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鹿島紀行 夏 復興を支える人を訪ねて ──城の蘇生待ちわびる 白河・小峰城跡石垣復旧工事

写真:小峰城花火大会写真コンテスト2013 市民賞「虹色に咲く」

小峰城花火大会写真コンテスト2013 市民賞「虹色に咲く」

国の史跡に指定され,日本100名城のひとつとされる福島県の小峰城。JR白河駅のホームから北側正面に,美しい三重櫓(天守)が見える。約670年前の南北朝時代に築城され,東北地方では盛岡城や鶴ヶ城などとともに希少な総石垣造りの城である。

その総延長2kmに及ぶ石垣が,東日本大震災により10ヵ所,延べ160mにわたって崩落した。これまで何気なく眺めていた石垣の無残な姿に,改めて地元のシンボルであり,心の拠り所だったことを強く感じた白河市民も多かったという。

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写真:震災直後の小峰城跡。余震が続き,10ヵ所にわたり石垣が崩落した(写真:白河市提供)

震災直後の小峰城跡。余震が続き,10ヵ所にわたり石垣が崩落した(写真:白河市提供)

「小峰城跡石垣復旧工事」は2013年9月に,鹿島・鈴木特定建設工事共同企業体の施工でスタートした。本丸南面の石垣の修復が,いま佳境を迎えている。工事期間中は城郭内の立入りはできないが,城の歴史や石垣修復の概要が記された仮囲い越しに,櫓の姿と工事作業の様子が垣間見える。

この日も「観光ボランティアツーリズムガイド白河」の会長を務める渡部武さんは,観光客のガイドに余念がなかった。工事中とは知らずに訪れた人には,「10mの高さに積み上げられていく石垣を目の前で見る機会など,滅多にないですよ。しっかりと見ていってくださいね」と,ユーモア溢れる口調で和ませる。神奈川県から来たという老夫婦が,仮囲いの中を熱心に覗き込んでいた。

渡部さんは東京都品川区で生まれ育ち,田舎暮らしに憧れて,19年前に夫婦で白河市に移り住んだ。たちまち白河の歴史の面白さに魅せられ,ボランティアガイドに参加。「小峰城があったからこそ,いまの自分がある」というほど,城に惚れ込んだ。

写真:城の入り口では,ボランティアガイドの皆さんが出迎えてくれる。中央が渡部武さん

城の入り口では,ボランティアガイドの皆さんが出迎えてくれる。中央が渡部武さん

白河は,白河関が設置されるなど,奥州の関門として重視された古くからの要衝の地。南北朝時代に結城親朝が建立した小峰城は,江戸時代になって,初代白河藩主・丹羽長重が大改築を行った。松平定信をはじめ7家21代の城主交代を繰り広げた舞台であり,1868(慶応4)年の戊辰戦争では,会津藩兵らからなる奥羽越列藩同盟軍が,南から押し寄せる新政府軍を迎え撃った。そんな城のダイナミックな歴史が,渡部さんを魅了したのだ。

あの日,白河市も震度6強を観測し,約1,000棟が全半壊,12人が亡くなった。渡部さんは翌日,自宅から車を走らせ,城を見に行った。「崩れ落ちた石垣をただ茫然と眺めるだけでした」。余震でさらに被害は広がり,もうガイドも無理かなと思った。ところが,「いつも通りに咲いた城の桜の下に,仲間たちが集まってきましてね。せっかく来てくれる歴史好きや石垣ファンの方などのお役に立たねばと,ガイドを復活したのです」。

小峰城の魅力のひとつになっている石垣だが,これまで何度となく崩落したことで,時代時代の様々な工法の石積みを見ることができる。「ここには“半同心円型落し積み”と呼ばれる珍しい手法の石垣があって,これを見に来る石垣ファンも多い」と教えてくれたのは,地元・小松石材工業の石工職人の鈴木浩一さんと森忠夫さんだ。「小峰城は白河市民の誇り。自分が石屋としてお城山の仕事に関われるのが嬉しい」と,作業の手に力がこもる。

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写真:震災前の本丸南面石垣。“半同心円型落し積み”と呼ばれる珍しい手法は“鷹の目”を現しているという説も(写真:白河市提供)

震災前の本丸南面石垣。“半同心円型落し積み”と呼ばれる珍しい手法は“鷹の目”を現しているという説も(写真:白河市提供)

