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超高層50年 当社の超高層の歩み

霞が関ビル誕生後,国内に超高層ビルの建設ラッシュが到来した。
当社は世界貿易センタービル(1970年),京王プラザホテル(1971年),新宿三井ビルディング(1974年),
サンシャイン60(1978年)などを立て続けに手掛け「超高層の鹿島」の名を揺るぎないものにした。
武藤副社長は新宿三井ビルディングの建設時に「霞が関ビルは天才児だった」と語っている。
すなわち霞が関ビルで開発された超高層の技術,ノウハウは基本でありながら後の超高層に適用され
引き継がれている。
しかし,単なる模倣ではなく当社はそれぞれの建物に応じたハード・ソフト面の改良,
さらなる技術開発を推進してきた。

図版:当社の超高層の歩み

※発注者は建築当時の社名を記載
(画像をクリックすると拡大表示されます。)

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超高層ビルの形態・構造の変遷

霞が関ビルをはじめ初期の超高層ビルは,「まず耐震」という構造の安全性に設計の主眼が置かれ,用途もオフィスビルが多かった。そのため建物の形態は合理性と経済性に優れていた平面,立面ともに整形の箱型だった。

その後,建物の平面計画の自由度を増したい,あるいは超高層ビルをシンボルタワーにしたいという建築デザイン・機能の多様化が求められるようになった。当社は,この社会的要請に応えて雁行状平面の赤坂プリンスホテル(1982年)をはじめ円弧型平面や途中階に風抜きを有するものなど様々な形態のビルを建設している。

このようないわゆる不整形平面を持つ建物は,これまでの正方形や長方形の整形平面に比べると,地震の時にはるかに複雑な揺れ方をする。たとえば,西から東の方向に地震の力が作用した時,単純平面の建物なら東西方向への荷重のみを考えれば良いが,不整形平面のビルでは,南北方向の荷重やねじれも考慮した構造計算が必要になる。超高層ビルの振動解析では,地震による揺れを3次元の立体骨組で解析しなければならない。立体解析技術が進歩したことで複雑な平面形を持つ超高層ビルの設計が可能となった。

構造要素で鋼材においても霞が関ビル以降,改良がなされてきた。霞が関ビルはラーメン構造であり,H形鋼の柱・梁部材の接合は当時の技術では溶接が困難だったためハイテンションボルトが用いられた。その後,溶接技術が発展したことで溶接ボックス柱が誕生した。ボックス柱は板厚を自由に選べて柱の剛性コントロールがしやすいこと,どの方向の力にも同じように耐えられるため,構造計画の自由度が増大し,新宿三井ビルディング,サンシャイン60などに適用された。

また,構造形式も霞が関ビルのラーメン主体構造から,建物外周部と内周部に柱と梁を集約し,それをスラブでつないで構造的に一体化するダブルチューブ架構が誕生するなど進化してきた。これらの形態・構造の変化に対して,当社は技術研究所での技術開発や耐震,安全性の実証,独自の解析技術をスパイラルアップすることで業界をリードしてきた。加えて材料の高強度化などのハード面や設備技術の進歩などのソフト面を充実させ,多様な要求に応えている。

超高層住宅への挑戦

超高層ビルはオフィスビルだけではなく住宅分野にも広がりを見せた。しかし,同じ超高層でもオフィスビルと住宅では求められる機能が変わってくる。住宅では,当然ながら人が暮らす居住空間としての性能が求められる。住宅の場合,様々な家具があり,高齢者から子どもまで生活している。また,上下階や隣同士の生活音,外を走る車や電車の騒音などの問題もあるので揺れや音に対して課題をクリアする必要があり,鉄骨造(S造)ではなく鉄筋コンクリート造(RC造)が採用される。

そこで,当社では霞が関ビル完成直後からRC造で超高層ビルが建てられないか研究を始めた。

RC造は,経済性に優れ,建物の自重が重く剛性が大きいため風揺れが少なく,遮音性能も高いため住宅には最適の構造である。しかし,高層になると地震に弱く,実際に1968年の十勝沖地震などで大きな被害を受けている。いかに地震に強いRC造の建物を造るか。また,作業が複雑なRC造の建築にあたり,いかに高品質を確保するかが課題だった。

地震被害を分析した結果,RC造の場合,柱が繰り返しの横揺れに弱く,それが“たが式”に組まれた配筋に起因していることが確認された。そこで柱に粘りを持たせるために配筋方法の研究を行い,当社では,「カジマスパイラルフープ」と呼ぶらせん式の配筋方法を開発した。また,施工の合理化として資材のプレハブ化,コンクリート型枠の大型化などの工期短縮を図る方法が考えられた。このようなアイデアを盛り込んだRC造を当社ではHiRC工法と呼んでいる。

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こうした新技術の導入により,1974年に超高層実現のための試作として18階建ての「椎名町アパート」(現在の当社南長崎寮)を建設した。この建物の成功が日本における超高層RC造の第一歩である。その後,当社では,「サンシティG棟」や「パークシティ新川崎」など実績を積み上げていった。

以降,高強度コンクリートの開発やスーパーRCフレーム構法,RCチューブ架構などの構造技術の発展により設計の自由度が増し,現在に至るまで当社では,より快適な住環境を提供している。

剛から柔そして制震へ

霞が関ビルを契機に超高層ビルの耐震構造として柔構造理論が出現した。剛構造や柔構造の耐震構造は仮定した地震動や地震力を用いて設計されている。その仮定条件を逸脱する地震動が起きる恐れはないかという懸念があった。

そこで,どんな地震動がきても建物側でコントロールしようという新たな構造「制震構造」が誕生した。制震構造は一定の装置または機構を設けることで建物に発生する振動を抑制しようとする構造で大きく2つに分類される。ひとつはコンピュータと機械装置を用いて大幅な振動の低減を図るアクティブ(能動)型で,もうひとつは,建物の振動エネルギーを吸収する装置(ダンパーなど)を建物の各部に設けるパッシブ(受動)型である。当社では1985年に制震構造の提唱者・小堀鐸二京都大学名誉教授を副社長に迎え入れ制震構造の実用化に努めた。

1989年,アクティブ制震AMD構法を採用した世界初の制震建物「京橋センタービル」が完成した。この建物は,日本建築学会業績賞,第一回日本建築構造技術者協会賞を受賞し,当社の高い技術力が評価された。その後,技術開発を進め,200mクラスの「新宿パークタワー」をはじめとする超高層ビルに次々と適用されるようになった。

パッシブ型の制震においては,鋼製ハニカムダンパーを開発し,1991年に超高層ビルに適用して以降,1995年には業界に先駆けて超高層用制震オイルダンパーを実用化した。その後も技術開発を推し進め,今年3月29日にグランドオープンした「東京ミッドタウン日比谷」に新世代制震装置「HiDAX-R(Revolution)®」を採用するなど進化を続けている。

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