鉄道,道路につづく「第三の交通機関」
「“21世紀の乗り物” “第三の交通機関”あるいは“夢の空中鉄道”と呼ばれて脚光を浴びるモノレール羽田線がいよいよ…開通の運びとなった」 【1964年9月号】
モノレール建設技術のパイオニア
オリンピックの際に増大する観光客を空港から都心へ輸送するため,首都高1号線と並行するかたちで羽田〜浜松町間に全長13.2kmのモノレールが建設された。当社はこの路線のうち,海老取川横断を含む2工区,軌道桁製作,浜松町ターミナルビルなどの施工にあたった。
建設を担った橋梁は,川や海上部分では足場が組めないため,橋脚の両側に片持ち梁を張り出すディビダーク工法でつくられたほか,空港近くの河底トンネルは首都高1号線と同様の沈埋工法を用いた。同じ手法を平行して用いることで工期短縮などに大きく貢献した。
当社では,これに先立つ1961年,愛知県犬山に遊園地内を走る日本初のモノレール(名古屋鉄道)を施工している。新時代の交通機関における工事のパイオニアとして,技術開発による市場開発促進のひとつの形がこのモノレール建設に見られていた。
東京国際空港では,当時1日200回におよぶ航空機の発着があり(1963年の月報より。ちなみに2014年時点では,D滑走路の完成によって約600回以上に増加)手狭となったため,翌年のオリンピックを控えて延長3,270mにわたる新滑走路(C滑走路)を建設,1964年4月に竣工した。
下はその1年前に完成した日航整備原動機工場。空港敷地内の一角に建ち,整備部門の中核をなす建物だ。当社は,第二次大戦終戦直後から羽田の空港関連施設の建設に関わってきたが,日進月歩の発達を遂げる航空機の需要に応えるため,東京オリンピック開催に向けて滑走路,高速道路,そしてモノレールと,各種の建設を担っている。