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五感に訴える空間デザイン
~デザインの工夫を支えるエビデンス~
空間認識は、視覚だけではありません。聴覚や触覚、気流の流れ、温熱感、場合によっては嗅覚なども使って空間を認識しています。しかし、多くの人はそれをあまり意識していません。例えば、私たちは混雑する駅などで階段を本当に視覚だけで認識しているでしょうか?上り下りする足音で階段の存在に気づくのではないでしょうか?
視覚情報を得ることが難しい人は、人の足音や車の音、店舗固有の音や匂い、縁石や路面の凹凸などの足裏感覚など、日頃ものが見えている人では意識しない音(聴覚)や足裏感覚(触覚)、匂い(嗅覚)など、視覚以外の情報を活用して空間を認識しています。音情報を得ることが難しい人は、情報は主に視覚で取得しています。例えば、階段の折り返し部分では、カーブミラーで視覚により人の姿が確認できれば衝突を回避できます。
このように、視覚、聴覚、触覚、嗅覚などを複数組み合わせ、情報を提供することで、より多くの人にとって利用しやすい空間をつくることができると考えています。
五感に訴える空間:KIビル
色彩計画で空間をわかりやすくする【視覚】
色差を用いてわかりやすい色の組合せを評価する手法や、色覚異常に関するシミュレーションがあります。
この手法により、高齢者やものが見えにくい人、色覚異常がある人でも識別しやすい色の組合せを検討して、色彩によりわかりやすい空間や、認識しやすいサインをデザインすることができるようになります。
事例:柏瀬眼科の色彩計画
この眼科のインテリアやサインの色彩計画は、色差による高齢者・ロービジョン者(ものが見えにくい人)でも識別しやすい色の組合せ評価シミュレーションを用いて検討した結果を反映しています。
明るい色の家具や医療機器のあるエリアと壁際(歩行に注意が必要なエリア)は、床を濃紺の柔らかいタイルカーペットとしました。家具や医療機器と床のコントラストを十分確保し、それらを発見しやすくすることで家具などへの衝突防止に配慮しています。また安心して歩行できるエリアは、薄いベージュの硬い塩ビタイルとし、空間の中で歩行エリアを際立たせることで、ロービジョン者(ものが見えにくい人)でもわかりやすいように工夫されています。
竣工後にアイ・マーク・レコーダー(視線の動きを測定する機械)を使って、デザインの有効性について評価しました。
事例:西葛西・井上眼科病院
この建物は、東京都江戸川区にある眼科専門病院です。同グループのお茶の水・井上眼科クリニックでのユニバーサルデザインの取り組みを踏襲し、更に「五感に訴える空間」をコンセプトにスパイラルアップを図りました。
外来エリアでは、柔らかいタイルカーペットの中に硬い塩ビタイルをひし形に誘導方向に沿って配置することで、踏み心地や足音の違いによって視覚機能に問題がある患者さんに誘導方向を示しています。更に、この塩ビタイルの敷いてある部分の天井に照明を配置し、視覚的にも誘導方向を示す仕組みをデザインしました。所々にある白いひし形のアクセントは、分岐点を示しています。また、通路エリアは黒色とし、家具などがあるエリアは、茶色のタイルカーペットとして、エリアを色分けしています。
病棟エリアの廊下では、壁際の床の色を濃くしたボーダーデザインにより、通路のエッジを強調しています。病室の入口がある床部分に白い塩ビタイルを敷設し、足裏で病室の入口のある位置が確認できるようにしています。病室の入口の横には、部屋番号が浮き出し文字で設置されており、手で触って確認できます。更に、夜間は手すり下部の照明が点灯し、安全を確保しています。また、病室内にトイレのない多床室では、病室番号を照らす照明を設け、トイレから戻ってくるときの目印となるよう配慮されています。
事例:眼科三宅病院
この建物は、名古屋市北区にある眼科専門病院です。こちらも眼に疾患などを抱える多くの患者さんの安全性と快適性に配慮し、更にQOLとQOVの向上を目指して、特にものが見えにくいロービジョン者への配慮として「コントラスト」をテーマに内装計画・サイン計画をおこなった病院です。
