撮影:大村拓也(以下同)
人の背丈を遥かに超えた松の若木の数々が,太陽の光を浴びて青空へ伸びていた。かつて人びとが憩い,親しんだ白砂青松の名勝・高田松原が一歩一歩再生していることを,松の青さと頼もしい成長に感じ取った。
東日本大震災で岩手県内最大の被害を受けた陸前高田市。連日多くの人が復興の進む中心市街地に足を運び,そこから海へ向かって「高田松原津波復興祈念公園」や,「奇跡の一本松」などを訪れ,祈りを捧げている。その足下や周囲に築かれた2本の防潮堤が,長さ1.8kmにも及ぶ,同市の復興の象徴となったインフラだ。震災2年後の建設着工から,今年はちょうど10年となる。
2016年の竣工時,広田湾の弧に沿ってカーブを描く第一線堤,第二線堤の2本の防潮堤の白いラインが海岸線にくっきりと現れていた。それが現在,2つの防潮堤間に植えられた松がこんもりと茂り,陸側の第二線堤が祈念公園のランドスケープと一体になって土で被覆され,風景が変化しつつある。第二線堤の上を歩いていると辺りに静かに響くのは,カモメの鳴き声と波の音。厳かな思いに包まれて,海に向かい頭を垂れる。
撮影:川澄・小林研二写真事務所
松原の再生,
そして見覚えのある風景に
当時,岩手県の大船渡土木センター所長として復興に携わった,前岩手県県土整備部長の田中隆司さんに話をうかがった。「復興の重要な事業であり,工期達成と,地域の思いのこもった松原と砂浜の再生を果たすという大きな2つの課題がありました」。とくに高さ(T.P.)12.5mもの第二線堤は46万m3もの盛土,それを被覆する5万個に及ぶコンクリートブロックなど,県で最大規模の土木工事となった。
加えて,広田湾のカーブの形状に沿ってコンクリートブロックで堤体を被覆していく計画は難所となり,3D-CADのほか,縮尺1/28のブロックの模型をつくり,当社JVや,施工する職人と検討を重ねてつくり上げたことを振り返った。「工事が終盤を迎えた頃,地元紙の記事にこう書かれていました。『まだ松林も戻っていないが,この(海岸線の)カーブにだけは見覚えがある』。それが本当に嬉しかった」。
「陸前高田の防潮堤は,まず安全や安心を守る役割を担うことに加えて,大震災の追悼,防災教育,それから復興の象徴や,これからは賑わいといったさまざまな機能をもっていく場にもなります。皆さんと,非常に特別な思いを共有しながらつくり上げていったことは,何より感慨深いです」と語った。
撮影:編集部