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Metropolitan Expressway:築かれた大動脈と技術 首都高速道路

モータリゼーションの到来

「近年,東京における路面交通の錯綜化は首都の機能をも低下せしめ,わが国経済のガンとさえいわれている。このマヒ状態にある東京の道路交通の現状を打開して,交通の円滑化を図るため立体交差方式による首都高速道路の建設が都内各所において進められている」——「鹿島建設月報」 1963年9月号

ときは高度経済成長前期,終戦当時13万5,000台だった日本の自動車登録台数が,1963年には440万台を突破するという,モータリゼーションの波が劇的に押し寄せた時代である。自動車の普及とともに道路網の整備は喫緊の課題となり,首都東京の慢性的な交通渋滞の緩和を目指して1959年6月,首都高速道路公団(現首都高速道路)が誕生した。現在,総延長300kmを突破する「首都高」は,60年に開通した京橋〜芝浦間4.5kmを始まりに,そのネットワークを次々と拡張していった。まさに東京中で道路建設の鎚音が響いていた。

図版:4号線一石橋工区。一石橋より日本銀行前を経て鎌倉橋に至る日本橋川上に高架橋を築いた。工事には多数の台船が使われた

4号線一石橋工区。一石橋より日本銀行前を経て鎌倉橋に至る日本橋川上に高架橋を築いた。工事には多数の台船が使われた

都市土木の技術発展

首都高1号羽田線から4号新宿線は,東京国際空港(羽田空港)と,競技施設のある神宮地区を結ぶため,首都高速道路公団が「東京オリンピックまでに」を合言葉に掲げ,建設を進めていた。

当社の施工した1号線第100工区は,空港からの起点となるまさに喉元ともいえる工区。本来なら高架構造となるべき場所だったが,道路が滑走路に平行して200mしか離れておらず,高架にすると空港の高さ制限に触れてしまう。そのため,羽田地区に入る手前より空港内を地下構造とした。さらに空港近くの海老取川付近の土質が極めて軟弱であることなどから,河底トンネルに当時わが国初となる,本格的な沈埋工法が採用された。

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図版:空港から都心を結ぶ,東京モノレール羽田線と,首都高1号羽田線

空港から都心を結ぶ,東京モノレール羽田線と,首都高1号羽田線

図版:沈埋工法でつくられた河底トンネル入口。長さ56m,幅20m,高さ7.4mの鉄の箱に現場で水を入れて沈め,海底で固定させてから水を抜き,トンネルを構築していく

沈埋工法でつくられた河底トンネル入口。長さ56m,幅20m,高さ7.4mの鉄の箱に現場で水を入れて沈め,海底で固定させてから水を抜き,トンネルを構築していく

立体化する都市

前ページの写真,「デビダーク(ディビダーク)工法」の看板が大きく掲げられた首都高3号線渋谷駅前312工区。国鉄(現東日本旅客鉄道)山手線,東急東横線,および渋谷駅前の交通密度の高い道路を跨いで高架橋を設置するため,当時,山間部で谷に橋を架ける際に使われていたディビダーク工法(張出し架設)を初めて都市部で採用し,非常に注目された。その時の工事所長が「(担当していた)川俣ダムの標高1,000mから渋谷の標高20mへ下りてきて,とにかくめんくらいました」と,ダム現場から車や都電の錯綜する都市土木へ異動した戸惑いを本誌(1964年2月号)で語っている。

経済成長にともなって都市は立体化し,そのひとつの象徴のような首都高は,初めての完全な立体道路網,つまり信号のない自動車専用道路として誕生した。建設技術もそれに対応すべく,新たな発展を遂げていったのである。

図版:完成した渋谷高架橋。すっきりと洗練されたかたちが目をひく

完成した渋谷高架橋。すっきりと洗練されたかたちが目をひく

図版:3号渋谷線渋谷駅前工区。交通量の非常に多い場所のため,深夜にフォルバウワーゲン(作業車)を組み立て,2台を用い張出し架設を行った

3号渋谷線渋谷駅前工区。交通量の非常に多い場所のため,深夜にフォルバウワーゲン(作業車)を組み立て,2台を用い張出し架設を行った

図版:別名「やじろべえ工法」とも呼ばれるディビダーク工法。本工事で初めて都市部で採用された

別名「やじろべえ工法」とも呼ばれるディビダーク工法。本工事で初めて都市部で採用された

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Column:郊外と都心部をつなぐ地下鉄整備

当時は東京に限らず大阪や名古屋,そして神戸で,路面電車やバスなどに代わる主要な都市交通になるべく,急ピッチに地下鉄工事が進められていった。1927年に上野〜浅草間で日本初の地下鉄(現東京メトロ銀座線)が開業して以降,おもに都心内部の巡回路線を中心につくられた地下鉄だったが,郊外の人口増にともない首都圏近郊から都心への鉄道の整備拡充が求められた。そのなか1960年代前半には,都営地下鉄浅草線や営団地下鉄日比谷線が,初めて私鉄の京成線や東武伊勢崎線との直通運転を開始している。

この頃当社では,オリンピックに向けて建設が進められていた都営地下鉄の江戸橋工区を担当し,江戸橋駅(現都営地下鉄浅草線日本橋駅)を完成させるなど各所の地下鉄整備に関わっている。

図版:営団地下鉄銀座線浅草駅拡張工事の様子

営団地下鉄銀座線浅草駅
拡張工事の様子

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