※ QOL(Quality of Life=生活の質) QOV(Quality of Vision=視覚の質)
外来エリアでは、安心して歩行ができる硬いビニルシートのエリアと、家具などがあり注意が必要な柔らかいタイルカーペットのエリアとしています。その境目に白いタイルカーペットの帯を回し、エリアの境界を強調しています。更に、壁や家具などは白色を基調とし、それらを発見しやすくするために床は濃い茶色としています。このようにコントラストを確保しながらも落ち着きのある空間を実現しています。
エレベーターに向かって照明を配置することで直感的にわかりやすくしています。更に、エレベーターの扉と周囲の壁との色のコントラストを確保することで、よりわかりやすくしています。
照明で空間をわかりやすくする【視覚】
壁際の照明は空間の形状をはっきりとさせ、わかりやすくする効果があります。 照明配置の工夫により、進行方向や柱・家具などの障害物の存在を知らせることができます。
事例:東埼玉総合病院の照明計画
この建物では、天井の壁際にある連続した照明が空間形状をわかりやすくしています。川の流れのような天井デザインと間接照明の光の帯が誘導方向を暗示しています。
事例:慶應義塾大学日吉キャンパス
第四校舎独立館の照明計画
壁と天井の境目に照明を配置することで空間の輪郭がわかりやすくなります。更に、白い壁での反射光の降下も働き、空間全体の明るさ感が増します。
事例:早稲田大学本庄高等学院95号館
視野内の明るさの情報をシミュレーションや実測によって輝度分布画像として数値化し、それに基づき空間の明るさ感や視認性を評価することで、より多くの人にわかりやすい空間やサインなどを計画することができます。
輝度分布シミュレーションに基づく視覚環境の評価
例えば、輝度分布画像内の明暗の差を分析することで、階段の視認性を評価することができます。事前に階段の段鼻(階段の段の先端部分)の見やすさを確認することが可能となり、より安全な階段を設計することが可能です。また、輝度分布画像からは、人が空間から感じる明るさの印象を推定することができ、明るさ感に基づく光環境設計を行うことができます。
左の図は、設計段階でその空間の明るさのイメージをシミュレーションしたものです。右の図は、竣工後にシミュレーションして設計した空間を実測したものです。設計時にイメージした通りの空間が出来上がっています。
※赤が強い方が輝度が高く(明るい)、
青が強い方が輝度が低い(暗い)。
発見しやすく読みやすいサイン【視覚】
サインは、周囲の壁面など周辺環境と盤面、盤面と文字・図(ピクトグラム)の二段階のコントラストを確保することで、発見しやすく読みやすくなります。白い盤面に黒文字は読みやすいのですが、白い壁に設置されると発見しにくくなります。白い壁面に黒い盤面のサインは壁と盤面のコントラスト比が高く、発見しやすいです。また濃い色の盤面に白い文字とすることで読みやすいサインとなります。
音で空間をわかりやすくする【聴覚】
空間形状や大きさ(気積)の違い、天井の高さ、建材の吸音率の違いなどによる立体的な音の響きの変化で、空間を認識させることができます。
鹿島では独自のシミュレーション技術を開発し、それを活用することで音環境をデザインし、一人でも多くの人がわかりやすい空間を実現しています。
天井形状による音の響きの違い
天井の形状の違いで音の響き方が変わるのを利用することで、空間の印象の違いを音で演出することができます。また、場所を特定する情報としても活用することが期待できます。例えば、廊下の交差部の天井の形状を他の部分と替えることで、音環境(反響音)が変わり、この変化に気が付く人にとっては有効な情報となり、場所を特定する手がかりとすることも可能です。
空間の大きさや建材の吸音率の違いで空間をわかりやすく
鹿島技術研究所では、足音(立体音)の響きの違いで空間の違いがわかる確率の評価指標を導き出しました。この指標を利用することで、設計時、立体音の違いによる空間性能を予測することができます。また、計画した空間の立体音響を体感できる装置を利用し、その効果を事前に検証しています。
