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「日立オリジンパーク」がオープン

2020(令和2)年に,創業110年を迎えた日立製作所(以下,日立)。
一世紀を超えて事業展開する日立の原点を,創業の地を通じてグローバルに発信すべく
「オリジン情報発信プロジェクト」を立ち上げ,そこに当社も参画した。
このたびオープンした「日立オリジンパーク」を,明治から現在に続く日立と当社のつながりや協創のきっかけとなった「日立創業者 小平(おだいら)浪平氏と鹿島精一の交友」と併せて紹介する。

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グローバルな情報発信の拠点

昨年11月5日,日立は創業の地である茨城県日立市に「日立オリジンパーク(以下,オリジンパーク)」をオープンした。日立の企業理念とともにこれまでの事業と社会貢献のあゆみを紹介する企業ミュージアムだ。

図版:日立オリジンパーク全景

日立オリジンパーク全景

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オリジンパークは日立の福利厚生施設である「大みかクラブ」,「大みかゴルフクラブ」に加え,新たに建設した展示施設「小平記念館」,創業製品が誕生した工場を再復元した「創業小屋」で構成。地域や世界中のパートナー・従業員との新たな対話の場として活用する。今年はさらに,Webサイトで展示内容の見学ができるバーチャル展示の公開を控えており,日立市と日立の歴史のグローバルな情報発信を展開していく。日立製作所理事田中憲一秘書室長は「ほかにも,栃木県栃木市にある日立創業者小平浪平の生家や,小平が勤めた藤田組の小坂鉱山,山口県下松市の笠戸事業所にある歴史資料館など,いろいろなところに日立ゆかりの地があります。今後そういったところとも連携できればと考えています」と今後の計画について語った。

図版:日立製作所理事 田中秘書室長

日立製作所理事
田中秘書室長

図版:大みかクラブから大みかゴルフクラブを見る

大みかクラブから大みかゴルフクラブを見る

図版:大みかクラブ 内観

大みかクラブ 内観

企業理念や創業の精神を体感・追体験

「小平記念館(展示ホール)」では,創業者小平浪平氏が創業するまでの道のりをサラウンドスクリーンの映像で紹介。当時の製品やタッチスクリーン,AR(拡張現実)を活用したジオラマなどを用いた展示により,日立の社会貢献と技術開発,挑戦の歴史を日本および世界の産業史とともに体感できる。「映像と実機,それから過去・現在・未来について,見学の流れの中で理解が促進されるような展示を計画しました」と,日立製作所山崎和伸人財統括本部総務・CRE統括部長は説明する。「小平記念館(アネックス)」は小中学生の校外活動やセミナーなどの各種イベントに利用可能だ。

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「創業小屋」は,創業製品の5馬力モーターが誕生した日立鉱山工作課修理工場を再復元した施設。田中理事秘書室長は「日立事業所内旧創業小屋の外観の雰囲気を出すのが難しかったのですが,鹿島さんは木部塗装について,色や塗る回数を何度も試して工夫を重ね,見事に再現してくれました」と感謝の意を表する。現存する5馬力モーターが実際に動くところや当時の様子を再現した映像,製作機器などを通じて,開発当時の様子と創業の息吹を追体験することができる。

「大みかクラブ」「大みかゴルフクラブ」は,ゴルフ場設計の巨匠・井上誠一氏が設計した6ホールのゴルフコース。これまでどおり従業員をはじめ地域住民などに一般開放するほか,食事などのおもてなしの場としても運営していく。

図版:日立製作所理事 山崎人財統括本部総務・CRE統括部長

日立製作所
山崎人財統括本部総務・
CRE統括部長

図版:小平記念館(展示ホール)

小平記念館(展示ホール)

図版:創業小屋 外観

創業小屋 外観

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図版:大みかクラブ前にて。日立の幹部の方々と当社幹部の集合写真

大みかクラブ前にて。日立の幹部の方々と当社幹部の集合写真

interview

日立オリジンパークの
オープンにあたって

写真

日立製作所
東原敏昭
執行役会長兼CEO

日立の創業は1910(明治43)年,小平浪平が「海外企業に頼らず,自分自身で製品を設計・開発・製造して,社会の要請に応えていこう」との想いで独立を果たしたことに始まりました。創業当時の考え方や想いである「日立グループ・アイデンティティ」は,企業理念「優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」として,今も従業員一人ひとりに大切に受け継がれています。

現在,日立では「社会イノベーション事業のグローバルリーダー」を目指し,異なるルーツを持つさまざまな企業を仲間として迎え入れています。また,海外事業やオープンイノベーションの拡大に伴い,ステークホルダーが近年さらに多様化しています。日立の原点である企業理念や創業の精神,社会貢献の歴史を広くステークホルダーの皆さまと共有することは,日立が目指す企業の在り方を示す上でも重要性が増していると考え,このたび日立オリジンパークを開設しました。

オリジンパークを開設した茨城県日立市は,日立事業所,日立研究所や大みか事業所など,日立のモノづくりの歴史の中で培ってきた制御・運用技術や情報技術の蓄積,プロダクトにより,多くの社会課題を解決してきた創業の地です。この日立市を,110年を越えて事業を継続している日立のオリジナル精神を次世代に向け,グローバルに社内外に情報展開・発信する拠点として位置づけました。

オリジンパークの中の大みかクラブには,小平浪平と鹿島精一氏との写真が飾られています。高校時代からの友人で,縁あって鹿島さんとは明治の当時から現在まで長きにわたって「協創」し,一緒に仕事をさせていただいている特別な会社だと考えています。今回のオリジンパーク建設も,鹿島さんには日立の歴史や取組み,木を活かすという建屋に関する考え方,地域事情を踏まえた対応や配慮をしていただき無事竣工を迎えることができました。大変感謝しています。

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column

小平浪平氏と鹿島精一の交友

大みかクラブの施設内には,日立創業者 小平浪平氏らが立ち上げた明七明八会が大みかゴルフクラブでコンペを行った際の芳名録や絵皿などの記念の品々が飾られ,集合写真には小平氏とともに鹿島精一の姿もある。二人は1892(明治25)年,第一高等学校で出会って以来交友を深め,精一の勧めにより小平氏がロータリークラブに加入したという逸話も残っている。1947(昭和22)年,精一の逝去にあたり,小平氏が生涯にわたって綴った「晃南日記」の中で「友人として最も古き人のひとりなる鹿島精一君の死は余の交友関係における最大打撃なり」と記している。約6,900ページ,547万字からなる晃南日記は,2001(平成13)年1月,日立の制作により小平氏と精一の交友を中心に編集され,「新編・晃南日記」として当社に贈呈された。

※第一高等学校で一緒に学んだ明治七~八年生まれの同級生有志による集まり

図版:集合写真

集合写真。前列左から3人目が小平氏,2列目左から1人目が精一

図版:芳名録

芳名録

図版:「新編・晃南日記」

「新編・晃南日記」

  • #日立製作所創業110周年プロジェクト
  • #Hitachi Origin Story
  • #日立製作所の前身,日立鉱山
  • #生体認証技術を活用したデジタルヘルス証明の共同実証

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