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特集 超高層50年

わが国の超高層時代の幕開けとなった霞が関ビルディング(以下,霞が関ビル)が
昭和43(1968)年4月12日の竣工から50年を迎える。
当時の建設技術の結晶であり,日本経済発展の象徴として誕生した霞が関ビルを皮切りに,
当社は世界貿易センタービル,京王プラザホテル,新宿三井ビルディングなどを次々と建設。
その実績から“超高層の鹿島”と称された。
今や日本の大都市は超高層ビルなくして語ることはできない。
今号は,霞が関ビル竣工50年を記念して当時を振り返るとともに,
超高層ビルのパイオニアとしての当社の歩みや技術を特集する。

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写真:現在の霞が関ビル

現在の霞が関ビル(photo: エスエス東京支店)

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巻頭言 超高層50年に寄せて

写真:会長 中村 満義

会長 中村 満義

霞が関ビルディングが完成して50年の歳月が流れました。関東大震災を契機に,建築物の高さは建築法の規制により百尺(31m)に制限されてきましたが,1963(昭和38)年の建築基準法改正により,高さ147m・地上36階の日本初の超高層ビルが誕生したのです。地震国である日本では不可能とされた超高層ビルを実現したのは,極厚H形鋼と有孔梁による15.6m大スパンの採用などに加え,日本で初めてとなる柔構造理論でした。

この理論に基づく超高層ビル実現にあたっては,当時の耐震構造の世界的権威,東京大学名誉教授の武藤清博士を当社の副社長に迎え,大型コンピュータ導入で世界中の地震データに基づく耐震構造の検証を重ね,設計用地震動のあり方を追求しました。それが,その後の超高層建築の黎明期に大きな影響を与えたのです。

当時,現場責任者であった二階盛所長は「施主三井不動産・江戸社長の勇断に基づく画期的な計画であって,この超高層建築の出現は都市計画,建築設計技術,建築工学,建築設備工学のうえに一大革新をもたらすとともに,わが国建築史上に特筆すべきものと確信する」と述べています。霞が関ビルディングは技術研究所をはじめ当社の総力を結集した記念碑といえるのです。

それから20年あまりが経った1989(平成元)年,当社は世界初のアクティブ制震ビルを完成させました。その中心となった小堀鐸二京都大学名誉教授は,1985(昭和60)年に当社の副社長に就任し,「建物を壊さない」から「建物を揺らさない」という従来にない発想のもとに,制震構造の発展を主導した世界的な研究者です。

東日本大震災で,クローズアップされた超高層ビルの長周期地震動,ゆっくりと長く揺れる現象に有効なのが制震構造です。既存超高層ビルの長周期地震動対策として,当社は大型制震装置「D3SKY®」を開発し,既に実用化を果たしています。制震装置を屋上に設置することから,オフィスの眺望の阻害や有効面積の減少がなく,室内工事も不要のためテナントへの影響を最小限とし,揺れ幅を最新鋭の超高層ビル並みに抑える技術です。

また,最新鋭オフィスに対しては,世界に先駆けて新世代制震装置「HiDAX-R(Revolution)®」を開発。建物に生じる地震力を振動制御に利用することで,制震効果を格段に高め最高水準の安全・安心を提供する技術です。今年3月29日にグランドオープンした東京ミッドタウン日比谷に初めて適用され,今後も多くの超高層ビルで使われることになります。

超高層ビルが誕生して半世紀,多様なニーズに応えるため技術は進化を続けています。その原点となるのが霞が関ビルディングです。先人たちの勇断に敬意を表すると共に,安心できる暮らしと事業活動の持続的な成長を支えるため,当社は弛まぬ技術開発への挑戦を続け,社会的貢献を果たしたいと切に願っています。

※本誌1967年5月号より

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写真:超高層ビルが建ち並ぶ現在の東京

超高層ビルが建ち並ぶ現在の東京(photo: エスエス東京支店)

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