立体音による空間認識予測指標
厳密な聴覚心理実験をおこない、立体音の響きの変化を表す物理量から空間認識のしやすさ「何パーセントの人が空間認識可能か」を求めるチャートを作成しました。
立体音の響きの変化を表す物理量は、空間の容積や仕上げ材の吸音率から算出が可能です。
立体音響体感シミュレーション
体験する人自身が発する音の響きをリアルタイムに再生・聴取でき、その空間の響き方などの音環境を体感することができます。
事例:早稲田大学本庄高等学院95号館
この建物では、空間の大きさに見合った音の響きを演出することで、音環境でもその空間の大きさがわかるような工夫をしています。
大きな気積のあるアトリウム空間では、響きを大きくし、天井が低く気積の小さなラウンジ空間では、響きを小さくしています。このような音の響きの違いを活用して、空間認識をさせることを試みています。
視覚と聴覚という複数の方法で空間の大きさを提示することで、いずれかの情報が取得できない、しにくい人でもこの空間の違いを認識することが可能となります。
音サインの可能性の追求【聴覚】
鹿島では、公共トイレにおいて、非言語音声を基調とした音響案内および多言語同時再生の音声案内は、男女の識別を目的としたトイレの音案内という事前知識があれば、いずれの方法も高い確率で男女の識別が可能であることを、実験的に検証しました。
従来の音声案内が、必ずしもその情報を必要としない人にとっては煩わしいといった問題点を考えると、男性・女性の歌声など、非言語による音響案内は、今後の適用が期待される技術の一つと考えています。
事例:音サインでトイレの男女を識別しやすく 西葛西・井上眼科病院
最近、駅などの公共交通施設などでトイレを案内する音声が普及してきていますが、クレームになることも報告されています。そこで、西葛西・井上眼科病院では、周囲に音が漏れにくくトイレに入る通路だけで聞こえるように超指向性スピーカーを採用しました。更に、「トイレ」と言う言葉が耳につき不快感を助長するのではないかと考え、音声ではなく男女の歌声を基調にした音サインを利用することとしました。
音サインの心理実験の結果(男女の歌声を基調にした音サインの場合)
男性の歌声を基調にした音サインと女性の歌声を基調にした音サインを比較して試聴した場合(相対)はもちろん,それぞれを単独で視聴した場合(絶対)でも、高い確率で男女の識別が可能であることが分かります。
音によるランドマーク(サウンドマーク)
噴水などの音のランドマーク(サウンドマーク)を適切に配置することで空間認識に効果があります。また、サインに『音』を加えることでその情報を得ることができる人を増やすことが可能となります。
床の素材感の違いで誘導や注意喚起を行う【触覚】
鹿島は、「物理特性の異なる床仕上げ材間の歩行時の識別容易性に関する研究」を早稲田大学と共同で行い、床仕上げ材の弾性差や摩擦差などの物理特性が一定以上異なると、歩行中に特性の違いを識別できることを明らかにしました。
この実験では、全長8.1mの歩行路を設定し、前半部に御影石の磨き仕上げを敷設、後半部に素材を御影石の磨き仕上げ、バーナー仕上げ、タイルカーペット、ゴムタイル、点状ブロック(警告ブロック)のいずれか1種類を敷設しました。視覚と聴覚の情報を遮蔽した被験者にこの歩行路を歩いてもらい、正答率を評価しました。
歩行路の前半部が磨き、後半部がゴムタイル以外の仕上げの組合せは、点状ブロックと同等の精度で素材の違いを識別できることが確認されました。
事例:神奈川工科大学情報学部棟の床のデザイン
この建物の1階エントランスホールでは、安心して歩行できるエリアを御影石のバーナー仕上げとし、注意が必要なエリアと壁際を御影石の磨き仕上げにしています。床材の感触の違いでエリアが識別できます。2階以上では安心して歩行できるエリアを柔らかいタイルカーペットとし、注意が必要な壁際などは硬いゴムタイルとしています。
さらに、この感触の違う境目をたどって歩いていくと、室名サインのあるところに点状ブロック(警告ブロック)があり、サインを発見できる仕組みとしています。室名サインなどは浮き出し文字と点字で表記しています。