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超高層50年 施工

鹿島守之助会長(当時)は霞が関ビルについて
「霞が関ビルのもつ歴史的な意義は『都市高層化への第一歩』ということには違いない。
しかし,われわれは『超高層を最初につくった』ことだけでなく,
これを『いかにつくったか』に,より多くの誇りを感じる」と記している(※)
霞が関ビルがいかにつくられたか,工事の記録を追う。

※『鹿島建設 英一番館から超高層ビルまで』(鹿島出版会,1969年)はしがきより

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写真:鉄骨建方が進む(昭和41年11月)

鉄骨建方が進む(昭和41年11月)

写真:1967.02

写真:1967.04

写真:1968.04

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地下工事

昭和40(1965)年3月,起工式が挙行され工事がスタート。旧建物の解体,整地が完了した8月から土工事に着手した。

地下工事は同じフロアを積み重ねていく地上躯体工事とは異なり,敷地形状が整形でないことや駐車場など求められる用途により構造が複雑になり,施工をどのように進めるかが鍵となる。この工事では,周辺部の地下1階部(Aブロック),地下17.4mの深さで高層部地下3階部(Bブロック),主に駐車場と周辺部地下3階部(Cブロック)の3つのブロックに分割した。

このうち,全体工期のクリティカルパスとなるのはBブロックである。Bブロックの地下工事が終わらなければ,地上高層部分の躯体施工に着手できないからだ。しかし,深度の深いBブロックだけを先行して掘削すると大きな山留め工事が必要となる。そこでAブロックの掘削を優先して,Aブロックの躯体を構築しながらBブロックの掘削を進めることとした。これによりAブロックの躯体上を施工ヤード,資材置き場として使うとともに,Aブロックの躯体がBブロックの山留の役割も担うことができた。Cブロックは,A,Bブロックの掘削中の作業地盤としてあえて残し,竣工から逆算して着工時期を決め,Bブロックの掘削に使用した斜面法付けを利用して掘削した。山留には新工法のS・S・W工法を採用。また,アースドリル・ピア連続土留壁工法を採用して切梁の減少を図り,機械化掘削の能率を向上させた。

写真:地下工事の様子(昭和41年1月)

地下工事の様子(昭和41年1月)

写真:連続土留壁とS・S・W工法による定着部

連続土留壁とS・S・W工法による定着部

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躯体工事

昭和41(1966)年7月1日から鉄骨建方工事が開始した。鉄骨は,柱は大型厚肉H形鋼,梁はスパン15.6mの長大ハニカムビームを用いた。使用した部材の総重量は1万5,000t,ピース数は1万7,000に及んだ。セルフクライミング式のタワークレーン設置後は1日100tを基準として揚重作業を行った。柱の垂直管理は下げ振りを使用,上階は風が強いため塩ビ管内にピアノ線を垂らした下げ振りで精度管理に努めた。鉄骨建方は昭和42年3月に完了した。

作業にあたっても大きな問題があった。なにしろ初の超高層ビルである。経験豊富な鳶職であっても100mを超える高さでの作業は初めてで,高所作業に耐えうるか,能率的な作業ができるかという不安があった。そこで,U型デッキプレートの敷き込みによる安全作業床を設置した。これにより高所感なく作業に臨むことができた。また,外周の柱は3階分を一単位として工場でプレハブ化し,部材接合にハイテンションボルトを全面使用することで作業の単純化を行った。

デッキプレートは,作業床としてだけでなく,鉄骨建方と並行して行われた床工事においても貢献度は高い。通常,床を施工する場合は型枠,配筋,コンクリート打設の順に行う。この場合,コンクリートが一定の強度になるまで脱型できないだけでなく,型枠を下から支える支保工もそれに応じて外せないため,下の階ではほとんど作業ができなくなる。この工事では,鉄筋をU型デッキプレートの溝に単一方向に配し,デッキプレートを型枠代わりにして軽量コンクリートを打設する工法にした。デッキプレート自体に強度があるため支保工を必要とせず,本設材として使用することで資材運搬を省くことができ,生産性向上の一因となった。

この他にもスリット壁や耐火被覆工事の工夫,内部仕上げの軽量耐火間仕切工法,設備工事における器具先付けによるライン方式天井工法など新たな技術が次々に考案されている。鹿島守之助会長(当時)の事業成功の秘訣20か条にもある“旧来の方法が一番いいという考えを捨てよ”“絶えず改良を試みよ”をモットーに,施工の合理化に向けたあらゆる策が講じられた。

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写真:鉄骨建方工事

鉄骨建方工事

写真:躯体工事 作業の様子

躯体工事 作業の様子

写真:デッキプレートを作業床にすることで安全性を確保した

デッキプレートを作業床にすることで安全性を確保した

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コンピュータによる工程管理

工程管理にあたっては同一平面の積み重ねである超高層建築の特徴を活かし「連続繰返し理論による工程管理手法」を編み出した。作業ごとにかかる時間,1フロアを何日で構築できるのか,そのために何人の作業員が必要なのかを綿密に計算した。また,同じ作業を繰り返すことによる習熟効果も考慮した。それらの結果を,コンピュータを用いて列車のダイヤのように工程表を組み,多くの職種がいる現場で作業が錯綜しないよう効率的に工事を進めることに成功した。

昭和43(1968)年4月。土工事着工から約32ヵ月という短工期で日本初の超高層ビル「霞が関ビルディング」が完成した。

就労人員延べ74万人,延べ労働時間603万時間――構造理論の確立やコンピュータの発展,新技術の研究・開発はもちろんだが,何よりも幾多の障害,困難がありながらも経営者から現場の作業員まで「日本で初めて超高層ビルを造るのだ」という強い意志が霞が関ビルには込められている。

写真:上棟式の様子

上棟式の様子

写真:昭和42年4月13日,上棟式が行われ高々と鉄骨の梁が吊り上がる様子

昭和42年4月13日,上棟式が行われ高々と鉄骨の梁が吊り上がる様子

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