなりました。各専門分野から,“妥協のないものづくり”という共通スピリットをもった者たちが集まり,チームとなって一つの目標に立ち向かったわけです。これが,プロジェクトを成功に導いた最大の要因と言えるでしょう。
そして,チームには揺るぎない指導者の存在が必要です。それは,社長時代からプロジェクトを見守り続けてくださった鹿島昭一最高相談役に他なりません。インドネシアの成長を見据え,一貫して高い水準の施設とサービスの提供を指導され,真の環境創造というものを教えていただきました。加えて,暴動による社会不安の時代には,事業自体の存続が危ぶまれる声も出る中,最高相談役の後ろ盾によって,我々は事業の成功を信じ,挑戦し続けることができたのです。
また,開業当初の混乱をものともせず日本の標準を導入した橋本雅夫初代社長,開発が中断した7年間を,静かながらも強い意思をもって乗り切った市來孝前社長へも,謝意を表します。市來社長が取り組んだ文化・慈善活動はいま,「スナヤン・スクエア」の精神となって息づいています。
「スナヤン・スクエア」は,ジャカルタにある他の複合開発とは一線を画す存在へと成長しました。オフィスやアパートメントはジャカルタでも最高ランクの賃料と稼働率を維持しています。モールは高級ブランドをはじめ他にはないユニークな店舗を多数展開しており,十分な駐車スペース,ホテル並みの清潔なトイレ,快適なイスラム教礼拝施設などのサービスは現地の人々に喜ばれ,連日大賑わいです。こうした各施設の運営・企画・管理も,ローカルスタッフを中心としたSTSの従業員が手掛けています。五つ星ホテル「フェアモント・ジャカルタ」の開業で,益々「スナヤン・スクエア」のブランド力が高まることを期待しています。
私もこの開発に参画して20年が経ちました。これだけの規模の事業を担当できたことは,会社人生において大変幸運だったと感謝する次第です。今後は,ここで培った経験を,KOA全体の開発事業へと生かしていきたいと考えています。
8月6日,「フェアモント・ジャカルタ」で行われたグランドオープン式典の様子。押味社長はじめ当社グループ役員・関係者,インドネシア政府や各国の大使館関係者など,総勢700名が集まり,ホテルのオープンとプロジェクト全体の完成を祝った
1960年代
鹿島守之助会長は日本人初のインドネシア共和国の功労勲章を受章(1969年)
当社は戦後の賠償工事によってインドネシアに進出。インフラ整備事業を中心に20件超の工事に従事した。鹿島守之助会長は62年から11年間,日本インドネシア協会会長を務め両国の親善を深めた。
1970年代
70年代に入ると国際入札工事にも積極的に挑戦。75年には,現地の大手建設会社との合併会社「ワスキタ・カジマ」社を設立し,建設請負工事の基盤を確立するとともに,現地への技術支援や人材育成に努めた。
1980年代
民間建設需要の増大で,オフィスビル,ホテル,日系企業の工場建設が急増。88年には,アジア現地法人「カジマ・オーバーシーズ・アジア(KOA)」がシンガポールに設立される。
- 88年
- インドネシア政府よりスナヤン開発の入札参加の要請を受ける
- 89年
- 当社案に決定。インドネシア政府と基本契約を締結。「スナヤン・スクエア」開発スタート
1990年代
KOA傘下に開発・運営会社「スナヤン・トリカリヤ・スンパナ(STS)」社を設立(90年)し,開発が本格始動する。98年には,建築施工会社の「ワスキタ・カジマ」がKOA傘下の「カジマ・インドネシア」に再編される。
- 96年
- ショッピングセンター「プラザ・スナヤン」,デパート「METRO」開業40年間のBOT事業がスタート
- 97年
- 「オフィス・1」開業
タイでアジア通貨危機発生,東アジア諸国へと伝播 - 98年
- 「アパートメント・A棟&B棟」開業
アジア通貨危機に端を発しジャカルタ大暴動が勃発。不安定な社会情勢が続き,テナント・住民は多数退去し,新規開発の中断を余儀なくされる - 99年
- デパート「SOGO」開業
2000年代
社会不安を乗り越え,開発が急ピッチで進む(2008年当時)
2000年代前半は各地で爆弾テロなどが多発した。約7年にわたり凍結した開発が2005年に再開。継続的に施設建設が行われていく。
- 05年
- 商業施設「アルカディア」開業
- 07年
- リテイルカーパーク増築。
シネマ移転・飲食エリア拡張完了 - 08年
- 「オフィス・2」開業
ショッピングセンター「プラザ・スナヤン」ファサード改修完了
2010年代
開発フェーズが完了した「スナヤン・スクエア」全景
- 10年
- 「オフィス・3」開業
- 12年
- 「アパートメント・C棟&D棟」開業
- 15年
- ホテル「フェアモント・ジャカルタ」開業
開発フェーズの完了
2036年BOT期間終了予定