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大地の建築術 自然と共生する叡智 第4回 中国・チベット自治区ラサ[ポタラ宮]—山と一体化してそびえ立つ巨大宮殿

写真:ポタラ宮南面。斜面から立ち上がる白い壁と臙脂(えんじ)色の壁が特徴的

ポタラ宮南面。斜面から立ち上がる白い壁と臙脂(えんじ)色の壁が特徴的。白い部分は石垣ではなく宮殿の一部である

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ポタラ宮に魅せられて

ポタラ宮の威容を映像で最初に見たのは1980年代。あるテレビ番組の特集だったが,その時の衝撃は忘れられない。それまで多くの国でさまざまな街や建築などを見てきたが,ポタラ宮はそれとはまったく異なる神の創造物のようにさえ思えた。

山の斜面からそびえ立つ巨大な建造物とその不思議な形態,色彩……。チベットの山々を背にした映像が目に焼き付いて,その後もずっと気になっていた。事あるごとに資料を集めていくとますます思いが募り,1998年に中国人のスタッフが私の事務所で働き始めたのを機に詳細に調べてもらい,ついに現地を訪れる機会を得た。

地図

自然の山を覆い尽くす巨大建築

ラサはヒマラヤ山脈の北に位置し,標高が3,650mの高地である。7世紀にチベット高原をソンツェン・ガンポが統一し,吐蕃(とばん)王国を建国,仏教を広め,ラサ西部のマルポリ(紅山)にポタラ宮のもととなる宮殿を築いたといわれている。9世紀には仏教が国教となり,チベット仏教はそれ以降モンゴルやブータンなどの近隣諸国にも広まっていった。

1642年,国を統一したダライ・ラマ5世がポタラ宮の建設を始めた。十数年の歳月をかけて造営され,その後ダライ・ラマ14世がチベット動乱により亡命する1959年まで,ポタラ宮はチベット仏教の総本山であった。

ポタラ宮は1つの山を覆うようにそそり立ち,斜面から立ち上がる白い壁とその上部の臙脂(えんじ)色の壁からなる外観が特徴的である。この堂々とした姿はブータンの城塞建築ゾンやモンゴルの寺院建築にも通じるものが感じられる。けれどもそのなかにあって,ポタラ宮の威容は特筆に値する。

山頂に建つ名建築は世界的に見ても数多くある。フランスの北部,ノルマンディー沖のモン・サン・ミシェル修道院やドイツ,バイエルン地方のノイシュヴァンシュタイン城,あるいは織田信長が建てた安土城もあてはまるだろう。しかし,物理的な大きさ,壁面の高さ,デザインモチーフ,材料や色の豊富さなど,どれをとってもこのポタラ宮に優るものはない。建築面積は13,000m2を超え,部屋数約2,000,長手方向360m,短手方向120m,高さ120mほどもある巨大な一個の建築が,自然の山を覆い尽くすその姿には圧倒されてしまう。

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写真:ラサ市内を流れるキチュ河の対岸から眺めるポタラ宮

ラサ市内を流れるキチュ河の対岸から眺めるポタラ宮

臙脂色の聖空間と白色のコントラスト

ポタラ宮の全容を見るには,ラサ市内を流れるキチュ河の対岸から眺めるのがよい。遠望すると,宮殿はいくつかのブロックがつながっているのがわかる。これは巨大な複合建築なのである。遠目には,下部の白い石垣の上に臙脂色の宮殿が載っているように見える。しかし近づいていくと,石垣と見えたものは実際には宮殿の一部だと判明する。

臙脂の壁の部分と白壁の部分は,高さをジグザグに変えながらそれぞれが複雑に組み合わさっている。白壁には臙脂の窓がリズミカルに,時に大きさを変え,時にイレギュラーにはめ込まれている。臙脂の部分にはポツ窓のような白い開口が穿たれ,下部の白壁とネガ,ポジの関係をつくり出す。

中央の臙脂の建物はポタン・マルポ(紅宮(こうきゅう))と呼ばれ,ポタラ宮の中でも最も重要な宗教の施設が入った聖空間である。4層からなり,仏殿や霊塔,三界殿など多くの祈りの空間が入る。紅宮を中心に周囲をさまざまな施設が囲むようにつくられている。その最大のものが,東側に隣接する白壁のポタン・カルポ(白宮(はくきゅう))だ。

かつて白宮は,ダライ・ラマの居住と政治的な執務にあてられた領域であった。その白宮の東側は大きな中庭に面しており,それを低層の建物が取り囲む。

紅宮に隣接する僧房は,かつて修行僧たちの祈りと生活の空間であった。宮殿の内部がわかってくると,それらのボリュームの構成も理解できてくる。

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写真:紅宮と白宮をつなぐ低層部の屋上を白宮の上部から眺める