写真:石垣復旧工事が進む小峰城跡

石垣復旧工事が進む小峰城跡

写真:鈴木浩一さん(右)と森忠夫さん

鈴木浩一さん(右)と森忠夫さん

写真:“半同心円型落し積み”の石材配置を確認する工事関係者

“半同心円型落し積み”の石材配置を確認する工事関係者

小峰城跡石垣復旧JV工事事務所の小杉禎一所長は,「通常の石垣修復は,解体前の調査をして初めて修復可能になりますが,今回の場合はそれができない。手がかりは昔の写真と文献だけなのです」という。崩れた石は2,700個を数え,1石ずつ番号を付けた後,再利用の可能性を含めた石材カルテを作成。石垣模様を,震災前の写真に合わせて修復していく。石1個の重さは300kgから1,000kgもある。

「今回の工事は,昔ながらの工法で復旧することが命題ですが,そこに現代の知恵・土木技術をひと手間加えることで,より寿命の長い石垣を修復して,文化財保護につなげたい。石垣の全貌が見えた時,“震災前と同じだ”と感じて頂けたら嬉しいですね」。来春の一部一般公開を目標に,修復を急ぐ。

写真:小杉禎一所長

小杉禎一所長

7月6日,石垣復旧工事の現場で,復興祈願のイベントが開催された。約270名の参加者が1人200円の修復基金を寄付して,石垣の裏側に詰める“裏込め石”に願い事を書く。白河市建設部文化財課の鈴木功さんは「小峰城の復興を一緒に支えるという意識と愛着を持ってもらえたら…」と,その狙いを話す。

「震災直後,毎日お城を見に来る市民の姿を見ました。変わり果てた石垣を見て涙を流す人もいました」。石垣修復にあたっては,工事の経過を,市民をはじめ多くの人々に公開し,文化財としての重要性を伝えていきたいと,鈴木さんはいう。

裏込め石は,石垣の表に置く築石の背面に詰める。長さ10~20cm,厚さ3~10cmの大きさ。震災で崩れた裏込め石をそのまま使っている。「復元したら又来ます。早く復元できますように」。城の蘇生を待ちわびる人たちの思いがこもる。

毎月第1・3日曜日に,工事現場が一般公開されている。震災から3年,市民の大半が通常生活に戻るなか,城の蘇生が白河市の震災復興のシンボルになっている。

写真:鈴木 功さん

鈴木 功さん

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写真:復興祈願イベントでの様子

復興祈願イベントでの様子

写真:復興への願いが書かれた裏込め石

復興への願いが書かれた裏込め石

8月3日には,小峰城に隣接する城山公園を会場に,5,000発の花火が打ち上げられた。白河の夏の風物詩として,毎年行われている「白河関まつり・市民納涼花火大会」である。今年も県内外から約3万人の観客が集まり,照らし出される小峰城とともに,華々しく咲き誇る大輪の花火を愛でた。

「糸井火工」5代目社長の糸井一郎さんは,50年以上にわたり白河関まつりの花火を制作してきた。3年前の夏も白河の花火大会は開催された。糸井さんはその年,柳の葉のようにしだれ落ちる残光が美しい日本古来の「冠菊(かむろぎく)」を大量に打ち上げて,亡くなった人々への慰霊・鎮魂の思いをこめた。

「こうした年だからこそ,花火大会を開催しなくては」。まつり主催者の白河観光物産協会の平瀬伸治さんは,強い決意で花火大会開催に奔走した。花火販売業者の斎藤銃砲火薬店の斎藤慎一さんは,協会から花火大会のオファーを受け,仕事へのモチベーションを取り戻した。

糸井さんの自宅は全壊し,工場にも被害が及んだ。仕事の再開を半ば諦め,半数以上の社員を同業者のもとに預けていたが,白河の花火が糸井さんの背中を押した。県内外の花火師仲間も協力を買って出た。花火文化を守りたいという気持ちになった。「お城と花火が一緒に見られるロケーションは数少ない。白河の花火会場は,小峰城でないと駄目なのです」。修復工事がひとまず一段落する来年の夏はどんな花火を打ち上げるか。6代目の秀一さんと“秘策”を練る。

写真:白河関まつりの花火を手掛ける斎藤慎一さん,糸井一郎さん,平瀬伸治さん(左から)

白河関まつりの花火を手掛ける
斎藤慎一さん,糸井一郎さん,
平瀬伸治さん(左から)

石垣修復現場の周りを巡る渡部さんの口調は,この日も滑らかだ。いつしか観光客に笑顔が広がる。「来年の桜まつりの頃には,三重櫓まで見学できるようになると聞いています。ぜひ見に来てくださいね」。小峰城と桜── 渡部さんが一番好きな風景だ。来年の春が待ち遠しい。渡部さんの「ツーリズムガイド白河」の緑色の帽子が,強い夏の日差しの中に揺れている。鹿

写真:三重櫓と桜

三重櫓と桜

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