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メンフィス ロックンロール旋風のはじまり

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東岸がメンフィス,向こう岸はアーカンソー州。大陸横断ハイウェイ(I-40)がミシシッピ川を横切る

©Karen Cowled / Alamy Stock Photo

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綿花畑が広がる初秋のミシシッピ・デルタ

北米の大平原を流れる大河は次第に一本にまとまって,平らな地を蛇行する。ミシシッピ河口のニューオーリンズから遡ること600km,内陸の広大な農業地帯の中心にメンフィスはある。

過去には綿花の積み出しと奴隷貿易でにぎわった港町。現在はFedExの本拠地として,世界をつなぐ空輸の拠点(ハブ)となっている。観光客の目当ては,多くが音楽遺産だろう。アメリカ中南部の人種のこすれ合いの中で育まれた,メンフィス産のブルース,ロカビリー,ソウル音楽が世界のファンを魅了した。栄光の過去を,その意義と共に振り返ってみたい。

忘れてならないのは,この都市が引き連れる〈田舎〉の広大さだ。東西南北に200~300km,7つの州にまたがる住民にとっての〈都会〉といえばメンフィスだった。ヨーロッパから遠く離れて,混血の許されなかった環境で,にもかかわらず黒人たちの音楽実践が「壁」を突き破った町。

1910年代に〈メンフィス・ブルース〉を作曲した黒人牧師の息子W・C・ハンディは,自らを「ブルースの父」と呼んだが,実は西洋音楽の楽理を身につけたバンドリーダーであって,フォーク・ブルースの形式を楽譜に取り入れたにすぎなかった。だが20世紀が進むにつれて,力関係は逆転する。下層民衆の「本音」がヨーロッパ風の上品さを侵食していくのだ。

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「ブルースの父」W・C・ハンディ

©Terrance Klassen /Alamy Stock Photo

その舞台が,ビール・ストリートである。そこには音楽酒場が建ち並び,周囲の村々から黒人芸人やギャンブラーが群れて,1920年代後半にはすでにたいへんな賑わいを見せていた。だが,その環境から,いかにしてエルヴィスのような存在が出現したのか。

南東の町テューペロから,家財道具を積んだ車でプレスリー一家がメンフィスにやってきたのは,エルヴィスが13歳のとき。感受性の強いシャイな13歳に,大きな町のメディア環境が影響したのは確かだろう。この町には全米初の黒人向けラジオ放送局があった。45回転の廉価シングル盤レコードの登場もこの頃である。

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今日のビール・ストリート

©Randy Duchaine / Alamy Stock Photo

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社会は人種分離を強制しても,メディアは壁を崩してしまう。人気のコンテンツは,いかに体制が「けしからん」といっても,リスナーもスポンサーも引き寄せ,欲望ベースの経済を回していく。人種の境界の向こう側に刺激を感じれば,好奇心は止まらない。

16歳のエルヴィスが,ビール・ストリートをうろつき始めるころ,サム・フィリップスという音響技師が,人種の別にこだわらない音源制作のビジネスを始める。サムの録音スタジオ〈サン〉に,エルヴィスがやってきたときのこと。ひょんなきっかけからR&B曲「ザッツ・オールライト」を歌い出した。その機を逃さず,急遽つくったアセテート盤は,さっそく地元のヒップな白人DJの口上に乗って流れた。黒人的な身体性と甘い声のアンサンブルにリスナーは激しく反応した。スタジオの電話は鳴りっぱなし——時代の扉が押し開けられた瞬間である。

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サム・フィリップスとエルヴィス・プレスリー。
かたやアラバマ州フローレンスの農民,
かたやミシシッピ州イースト・テューペロの小作農の子として生まれた

©Mark and Colleen Hayward/Getty Images

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今もユニオン通りに建つサン・スタジオはアメリカ音楽史の重要な史跡

©Paul McKinnon/shutterstock.com

やがて,世界の先進国にロックンロール旋風が巻き上がる。この変革の起点が,ロサンゼルスやニューヨークのような大都市ではなく,大陸の内奥にあったことは,重要なポイントだろう。