紅宮と白宮をつなぐ低層部の屋上を白宮の上部から眺める。正面の紅宮は,歴代ダライ・ラマの霊塔などの宗教施設が入った聖なる空間とされる

写真:中庭から白宮正面を眺める

中庭から白宮正面を眺める

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空間をつなぐいくつもの階段

宮殿へ入るには,南側の斜面に自然の地形に合わせてつくられたジグザグの階段を上っていく。まず地上の上り口から階段を上り始めると,最初の踊り場がある。そこは二手に分かれていて,階段を真っ直ぐ上っていくと僧房だが,折り返して上ると踊り場があり,そこから折り返してさらに上っていくと西門に至る。この階段が面白いのは,途中で東門に至る階段につながっていることである。僧房への階段は直線で上っていくのではるかに遠く,長く感じてしまうが,西門,東門に至る階段はジグザグを繰り返しながら上っていくのでそれほど距離を感じさせない。

東門を入ると,そこは暗闇のトンネルで石畳をさらに傾斜に沿って上っていく。途中,明かりを取り入れるための縦長の開口があり,そこからの光だけが唯一の足元の頼りとなる。やがて前室へ至り,光に導かれていくと,いきなり広大な中庭に出る。そして正面には白壁の白宮が現れる。

中庭から白宮の正面階段を上り切って中に入ると,大きな前室になっている。そこから多くの列柱が立ち並ぶ大小の部屋を,階段を上り下りしながら進む。床のレベルはさまざまに大きく変化する。

かつてこの宮殿が長い年月をかけて造営されたときに,大地の起伏に合わせて建造した痕跡が,今このような豊かな空間を生み出している。まさに迷路のような空間で,全体像を把握するのはとても難しい。しかも室内は暗く,部屋によっては全く開口がなく,ろうそくだけが灯っている。

これだけ複雑な高低差のある床を,暗がりの中で上下しながら進んでいくには,足元に神経を集中することを余儀なくされ,人々はそこに神聖なる大地を体感してきたに違いないのだ。

写真:ポタラ宮西側の高所から南側を望む

ポタラ宮西側の高所から南側を望む。斜面を沿うようにジグザグに折り返す階段がふもとまで続いている

写真:踊り場を2回折り返して,西門に至る階段を見上げる

踊り場を2回折り返して,西門に至る階段を見上げる

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図版:大地の起伏に合わせて造営されたポタラ宮

大地の起伏に合わせて造営されたポタラ宮。さまざまな大きさの部屋が複雑に組み合わさっている

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古市流 地球の歩きかた

チベット自治区
Tibet Autonomous Region

面積:約122.84万km2
人口:300万2,100人
区都:ラサ
中国南西の国境地帯,世界で最も海抜の高いチベット高原の南西部に位置し,自治区全体人口の90%をチベット民族が占める。
ラサとはチベット語で「神の地」を意味する。

ラサへ行くには…

私がラサに行ったのは,約20年前の8月の下旬,四川省の省都・成都から入った。成都の夏は気温35度を超え,しかも湿度が高い。四川料理の本場でもある。標高500mの成都から3,650mのラサへは飛行機で約2時間半で着く。ラサの気温は20数度ほど,肌寒く感じる高地である。ここで気をつけないといけないのは高山病だ。実際,団体客はラサに到着した日は高山病に備え室内で静かにしているようにいわれる。高山病から身を守るためには,水を大量に飲むことが必要である。

時間があれば,行きは青海チベット鉄道などを利用し陸路を上がっていくコースをおすすめしたい。成都からラサまでは3,360km,東京から香港以上の距離になる。かつてその道を,敬虔な巡礼者が五体投地と呼ばれる礼拝を繰り返しながら登っていったのである。

写真:五体投地を行う巡礼者たち

五体投地を行う巡礼者たち

仏教徒の祈りの中心,大昭寺

ポタラ宮が旧市街の西にあるのに対し,ラサ旧市街地区の中心にある大昭(ジョカン)寺は,仏教徒の祈りの中心である。約500m角の寺の敷地を周回する環状路の東西南北には,八廓街という商店街が設けられている。仏教徒はそこを必ず時計回りに周回する。八廓街の西に面した大昭寺入口正面は,巡礼者が五体投地を行うための空間である。

古市徹雄(ふるいち・てつお)
建築家,都市計画家,元千葉工業大学教授。1948年生まれ。早稲田大学大学院修了後,丹下健三・都市・建築設計研究所に11年勤務。ナイジェリア新首都計画をはじめ,多くの海外作品や東京都庁舎を担当。1988年古市徹雄都市建築研究所設立後,公共建築を中心に設計活動を展開。2001~13年千葉工業大学教授を務め,ブータン,シリア調査などを行う。著書に『風・光・水・地・神のデザイン―世界の風土に叡知を求めて』(彰国社,2004年)『世界遺産の建築を見よう』(岩波ジュニア新書,2007年)ほか。

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