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樹木がもたらすもの

他に何もない芝生の広がりよりも,
木陰をつくる樹木が立っている方が安心できる風景になる。
それは樹木がもたらす快適な空間だけではなく,
樹木が生きてきた時間の厚みを感じることで,
私たちがその風景を信頼するからではないだろうか。

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大学キャンパスに立つケヤキの傍らに座る学生たち

木の傍らへ

たとえば公園へピクニックに出かけ,レジャーシートを広げて座るとき,どんな場所を選ぶだろうか。まずは土が露出した地面は避け,芝生に覆われたところを選ぶだろう。湿っておらず,乾いた平坦なところが望ましい。地面は柔らかすぎても固すぎても座りにくい。刈られた芝生はほどよい固さを提供してくれる。多少の傾斜は構わないが,あまりに急斜面だと座りにくい。人が通る通路のすぐ脇は避けたい。明るい場所が好ましいが,季節によってはあまりに日当たりがよいと暑いかもしれない。

芝生のなかに樹木が立っていたらどうだろう。樹木の傍らまで歩いて行って,木陰に座るだろうか。あるいは樹木を避けて芝生の中央に陣取るだろうか。もし,樹木の傍らに座ることを選ぶのならば,あなたは公園利用者の多数派に属している。公園の「静的レクリエーション」と呼ばれる,散歩や休憩などの利用において,芝生に座って場所を専有する利用者の約80パーセントは開けた芝生と樹林との境界部分を選ぶことが知られている。つまり多くの人は樹木に寄り添って座るのである。また,樹木に対しては,樹冠(樹木上部の枝が広がった部分)の先端に対して,その高さの約1.5倍の距離をとって腰を下ろすことが多く,樹木の影に対しては,影の先端部,陽の照っている部分と影との境界領域を占有する割合が最も高いことが観察されている。つまり,芝生と樹木がある公園では,樹木の近くの木陰のエッジのあたりが最も多くの人が好むスポットなのである。

*進士五十八ほか「安定空間の構成に関する研究(3)」『日本建築学会関東支部研究報告集』Vol 49,1978年

私の勤務先の大学のキャンパスの高木が点在するエリアで学生を相手にささやかな実験をしてみたことがあるが,その結果もこの研究結果を裏付けるものだった。50名ほどの学生に対して,居心地よく座っていられる場所を選んで報告してもらったところ,多くの学生が樹木の周りを選んでいた。

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学生が選んだ「居心地よく座ることができる場所」。
三角形は身体の向きを表す(Google Earthの画像を基に筆者作成)

樹木が示すこと

なぜ私たちは樹木の傍らを心地よく感じるのだろうか。もちろん季節にもよるが,まずは樹木がつくる木陰の快適さがあるだろう。枝や葉は人工的な屋根よりも柔らかく日を遮って,木漏れ日のある影をつくる。落葉樹であれば,夏は木陰をつくり,秋冬には葉が落ちて根元まで日が当たるようになる。幹が直立し,枝葉が高く伸びて根元に木陰空間ができる樹種は「緑陰樹」と呼ばれる。ニレ科のケヤキやエノキなどが代表的でよく用いられるが,サクラなどの花木も緑陰樹になる。もちろん,緑陰樹は快適な木陰をつくるためにそんな樹形をしているわけではなく,より高く広く枝葉を広げて光合成するために進化した形態を人間が利用しているだけなのだが。

また,大きな樹木には「時間の厚み」があり,それが私たちを惹きつけているようにも思う。言うまでもなく樹木が大きく成長するためには時間がかかる。種子から育ったケヤキが木陰をつくるようになるまでには数十年の時間が必要だ。逆に言えば,私たちは大きな樹木を眺めるとき,そこに数十年の時間を感じ取ってしまう。巨大な樹木は,その樹木が発芽して大きくなるまでの時間が形になってあらわれている。植物が育つには,それなりの環境が前提となる。つまり,大きな樹木がそこにあることは,数十年(場合によっては数百年)の間,そこには植物が生育することができる良好な環境があり続けてきたということだ。さらに,数十年続いてきた良好な環境は,これからも当分続くんじゃないかという未来の環境への期待も生む。新しく建設される施設に,すでに大きく育った樹木を植えることには,このような意味もあると考えられる。その敷地の環境のよさを,過去や未来に拡張して演出するのである。大きな樹木を買うことは,その樹木が育ってきた数十年の時間を買うことにほかならない。

このような「時間の厚み」によって,大きな樹木はその周囲の環境とともに,いわば頼りになる,信頼に足る風景を顕出するのではないだろうか。

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樹木の下に人が集う場所(藤沢市遠藤,撮影:原田馨子)

以前,設計を担当したインドネシア・ジャカルタ市のプロジェクトで,オフィスビルと店舗に囲まれた都市広場に木を植えたことがある。広場の四隅に立つシンボルとして私たちが選んだのは,フィカス・ベンジャミナという熱帯性のクワ科の高木だった。建設当時は高さ5メートルほどでやや頼りない様子だったが,植栽してから二十数年を経て,現在では4本とも高さ15メートルを超える大きさに成長している。雄大な樹冠が広がり,気根が垂れ下がって,神々しいくらいの巨樹である。木陰は休憩するオフィスワーカーでいつも賑わっている。巨樹はそれ自体が持続的な環境を示唆する存在である。つまり「ずっとそこにあった」かのような景色を呈する。私たちが大きな木に身を寄せるのはそのためかもしれない。

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植えたばかりのフィカス・ベンジャミナ
(Plaza Senayan,1998年)

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巨樹に育ったフィカス・ベンジャミナ
(Plaza Senayan,2017年)

いしかわ・はじめ

ランドスケープアーキテクト/慶應義塾大学総合政策学部・環境情報学部教授。
1964年生,鹿島建設建築設計本部,米国HOKプランニンググループ,ランドスケープデザイン設計部を経て,2015年より現職。登録ランドスケープアーキテクト(RLA)。著書に『ランドスケール・ブック—地上へのまなざし』(LIXIL出版,2012年),『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い』(LIXIL出版,2018年)ほか。

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