ホーム > KAJIMAダイジェスト > January 2022:Walking in the rhythm―都市のリズム

今月から始まる新連載では,世界各地で親しまれてきた音楽,時代の変遷とともに今新しくある音,そしてその背景にたたずむ,人が行き交い出会う場所――音楽が発展を遂げる舞台装置としての都市の姿を紹介する。
音楽は人の営みから生まれ,いつの時代も人々を支え励ましてきた。
その音楽に耳をかたむけ,彼らの都市をたずね歩く。

ニューヨーク・ワシントンハイツ:カリブ音楽流れるドミニカ人街

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ワシントンハイツのたもとからハドソン川にかかるジョージ・ワシントン・ブリッジ。
1931年開通。車両交通量では世界一の橋。対岸に望むのはニュージャージー州フォートリー

©shutterstock.com

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©Rishab Vasudevan

このシリーズでは世界の12都市を選び,その街を足しげく歩き,あるいはそこに長年暮らした専門家を招いて,人びとが生みだす音楽文化の伝統と現在の姿を紹介していく。

大都市には,国内外から新天地を求めて移住者が集まる。彼ら・彼女らが住みかとする都市周縁地域には,出身地からもちこまれた伝統文化が息づく。それは,他の移住者の文化や,地球規模の文化流行とも融合しながら刷新されていく。こうして音楽,ダンス,アート,食,服飾など都市の新しい民衆文化が生まれる。

私が専門とするスペイン語圏カリブ海地域では,都市周縁社会は「バリオ」と呼ばれる。そうしたバリオに魅せられて,私はそこに住む人びとを追いかけ,民衆文化の研究に携わってきた。

今回私がとりあげるワシントンハイツは,米国ニューヨーク市,マンハッタン島の北部にあるバリオである。住民の大多数はカリブ海の島国ドミニカ共和国からの移民とその子孫だ。この地区を舞台とする米国映画「イン・ザ・ハイツ」が,2021年に封切られ大ヒットとなった。サルサやメレンゲなど,カリブ海のダンス音楽にのせて人びとの暮らしを描くミュージカルである。セリフまわしがラップで展開するのもこの作品の特徴だ。

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築100年は経過する6階建てアパート(中央)
バルコニーに火災避難用の鉄製はしごがかかる

撮影(特記以外):Tau Battice

ニューヨークの歴史は,移民の歴史でもある。この港町が世界有数の大都市へと発展したのは,19世紀初頭,五大湖に至る運河が開通したことを端緒とする。運河と鉄道の要所であったマンハッタン北部のハーレム地区にはあらゆる社会階層の人びとが集まった。国外からの最初の移住者はドイツ系とアイルランド系が多かった。世紀末が迫るころイタリア系とユダヤ系が押しよせた。

1920年代までには,鉄道網と自動車の発展により,中上層住民が郊外に流出する。入れ替わりにハーレム地区に南部五州からアフリカ系の人びとが流入した。20年代にここで展開したいわゆる黒人文化称揚運動が「ハーレムルネサンス」だ。この地を拠点に「ジャズ・エイジ」が花ひらいた。のちの1960年代,ハーレムはR&Bとソウルミュージックの発信源ともなった。

1940年代から50年代にかけてハーレム川沿岸地区をプエルトリコ系移住者が占めるようになり,スパニッシュ・ハーレムまたはスペイン語でエル・バリオと呼ばれるようになった。おりしも世界的に流行したキューバ起源のダンス音楽「マンボ」のブームにより,マンハッタン北部の高級ダンスホールではティト・プエンテやティト・ロドリゲスらのプエルトリコ系「マンボ王」が,ペレス=プラードやマチートなどキューバ系「マンボ王」と覇を競った。当時の人びとのダンス熱は,ピューリッツァー賞受賞作『マンボ・キングズ,愛のうたを歌う』(O・イフェロス著,古賀林幸訳,中央公論社,1992年)に描かれ,映画化もされている。

