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Cultural Facilities and Broadcasting Station:文化とメディアの発展

熱気に包まれて──渋谷公会堂

「公会堂は昨年10月にオリンピック東京大会の重量挙げの会場として使用され,日本中の人々が金メダルは如何かと一喜一憂した場所である」 【1965年4月号】

1965年2月に全体竣工した渋谷区総合庁舎および公会堂(設計:建築モード研究所)。渋谷公会堂は国内外のアーティストによるコンサートや,テレビの公開放送など,イベント会場のメッカとして有名だ。その公会堂が最初に使用されたのは,上述のようにオリンピックの競技会場としてであった。競技では出場した重量挙げ日本人選手が全員入賞という快挙を成し遂げ,コンサートとは違う熱気に包まれてデビューした異色の建物だったのである。

1965.4

図版:渋谷公会堂

図版:渋谷公会堂

改ページ

図版:渋谷区総合庁舎(左)は行政の合理化および能率化に重点を置いて計画された近代的な建物だったが,施設の老朽化のため,公会堂(右奥)と合わせて2015年に解体され,その後建て替えられる予定

渋谷区総合庁舎(左)は行政の合理化および能率化に重点を置いて計画された近代的な建物だったが,施設の老朽化のため,公会堂(右奥)と合わせて2015年に解体され,その後建て替えられる予定

放送文化の発達史を築く

「…ほかにも周辺でつくられた競技場,岸記念体育会館,NHK放送センターとオリンピック関連工事が同時に出件し,ワシントンハイツ周辺はさながら各社建築の“オンパレード”といった感じで,道路改修工事と相まって,戦場のような慌ただしさでした」 【1965年11月号】

東京オリンピックは,別名「テレビオリンピック」として放送業界に語られている。世界に向けてテレビ衛星中継が行われた初めての大会でもあったのだ。

1965.11

その拠点として渋谷に建設されたのがNHK放送センターだった。大会時にはNHKのテレビやラジオ放送はもちろん,諸外国の放送センターとして利用された。女子バレーボールチーム「東洋の魔女」の伝説的な中継を始め,メディアを通して日本中で一体感をもつ国民的イベントの発信拠点となった。

ほかにもこの時期に,民放の発展をリードしてきたTBS東京放送本社社屋とTBS会館,開局した東京12チャンネル(現テレビ東京)の東京タワー放送センターなどの建設を当社が担っている。

──およそ50年前につくられていった交通インフラや建築群の数々は,首都機能の向上から,文化やメディアの進歩にいたるまで都市生活の発展に大きく寄与した。この時代を経て日本は世界に名だたる成長を遂げ,国家のかたちを築き上げていったのである。

こうして半世紀前の誌面をふりかえってみると,建設ラッシュの熱気とエネルギーがつぶさに伝わってくる。くわえて,プロジェクトの数々を舞台裏から堅固に支えた建設技術もまた,今日まで引き継がれている偉大な都市遺産だと言えるのではないだろうか。

改ページ

東京・赤坂に建てられたTBS本社社屋,東京放送会館(1961年)とTBS会館(64年),ともに設計:山下設計。ラジオ局舎として最高の音響技術を誇るなど,放送技術と建設技術を結集した「文化の殿堂」と謳われた

東京・赤坂に建てられたTBS本社社屋,東京放送会館(1961年)とTBS会館(64年),ともに設計:山下設計。ラジオ局舎として最高の音響技術を誇るなど,放送技術と建設技術を結集した「文化の殿堂」と謳われた

手前がNHK放送センター(設計:山下設計)。大会後,オリンピック用の施設を撤去し,本格的な放送センターが完成した(1968年)

手前がNHK放送センター(設計:山下設計)。大会後,オリンピック用の施設を撤去し,本格的な放送センターが完成した(1968年)

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