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特集 地震に備える 「揺れ」からまもる鹿島の技術

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未曽有の被害をもたらした巨大地震「東北地方太平洋沖地震」から半年。
被災地の一刻も早い復旧・復興が望まれるとともに,
今後発生が予想される 東海・東南海・南海の地震や全国各地で起こりうる
直下型地震など,これからも大地震に対する万全の備えが求められる。防災月間の今月は,
持続可能で安全・安心な生活をまもるため,当社が培ってきた耐震技術の現在をリポートする。

地震からまもる技術の進化

「霞が関ビル」から築いてきた技術

関東大震災(1923年)や十勝沖地震(1968年),宮城県沖地震(1978年),阪神・淡路大震災(1995年)などの大地震を教訓にして,その都度,地震に対する耐震設計法が見直された。当社は常にその先の品質を求めて技術を開発してきた。

1968年に竣工した日本初の超高層ビルである霞が関ビルの計画は,当社の耐震技術の進化の原点となった。関東大震災や戦災で焦土と化した首都東京が,その復興からさらなる経済成長を遂げるため,土地の高度化利用とそれに伴う耐震技術の向上という大きな命題が与えられた。これを解決する耐震工学のポリシーは,「いかにして大地震に安全に耐えうるか」。耐震工学の世界的権威で霞が関ビルに柔構造理論を取り入れた故武藤清副社長に始まり,制震構造のパイオニア,故小堀鐸二副社長へ,そして今日まで脈々と受け継がれてきた設計姿勢である。

霞が関ビル建設時に開発されたコンピュータの導入による高度な応答解析の実現や大型H型鋼,デッキプレートによる施工の合理化など,今日では一般的となっている技術開発をもとにその後の超高層ビルを次々と建設して「超高層の鹿島」と呼ばれた。こうした実績の積重ねが設計技術を進化させる。

耐震から制震・免震へ

霞が関ビルで確立された超高層ビルの耐震構造は,40年以上経った今日では計2,000棟を超える超高層ビル設計の基本となっている。これをベースに,より高い安全性と居住性というニーズに応える構造として,制震構造と免震構造が開発されてきた。「制震」は建物内に地震力を吸収する装置を設置して建物の揺れや変形を小さくし,「免震」は地盤と建物を構造的に絶縁する装置を設置することで建物の揺れを低減する構造である。これらは立地条件や建物形状・用途により採用すべき構造が異なってくる。東日本大震災では,構造躯体の被害は比較的軽微にとどまり,耐震性向上がみられたという。一方で,天井などの非構造部材や設備器具類に多くの不具合が発生し,事業活動の中断により社会・経済全般に混乱をきたした。これからは構造体のみならず,二次部材や設備類を含めたより総合的な機能保持の取組みが求められる。

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大地震と当社の耐震技術のあゆみ

図:大地震と当社の耐震技術のあゆみ

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