かつての南部では「コットンが王者(Cotton is King)」と言われた。出荷される綿花の梱(こり)は,たとえばリバプール港に届き,先進の工場で織られて大英帝国を繁栄に導いた。その100年後,メンフィスを本拠とする「ロックンロールの王者(King of Rock ’n’ Roll)」がリバプールに届いたとき,ざわめきだした少年たちの中から後のビートルズが誕生する。

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かつて賑わった港の上から南をのぞむと,古い鉄道橋(ハラハン・ブリッジ)も見える

©Fotan / Alamy Stock Photo

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ロックンロールだけではない。「ブルースの王」と呼ばれるB・B・キングもこの町から羽ばたいた。「ソウルの女王」アレサ・フランクリンも生まれはメンフィス。若くして大手レコード会社にスカウトされたまま,なかなかブレイクできずにいた彼女を飛翔させたのは,同じ南部の綿花地帯にあるマッスルショールズの録音スタジオだった。

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「貴方だけを愛して」(1967)のヒットから
才能を開花させたアレサ

©Trinity Mirror / Mirrorpix / Alamy Stock Photo

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アレサ・フランクリンが
2歳まで住んでいたメンフィスの生家

60年代,デトロイトの〈モータウン〉に対抗して,より汗臭いサザンソウルを展開した〈スタックス〉のスタジオは,市南部の黒人居住区にあった。バックのバンドは白人と黒人の混成。公民権運動が成果を挙げつつあった楽天的な雰囲気がウィルソン・ピケットやオーティス・レディングのサウンドを包んでいる。だがそこにキング牧師射殺事件が起きた。この町の出来事だった。人種融合の夢はしぼみ,プライドとバッドなイメージを強調する黒人音楽が人気を博すに至って,田舎の都はその主要な役割を終えるのである。

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デルタ・ブルースの偉人を
数多く輩出した町クラークスデイルは,
メンフィスから車で1時間半ほどの距離

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この町を訪れる音楽ファンは,歴史を偲ぶ町の姿をみるだろう。ジム・ジャームッシュ監督の映画「ミステリー・トレイン」で工藤夕貴と永瀬正敏が歩き回った,ファンキーで危険な町の香りは薄れたとしても,案内書を頼りに,ダウンタウンの無数の史跡を訪ねて回るのは楽しい。ビール・ストリートでは今夜も廉価でごきげんなブルースが聴ける。明日は〈グレイスランド〉に行ってみるか。

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ジム・ジャームッシュ監督
「ミステリー・トレイン」(1989)には,
往年のブルースマン,ルーファス・トーマスと
スクリーミン・ジェイ・ホーキンスも出演した

©GR Collection / Alamy Stock Photo

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グレイスランドの屋敷前にファンが描いた似顔絵

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Listening

Elvis Presley/Elvis The Sun Sessions

スロー・バラードに自信があった10代のトラック運転手が,ロックンロールを「発明」してしまう経緯がコンパクトによくわかる一枚。トラック14「ブルー・ムーン」などに見られるエコーの響きは,今聴いても素晴らしい。

※視聴する際は、音量にご注意ください。

佐藤良明|Yoshiaki Sato

東京大学名誉教授,放送大学客員教授。アメリカ文化,ポピュラー音楽,英語教育。著書に『ラバーソウルの弾みかた』(岩波書店,1989年),『英文法を哲学する』(アルク出版,2022年)ほか。訳書にトマス・ピンチョン『重力の虹』(新潮社,2014年),ボブ・ディラン『The Lyrics』(上下,岩波書店,2020年)ほか。

石橋 純|Jun Ishibashi

東京大学大学院総合文化研究科教授。東京外国語大学スペイン語学科卒業後,家電メーカー勤務中にベネズエラに駐在。のちに大学教員に転身。文化人類学・ラテンアメリカ文化研究を専攻。著書に『熱帯の祭りと宴』(柘植書房新社,2002年),『太鼓歌に耳をかせ』(松籟社,2006年)ほか。

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