松枝 繭
(まつえだ・まゆ/大阪府出身/工学研究科土木システム工学専攻修了)
土木設計本部 地下空間設計部 シールドグループ
2002年入社。土木設計本部で土地造成や空港滑走路,ガスタンク,ドックや桟橋などの設計業務に携わる。2009年から約2年間,現場勤務を経験。鉄道高架化工事の現場監督に従事する。現在は,シールドトンネルや関連構造物の設計を手掛ける。2006年と2012年に育児休業を取得。夫,長男(7歳),次男(2歳)の4人家族。趣味は,旅行や家のインテリアを考えること。庭の改造やプランター菜園なども行う。
若村眞佐代
(わかむら・まさよ/和歌山県出身/工学研究科社会基盤工学専攻修了)
建築設計本部 構造設計統括グループ
2002年入社。技術研究所に配属され,地震リスクについての研究を行う。2003年建築設計へ異動。耐震診断や医療・教育・商業・ハウジングの構造設計に従事する。現在は構造設計グループ内の管理業務,設計品質管理や新卒採用業務に携わる。2006年と2008年に育児休業を取得。夫,長女(7歳),長男(5歳)の4人家族。趣味はカメラ。子供の成長記録としての実用も兼ねる。天体観測やアウトドアも楽しみのひとつ。
土木設計本部の松枝繭さんと建築設計本部の若村眞佐代さんは,2002年入社の同期だ。就職氷河期といわれた時代,この年の女性総合職の採用は4名だった。土木・建築と畑違いではあったが,同じ女子寮で生活し苦楽を共にした仲である。「まだ女性総合職の採用が本格化していない頃でした。女性の福利厚生もこれからという時期で,技術研究所付近に建つ2階建てアパートが私たちの女子寮でした。翌年いまの南長崎の女子寮が整備されたんですよ」。松枝さんと若村さんは,当時の生活ぶりを懐かしそうに語り合う。
大スパン建築の構造デザインに惹かれゼネコンに入社した若村さん。技術研究所に配属後1年で,念願の構造設計グループに異動。同年結婚し,公私ともに充実の日々を過ごす。これまでに,耐震診断や教育・商業施設,また第一子出産後は,ハウジングなどの構造設計を担当してきた。「構造設計は,締切りに追われて残業となったり,ハードな時もありますが,やりがいのある仕事です。第一子出産の際は,職場に妊婦がいることで,上司や同僚の方々を戸惑わせることもあったかと思いますが,ロールモデルがない分,その時々で柔軟に仕事をさせて頂き,感謝しています」。
一方,松枝さんは土木設計本部に入社後,造成,処分場,臨海土木など様々なジャンルの土木設計業務に携わる。世紀のビッグプロジェクトとして注目された羽田空港D滑走路建設の設計にも従事した。その活躍は,当社の女性土木技術者のロールモデルとなり,後輩女性技術者の憧れの存在でもある。第一子出産後は現場も経験し,より一層,土木技術者としてのキャリアアップを図る。「子供が2歳の時,ジョブローテーションで初の現場勤務となりました。部署の配慮もあって,最初の現場〈中央線西国分寺・国立駅間高架橋新設工事〉は都市の鉄道現場でありながら夜勤がなく,次に担当した〈南武線稲城長沼駅付近5工区高架橋新設工事〉も自宅から20分ほどの勤務地でした。現場での経験は設計業務にも活かせるため,会社人生において非常にプラスとなりました」。現場勤務の2年間は,ご主人と交代で,子供の送り迎え,残業,休日出勤をこなし,時間の制約を乗り越えたそうだ。
若村さんには,仕事を辞めなくてはならないと思った経験がある。第一子を保育園に預け,仕事も育児も充実していた矢先,家族の病気により介護の必要が起きてしまった。慣れない入院での付き添い生活の戸惑いと,予想のできない今後の生活に,一時は落ち込んだ時もあった。「こうした境遇になって初めて,“私は仕事がしたい”のだと自覚しました。でも,諦めざるを得ないだろうと考えていた頃,当時の上司から有難い言葉を頂きました。〈復帰するか否かより,いまは家族の治療に集中しなさい。会社を辞めることなんて,いつだってできるのだから〉。気分がすっと楽になりました。この一言がなければ,私の人生はかわっていたかもしれない」。
若村さんは介護休業を利用し,家族の治療に専念した。仕事に復帰した2010年からは一旦設計業務を離れ,構造設計グループ全体の管理業務,品質管理業務,採用業務などを担当している。ピンチがあったことがうそのように,いまでは仕事も軌道にのり,家族と休日の時間を楽しむまでになった。
「子供たちには,私がなぜ仕事を続けてきたのかを伝えていきたくて,休日,私が担当したプロジェクトを見せてきたりしました。最近,“この頃,お母さん,お仕事で何もつくってないね”といわれたことが,いまの私の活力です。また,設計業務に戻れたらと思っています」。
若村さんは自分の経験を振り返り,将来を深く考えすぎず,流れにまかせることも必要だと,後輩へアドバイスを贈る。「働き方は人の数だけあると思う。他人と比較して,できないことに悩む必要はありません。沈まずに流れてさえいれば,自分がやりたいことをつかむチャンスは必ずやってきます」。
現在,松枝さんは土木設計本部でシールドトンネルの設計を担当している。通常の勤務体系で仕事と家事・育児をこなす。実施設計や施工支援などの業務のなかで,月に数回のペースで現場にも足を運ぶ。なるべく残業漬けの生活にならないよう,仕事中はこれまで以上に集中を高め,前倒しで仕事を進めるようになったと話す。「限られた時間のなかで仕事をして,帰宅後は頭を切り替えて育児をする,目まぐるしい毎日です。でも,仕事・結婚・出産・育児…,やりたいことをすべて叶えられているので,とても充実しています。これも,夫や職場の皆さんの協力があってのこと。いまの状況に甘んじることなく,今後も広い視野で設計に携わり,自分が設計したと誇れる土木構造物を残していきたいです」。
松枝さんとは入社が1年違いますが,元々は大学のクラスメイトです。彼女が現場勤務となった南武線稲城長沼駅の高架橋現場で,仕事を共にしました。業務に対する理解度が高く責任感が強い女性なので,工程が読めない工事でも遅延することなく最後まで務めあげました。育児で忙しいなか疲れた素振りもみせず,業務に集中する姿は非常に見習う点が多かったです。
次に現場に出る時には以前と立場も変わっているでしょうが,彼女の場合,重責がのしかかるぐらいの方が才能を発揮できるかと思います。離れていても,陰ながら応援しています。
同期入社の若村さん。構造設計の仕事は残業が多いため,お子さんができるまでは残業食仲間でした。出産後はご自宅に遊びにいき,旦那さんの手料理をご馳走になったこともあります。家事分担制の若村家では,旦那さんが毎日食事を作るんですよ。夫婦揃って本当に凄いと思います。
若村さんもいずれは設計業務に復帰するでしょう。夜型の職場環境での育児は時間的な制約が大きいと思いますが,これまで以上に色々と工夫した働き方を試して,今後子育てをする若手設計者たちに示してもらえればと思います。若村さんのパワフルな行動力に期待しています。