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調査,そして緊急対策工事へ

図版:2ヵ月で12万m3の掘削を行った

2ヵ月で12万m3の掘削を行った

[工事概要]
川原樋川赤谷(かわらびがわあかだに)地区河道 閉塞緊急対策工事

場所:
奈良県五條市大塔町清水地先
発注者:
国土交通省 近畿地方整備局
設計者:
当社関西支店土木部
規模:
掘削工223,000m3 排水路工400m 暗渠排水管600m 
防護土堤250m 工事用道路設置3km 進入路設置1.2km 
水中ポンプ設置一式
工期:
2011年9月~2013年2月
(関西支店施工)

形を変える現地

2011年9月10日,国土交通省は赤谷を含めた5地区の河道閉塞に対し,日本建設業連合会を通じてゼネコン各社に協力要請を行った。これを受け,当社は国土交通省の緊急災害対策派遣隊とともに翌日現地入り。現場までの道路は完全に寸断されており,途中で車を降りて向かった。倒木が散乱する道なき道を2時間かけてたどり着くと,現場は柔らかい土砂が山積みになり退避できる場所はなかった。アプローチは土石流の危険が伴う下流側のみ。乗用車で避難できる道路整備が最優先となった。

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16日に当社が赤谷地区を施工することが決まった。河道閉塞の決壊に伴う土石流による新たな土砂災害を防止するため,緊急対策工事として,ダム湖からポンプで強制排水をしながら安定した高さまで土砂を掘削し,暗渠排水管を設置した上に越流水を安全に下流側に流下させる仮排水路を構築する。

はじめに,道路をつくるバックホウを現場に入れた。二次災害防止を念頭に雨が降るとすぐに作業員を退避させ,これを数日間繰り返した。その後,21日から23日にかけて再び台風15号が襲来。豪雨が現場の土砂の形を変え,以前にはなかった深さ15mほどの河道ができあがっていた。

図版

森田真幸副所長

台風が過ぎた24日,崩壊斜面直下での作業に向けた斜面詳細調査が行われた。「正直なところ,当初は現地に入るのが怖かったです」と森田真幸副所長(当時,工事課長代理)は振り返る。その日,森田副所長は崩壊斜面を自分の目で確かめたいと崩壊斜面の登山道を迂回しながら登り,2時間かけて頂上に到着した。「直下に抉(えぐ)れた山肌が見え,これが現実だと目が覚めた思いでした。この景色から逃げずに,技術者の役割を果たさなくてはと決意を固めました」。

図版:調査のため現場へ徒歩で向かう

調査のため現場へ徒歩で向かう

図版:土砂が積もる被災直後の現場。退避場所はない

土砂が積もる被災直後の現場。退避場所はない

図版:斜面頂上から森田副所長が撮影した崩壊斜面の様子

斜面頂上から森田副所長が撮影した崩壊斜面の様子

図版:道がないため,ポンプ排水用の発電機をヘリで搬入

道がないため,ポンプ排水用の発電機をヘリで搬入

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図版:防護土堤は遠隔操作による無人化施工で設置した

防護土堤は遠隔操作による無人化施工で設置した

図版:被災直後の赤谷地区

被災直後の赤谷地区

施工イメージ

図版:step1

河道閉塞決壊を防ぎながらポンプを設置して天然のダム湖の水位を下げる

図版:step2

ポンプ排水を行いながら,工事の期間中に少量の降雨で再び湖の水位が上がらないように,排水管を設置する

図版:step3

より多くの降雨でも川の水を流せるように,仮排水路を設置する

警戒区域解除に向けて

工事は初めての連続だった。赤谷地区の河道閉塞は河川の流域面積が広く,少しの雨でも湛水池の水位が上がりやすい。崩壊斜面からの落石が懸念されたため,遠隔操作による無人化施工で防護土堤を設置しながら,合計60t/分の排水能力をもつポンプで水位を下げた。それでも,ひとたび大雨が降れば水位は急上昇。10月から12月にかけては毎月越流を経験した。

発災後急ピッチで取りかかった緊急工事のため,設計図はない。しかし,避難している住民がいる。警戒区域の早期解除を目指し,所員は発注者やコンサルタントと設計を協議しながら,施工計画,資機材発注,施工と,全てを同時並行で進めた。

現場は夜間や降雪時も施工を続けた。掘削が本格化すると,現場では25t重ダンプ4台とキャリーダンプ5台,最大1.8m3級のバックホウ12台が稼働し,12万m3を2ヵ月で掘削した。12月25日に暗渠排水管の据付けが行われると湛水池の水位が安定。翌年2月8日,仮排水路護岸底部が完成し,河道閉塞決壊のおそれが大幅に低下したとして,警戒区域が解除された。発災から4ヵ月余り。関係者全員が胸をなでおろした。

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図版:警戒区域の早期解除に向け,夜間や降雪時も施工を続けた

警戒区域の早期解除に向け,夜間や降雪時も施工を続けた

しかし,ここからが赤谷地区の台風被害との闘いの始まりだった。2012年6月19日,台風4号が近畿地方を直撃して崩壊斜面の一部が再び崩壊。完成間近の仮排水路を土砂が覆った。つくったものが被災する初めての経験。落ち込んでいる暇はなかったと,森田副所長は語る。「時間や施工能力などの制約がある中,何を優先して行うべきなのか,その日から頭をフル回転させて考えました」。その後も台風の影響で湛水池が2回越流したが,現場は的確な対応で仮排水路を完成させ,対策工事は次のステップへと向かった。

2012年6月,台風4号被災前と被災後の現場。完成間近の仮排水路が土砂で覆われた(赤い線は仮排水路があった箇所)

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column

あの時を振り返って
技術の積み重ねと,
関係者の協力があったからこそ

図版

東京建築支店機械部

船迫(ふなばさま)俊雄
部長

(当時,国土交通省の緊急災害対策派遣隊とともに現地入りし,その後赤谷地区での緊急対策工事の所長を務めた)

相当な覚悟をもって臨む必要があると,被災直後の赤谷地区を見て感じたことを今も覚えています。崩壊土砂による影響範囲は広大で,アプローチは土石流の再発の恐れがある下流側のみ。数日後の台風15号通過後は別の現場ではないかと思うほど地形が変わっていて,目を疑いました。そんな中,一日でも早く復旧させようと全力で取り組んだ当社所員の姿勢は,誇れるものでありました。難工事をやり遂げられた要因のひとつに,遠隔操作による無人化施工の提案があります。当社が雲仙普賢岳噴火復旧工事(1994年)以降,災害時に積み重ねてきた技術が活かされました。また,警戒区域の早期解除につながったのは,雨のたびに地形が変わる中で関係機関の皆が一枚岩となって取り組めたことも挙げられます。国土交通省や設計コンサルタント,また大型重機搬入のために交通誘導をしてくださった警察署など,皆様のご協力で迅速な初動対応が取れたこと,今一度深く感謝申し上げます。

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