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ミニチュア・ワンダー・ランド

“原点”のイタリア

図版:「2.5次元」のミラノのドゥオーモ

「2.5次元」のミラノのドゥオーモ

改ページ

コレクションの始点

30年ほど前のことだ。各都市の文化政策を視察するべく,欧州に出向く機会があった。

旅の最終目的地がイタリアであった。ローマ,フィレンツェ,ミラノなどを巡る行程になっていた。

ふと思いたって,自分への旅の記念品を買うことにした。いつも旅行を終え,帰国ののち頼まれていた土産物などを配り終えると,自分の手元に残るのは各地で撮影した大量の写真と,建築史や都市政策関連の書籍や資料の類いばかりである。異国にあっても,真面目に研究や業務のことばかりを考えていて,余裕がないことを反省した。

移動中の空いた時間に,街角の土産物屋に飛び込んだ。いろいろと悩んだ末に,ミラノのドゥオーモをモチーフとした置物を購入した。帰国後に研究室の棚に飾ろうと考えたのだ。

ドゥオーモは,竣工までに数世紀を費やしたという世界最大級のゴシック建築である。屋上には135本もの小塔が天に向かってその尖端を伸ばし,頂部にそれぞれ聖人像を戴く。もっとも高い位置に聖母マリアの姿があり,陽光を浴びて黄金に輝く。1950年代まで,ミラノでは,このマリアを見下ろすような高い建物は認められていなかったという。

研究室に飾られた聖堂は,小さなものだがそれなりに存在感があった。これを契機として,海外に旅をするたびに滞在地を代表する建築に関する品を,みずからへの土産物として,原則1点ずつ購入することにした。建築ミニチュアのコレクションは,このようにして始まった。

その後,「1度の旅で1点を厳選」というルールが見事に破られるまでには,あまり時間がかからなかった。今日に至って,大量のコレクションになったのは,元来の収集癖のせいだろう。

もっとも私が最初に購入したミラノのドゥオーモは,建築ミニチュアとは呼べない代物だ。正面から眺めることを想定して,奥行きを浅くデフォルメした,いわば「2.5次元」の造形である。ただ私にとってはコレクションの始点となる飾り物であり,強い想い入れがある。

図版:イタリア訪問の証明が並ぶ

イタリア訪問の証明が並ぶ

隔離の起源

以来,イタリアを訪れるたびに,各都市の象徴となる建物のミニチュアを買い続けている。ローマのコロッセオ,トレビの泉,バチカン,ヴェネチアのリアルト橋,トリノのモーレ・アントネリアーナなど。ミニチュアを眺めるたびに,それぞれの街に滞在した時の思い出が蘇る。

ヴェネチアには,カーニバルの時期に滞在した時の印象が強い。街の至るところに仮面を被り,仮装した人たちが現れる。世界中から多くの人が集まり,非日常の時間を楽しむ。他都市にない祝祭である。

新型コロナウイルスのパンデミックにあって,ミラノやトリノ,さらにはヴェネチアなどイタリア北部の諸都市が,流行の初期に封鎖されたことは記憶に新しい。とりわけ,ヴェネチアはカーニバルの期間中に感染が拡がり,イベントを中断したことが世界中に報じられた。

ヴェネチアは,感染症との戦いにあって,また医療史においても重要な都市である。なによりも,英語で検疫,隔離,隔離所などを表す「quarantine」という単語は,ヴェネチア地方の方言である 「quarantena」を語源とすることに注目したい。

この語の本来の意味は「40日間」であるという。1347年,ペストが世界中に大流行した際,ヴェネチア政府は,東方から来る船が欧州に疫病をもたらしていると考えた。そこで感染者の有無を確認するべく,潜伏期間と想定された40日のあいだは疑わしい船の入港を禁じ,港外に強制的に停泊させる法律を定めた。これが今日に継承される検疫の始まりである。

隔離施設もヴェネチアに起源がある。サン・マルコ広場から数キロの距離にあるラッヅァレット・ヴェッキオと呼ばれる小さい島に,感染した人々を集めた。これが世界初の隔離所なのだそうだ。

ヴェネチアのカーニバルでよく見かける仮装のひとつに「ペスト医者」のものがある。肌を露出させないように黒い布のガウンをまとい,つばの広い帽子をかぶる。患者に触れる際に手の代わりに使用する杖を持ち,鳥のような嘴(くちばし)をもつ仮面が独特である。円筒状の嘴には,「悪性の空気」から護るための薬草が詰められている。ヴェネチアでは,カーニバルの最終日に「ペスト医者」に扮した多くの人たちが行進するのが長年の伝統になっている。悲惨な伝染病の記憶を風化させないための工夫でもあろう。

ミニチュア提供:橋爪紳也コレクション

はしづめ・しんや

建築史・都市史家。大阪府立大学研究推進機構特別教授,
大阪府立大学観光産業戦略研究所長。
1960年大阪市生まれ。京都大学大学院工学研究科修士課程,大阪大学大学院工学研究科博士課程修了。工学博士。
『日本の遊園地』(講談社),『あったかもしれない日本』(紀伊国屋書店),『集客都市』(日本経済新聞社),『「水都」大阪物語』(藤原書店),『ツーリズムの都市デザイン』(鹿島出版会)など,建築史,都市文化論に関する著作は50冊以上。日本観光研究学会賞,日本建築学会賞,日本都市計画学会石川賞など受賞多数。
『大阪万博の戦後史―EXPO’70から2025年万博へ』(創元社)が2月に刊行。

かわむら・けんた

写真家。1981年生まれ。
滋賀県在住,株式会社tametoma主宰。
建築・広告写真を主に,グラフィックデザインやWEB制作も行う。オフィス兼ギャラリーにて旅先で出会った風景写真などの個展も開催。

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