1959年のキューバ革命により,キューバとの人的交流が途絶えると,ニューヨークではロックやR&Bの影響を受けた新世代のラテン音楽が興り,「サルサ」の呼称とともに70年代には世界に広まった。サルサ・ムーブメントを主導したのは「ニューヨリカン」と呼ばれるニューヨーク生まれのプエルトリコ系人たちだった。80年代には対岸のブロンクスからヒップホップが生まれた。その誕生と発展にもニューヨリカンが深く関わっている。

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ドミニカ系一世ロビン(47歳)と
娘のエベディ(米国生まれ,5歳)

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超甘口・フワフワ・しっとりのドミニカ流シフォンケーキ,ビスコチョで有名なエスメラルド・ベーカリー。
キャッチフレーズは「どんなときにもビスコチョ・
ドミニカノ」

プエルトリコと隣りあったカリブの島・ドミニカでは,農村経済の荒廃と都市人口の爆発により,1980年代以降,米国への移民が急増した。その多くはニューヨークならびに近郊に定着した。こうしたドミニカ系バリオの典型がワシントンハイツである。

個人経営の路面店が今も活気あるこの街を歩けば,メレンゲやバチャータなどのドミニカ音楽が大音量で店先から流れてくる。メレンゲは2拍子の小気味よいダンスビート。バチャータは失恋ソングが定番の,演歌のような音楽だ。それらがこの街でヒップホップと融合した新世代の音楽が,ドミニカンヨークと呼ばれるドミニカ系2世たちの人気を集める。

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ワシントンハイツのど真ん中,W179番街とブロードウェイの交差点。
左手のドミニカ料理店は「Tierra & Mar」(陸と海)。肉よし,海鮮よし。カリブの味

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広場でドミニカの民衆音楽バチャータを演奏するボンゴ奏者。
故郷のリズムが響けば,三々五々人びとは踊りだす

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映画「イン・ザ・ハイツ」には,街に再開発が迫るという設定がある。「お洒落な」ソーホーほかマンハッタン南部の地価が上昇し,若手アーティストなどが安い賃貸を求めて北部に移住しはじめる。高級化の連鎖により,21世紀のワシントンハイツ近辺は「イケてる地区」に変貌しつつあるのだ。家賃高騰で引っ越す住民も増えるなか,主人公たちは誇りを胸にバリオに踏みとどまるというのが映画の筋書きだ。

「イン・ザ・ハイツ」では地区の古い建築の細部が愛着をもって描かれている。名場面である男女二人のダンスシーンは20世紀初頭のビル建築特有の鉄製バルコニーと外階段が舞台だ。冷房のない時代,狭いバルコニーや外階段に出て,涼んだり,眠ったりするのが庶民の日常だった。築100年のビルでは,表通りの消火栓が防火の要である。真夏の昼さがり,この栓を開放して水あびする光景は,21世紀初頭までバリオの風物詩だった。「イン・ザ・ハイツ」では,消火栓放水が郷愁とともにビルの谷間のオアシスとして描かれている。

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©Rishab Vasudevan

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古い建築の修復部分を埋めるグラフィティ
「ヌエバジョルク,ワシントンハイツへの愛」。
Nueva Yorkはスペイン語でニューヨークのこと

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Listening

In The Heights (Original Soundtrack)

大ヒットした同名映画のサウンドトラック音源。メレンゲ,ヒップホップなどバリオの音楽が満載。原作にあたる舞台版音源はグラミー賞のベスト・ミュージカル・アルバム部門を受賞した

※試聴する際は、音量にご注意ください。

石橋 純|Jun Ishibashi

東京大学大学院総合文化研究科教授。東京外国語大学スペイン語学科卒業後,家電メーカー勤務中にベネズエラに駐在。のちに大学教員に転身。文化人類学・ラテンアメリカ文化研究を専攻。著書に『熱帯の祭りと宴』(柘植書房新社,2002年),『太鼓歌に耳をかせ』(松籟社,2006年)ほか。

タウ・バティス|Tau Battice

セントクリストファー・ネイビス生まれ,ハーレム在住。ニューヨーク市立大学教授。アフロ・ラティーノの研究や文化人類学に関心を持ち,ポートレートを専門とするフォトグラファーとしても活動。

https://www.taubatticefoto.com/
協力:三吉美加

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