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成長を続ける空港

東京国際空港は1931年の開業以来,常に時代の要請に応えて
機能を拡充し,立地条件の制約を克服しながら拡張してきた。
国内外のさらなる需要の増大と利用者の利便性向上のために,
再拡張事業が推進された。

写真:空港全体図

羽田空港の歴史と鹿島の歩み

東京国際空港(羽田空港)は,1931(昭和6)年,わが国初の国営民間航空専用飛行場として誕生した。当時の規模は面積53ha,300m×15mの滑走路1本だった。戦後,米軍に接収されたが,1952年に施設の大部分が返還されて「東京国際空港」としてスタート。拡張工事を重ね,1959年には総面積260ha,A滑走路(2,550m×45m),B滑走路(1,676m×45m)の2本の滑走路とターミナルビルを持つ空港となった。

その後も拡張を重ね,1978年には新東京国際空港(成田空港)が開港し,国際線の大半が成田へ移転。羽田は国内航空輸送の拠点空港として再スタートした。1984年より沖合展開事業が開始。3段階に分けた整備事業で2004年に第Ⅲ期後半事業として第2旅客ターミナルビル地区が供用開始され,沖合展開事業は完了した。

当社は,終戦直後から羽田の空港関連施設の建設に関わり,東京オリンピック開催に向けた滑走路・高速道路・モノレールの建設を担当。その後も施工拠点となる羽田出張所を設けて沖合展開事業や空港へアクセスする鉄道・道路の基盤整備など,今日まで数多くの工事に携わってきた。

2001年,首都圏の将来航空需要の増大に対処するため,羽田空港の再拡張事業実施が決定。当社はD滑走路,国際線旅客ターミナルビルなどの工事を担当した。

羽田空港の規模の変遷と鹿島の主な施工実績

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東京国際空港(羽田空港)再拡張事業

再拡張事業は,D滑走路,国際線地区の旅客ターミナル・貨物ターミナル・エプロンの各整備事業で構成される。

このうちD滑走路整備事業は,年間の発着能力を現在の約30万回から約41万回に増強して,発着容量の制約を解消し,多様な路線網の形成により,利用者利便の向上等を図るために,新たに4本目の滑走路を整備する事業だ。再拡張後には,将来の国内交通需要に対応した発着枠を確保しつつ国際定期便の受入れも可能となる。このため国際線地区整備等事業では,国際定期便就航に必要な機能を整備する。

図:空港全体図

D滑走路

滑走路整備事業は,国の事業として国内で初めて, 設計・施工一括請負方式で発注され,かつ竣工後も30年間の維持補修管理業務を請負者が実施していく。D滑走路は,世界最大の最新型旅客機A380にも対応して設計され,滑走延長2,500m,幅60mで,海面上約13~17mの高さに建設された。その構造は,従来からの埋立構造に加え,多摩川の通水性を確保するために,今回新たに採用した桟橋構造とのハイブリッド構造となっている。

当社JVは,運航中の滑走路の航空制限下で41ヵ月という短工期で昼夜連続の大量急速施工を実施した。

写真:D滑走路全景

多摩川(左)の河口にあたる部分は桟橋方式となった施工中のD滑走路全景(2008年10月)

国際線ターミナル地区・貨物ターミナル地区・エプロン地区

国際線地区旅客ターミナルビル,貨物ターミナル,エプロン等の整備について,民間のノウハウを活用した効率的・効果的な施設整備や空港利用者等に対するサービス水準の向上を図るため,PFI事業で実施された。

国際線地区では旅客ターミナルビル,エプロン,駐車場,駅など多くの工事が併行して進められた。当社JVが担当する国際線地区旅客ターミナルビルでは,1万8,000m2の大屋根の施工に「スライド工法」を採用するなど,最新技術を結集して約2年間の短工期施工を実現した。

写真:国際線地区旅客ターミナルビルの「スライド工法」

国際線地区旅客ターミナルビルの「スライド工法」。1スパン18m×95m,約300tの大屋根を10日のサイクルで,組み上げてはジャッキでレール上に18m押し出す。これを9回繰り返す

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