紙を折って包み、結ぶ、日本の伝統文化である「折形(おりがた)」。
心を込めて贈り物を渡すこの礼法は、年中行事や人生儀礼、
「五節供」などの四季の行事とともに育まれてきました。
今回の連載では、伝統的な折り、結びの技法や現代的なデザインでの試みを、
四季折々の行事とともに紹介します。
贈答の包みと結びの礼法「折形」
お正月に家の門口に立てられる門松は,歳神様(としがみさま)を迎え入れるための依代(よりしろ)です。その松に根付きや根引きを使うのは,地に足のついた健やかな一年が過ごせますようにという願いが込められています。
神道には,常若(とこわか)の思想がありますので常緑樹の松が尊ばれたと思われますが,さらに「松」は「待つ」に通じることや植物が寒い冬を耐え忍び,春を待つ受動的姿勢に対する共感があるのではないでしょうか。
その松の幹に「折形」の作法に従い,清浄な白い和紙を折り包み,結びをほどこせば,歳神様が寄りつく依代となります。このようにしてお正月を迎える年用意は美しい習慣ですので,残し伝えたいことです。
折形は,室町時代に確立した武家故実(儀礼の行い方)のなかの贈答の際の包みと結びの礼法です。ご承知のように室町時代は,日本独自の華道や茶道などが生まれ栄えた時代でした。武家の行動美学や日本の風土に根ざした生活様式はもちろん中国文化の強い影響も受けてはいますが,伝承されながら知恵や工夫が加わり,生活化して今に伝わっています。
象徴としての柳
起源や意味や理由がわからなくなっていますが,毎年季節になると行う年中行事を民俗学者の折口信夫は,「生活の古典」と名付け,民俗学研究の基礎の一つと考えました。そういう意味では,お正月は「生活の古典」の代表的な年中行事でしょう。
正月元旦には,家族が晴着を着て威儀を正し正月の膳を囲みます。雑煮の具材や出汁のとり方や餅の形などは,地域差があり各家庭でも異なるでしょうが,多くの家庭では「両口の白木の柳の丸箸」が祝い箸として使われます。
今回は,「生活の古典」化している「両口の白木の柳の丸箸」と折形の話をしたいと思います。
柳は水との親和性が強い樹木です。例えば,皇居のお堀端には柳が植えられています。われわれが思い描く水辺の風景には柳はつきものですし,川の端ばかりではなく,田や道の端にも柳がつきものでした。
川は海という異界へつながる通路や入口と考えられており,その境界に柳が植えられてきたのは,樹木のもっているイメージや呪術性と無関係ではないでしょう。田や道の端も異界との境界だったのです。
柳は,春がまだ浅い芽吹きの前に花をつけることや,その樹形が老人の姿に似るところから長寿の象徴とされ,中国でも古来から聖性をもった霊木とされてきました。また,強い風に対してしなやかに応じ倒れることもないところから「柳に風」と喩えられ,人の生き方になぞらえてもきました。実際に粘りも強く折れにくいという木の特性も併せてもっています。さらに削り出した柳は,清浄な「白木」であることも祝い箸として尊ばれる理由のひとつでしょう。
神人共食の祝い膳
さて,柳の素材の特徴や象徴性についてだけでなく,「祝い箸」の形状について話をしなければなりません。陰陽思想では,丸は陽の形であるところから丸箸となりますが(陰陽思想については別の回で説明するつもりです),さらに特徴的なことは箸先が両方とも細くなっている両口である点でしょう。われわれが口にする側とその逆の天の側も細くなり,両方の先が細くなっています。その箸を包むわけですから清浄な和紙を用意し,姿勢を正し,心を込めて「吉」の形の右前になるように折形で折り包みます。和服と同様に,右前は吉の形の基本です。
現代のわれわれの生活では,宗教的な信仰の問題もあり「神様」ということを口にするのをはばかる傾向がありますが,祝いの膳の場では人が口にする側とは逆の天の側は神様がお使いになると考えてきました。祝いの場で,人々がともに食事をすることは,神人共食(しんじんきょうしょく)をすることを意味しています。祝いの場は人と人だけで祝うのではなく,神を招来して神とともに祝い幸福を祈念する場だったのです。自然からの恵みを「食べる」という営みを通じてともに体の中に入れる,その際,神様にもご相伴いただくと考えてきたのです。元旦に正月の膳を家族で囲むことは,元をたずねれば宗教的な営みが生活化したと言えます。門松を立て,その依代に歳神様を招来し,床の間に据えた鏡餅に鎮座していただきともに自然からの恵みを頂戴する。
そのように,改めて家族の一年の安全と健康を,膳をともにして祈念してきたのです。