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福島の今を知る[大熊町編] まちづくり

図版:大熊町新庁舎イメージ

当社の設計・施工で4月着工予定の大熊町新庁舎イメージ。2019年4月開庁予定

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interview 再び住みたいと思える魅力的な町にしたい

大熊町では中間貯蔵施設の整備と廃棄物処理事業が進む一方,
2017年6月にはついに帰町に向けた計画が動き始めた。
大川原地区復興拠点整備事業のスタートである。
拠点整備に先駆けて大熊町復興のシンボルとなる新庁舎を整備する。
早期の帰町に意欲を見せる渡辺利綱町長に話を聞いた。

写真:大熊町 渡辺利綱 町長

大熊町
渡辺利綱 町長

復興の拠点となる大川原地区

大熊町では早期の避難指示解除に向け,いち早く除染が完了した大川原地区に復興拠点となるコンパクトタウンを形成します。約18.2haの敷地内に2019年4月開庁予定の町役場新庁舎をはじめ,交流施設や商業施設,災害公営住宅,医療施設などを集約する計画です。鹿島には2017年6月からこれらの建設を行うための基盤整備を進めてもらっており,新庁舎の建設もいよいよ4月に着工予定です。

東日本大震災から7年が経過する今,この事業は私たちにとって大きな意味をもちます。現在,避難生活を余儀なくされている多くの町民に対し,町が復興に本腰を入れるという意思を示すことになるからです。昨年11月には特定復興再生拠点区域の整備計画を国が認可しました。これにともない,JR常磐線大野駅や県立大野病院周辺を中心とする約860haの除染を推進し,「住める環境づくり」を加速させます。これからの帰還に向けた様々な計画の先駆けが,大川原地区の基盤整備と新庁舎建設なのです。

避難生活――会津での7年

東日本大震災発災直後,約4,000人の町民とともに田村市をはじめとする複数の市町村に一次避難しました。その後,町役場を会津若松市に移して行政運営を継続し,現在は分散して避難生活を送る町民への配慮から,いわき市と郡山市にも行政機能を置いています。

私たちは各地の避難先で町民への意向調査や説明会を行っていますが,このなかで次第に町への帰還を断念する声も聞こえてきました。新たな庁舎を構え率先して帰町を果たすことで,町民の皆様にも希望を持ち続けてもらうとともに,震災以降様々なかたちで支えていただいた福島県内の多数の市町村への恩返しにもなると考えています。

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中間貯蔵施設の建設を受け入れる

鹿島には大川原地区の整備だけでなく中間貯蔵施設の整備と大熊町の廃棄物処理業務を担ってもらっています。中間貯蔵施設は現在,鹿島をはじめ3工区で整備が進んでいます。また昨年12月には仮設焼却施設の火入れ式が行われ,今年2月に本格運転が始まりました。これにともない,今後は町内の環境整備加速化が期待されます。

中間貯蔵施設の受入れは大熊町にとって苦渋の決断となりましたが,これらの施設は福島の復興に必要なものと判断し,承諾するに至りました。先祖代々の土地を提供して下さった町民の協力には感謝しています。

ふるさと復興への意志

2015年3月に発表した第二次復興計画では,“町土復興”を理念に掲げ2025年の町のイメージを提示しました。特定復興再生拠点区域の整備計画が認可されたことで,これからの復興の動きにもさらに弾みがつくことを期待しています。

未曾有の大災害の後で,大熊町の復興に今多くの目が注がれています。この期待に応えるようなまちづくりを展開したいと考えています。東日本大震災以前,大熊町は自然環境に恵まれた豊かな土地柄でした。再び住んでみたいと思える魅力的な町を創出するために,まずは中核となる新庁舎を早期に開庁し,復興の足がかりにしたいのです。しかし現在の職員数では限界もあります。鹿島グループの持てる力を結集し,その総合力で新しいまちづくりに協力していただきたいと思います。大熊町には旧庁舎をはじめ鹿島施工の建物が多数あります。こうしたところにも少なからぬ縁を感じます。これからも手厚いサポートをお願いします。

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写真:東北支店 大熊町大川原地区 一団地基盤整備工事 事務所 斉藤 広 所長

東北支店
大熊町大川原地区
一団地基盤整備工事事務所
斉藤 広 所長

当現場では大熊町の復興拠点となる大川原地区約18.2haの基盤整備を行います。この地区には今後新庁舎や町営住宅など,帰還を見据えた施設群が整備されます。私たちは大熊町や発注者である都市再生機構と協議を重ねながら,これらの建設に向けた造成工事や調整池の構築等を担当します。

私自身は,これまでに岩手県宮古市田老の復興まちづくりや,仙台市蒲生の復興土地区画整理事業の現場所長を務めてきました。そこでの経験と比較して感じ取れるのは,福島県と岩手県や宮城県とでは復興の状況がまったく違うということです。田老や蒲生では生活や産業の一刻も早い再開が期待され,とくに田老では着工から2年半という短工期で居住地の整備を完了しました。他方,大熊町の避難生活は8年目に入ります。住民の方々が帰町への思いを失う前に,希望をつなぐための新たな生活像を提示しなくてはなりません。

大熊町では今後,除染活動が推進されますが,汚染された土地を普通に宅地整備するだけでは「帰りたい」と思ってもらうのは難しい。再びここに戻りたいと思ってもらうには町自体の魅力を高めることが重要になります。復興が具体化するにつれて大熊町はさらに注目を集めるでしょう。各地から見学者も訪れます。こうした時に住んでみたいと思えるようなまちづくりが必要です。そのためにも機能性や効率性だけを重視するのではなく,付加価値の高い住環境を創出しなくてはなりません。これからも町や発注者と協議し,町民に寄り添いながら,持てる力を最大限に発揮してやり遂げたいと考えています。

写真:大川原地区鳥瞰

大川原地区鳥瞰。中央下の造成部分が大熊町役場新庁舎建設予定地(現場撮影)

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写真:東北支店 浜通り地区 復興再生事務所 藤澤道徳 所長

東北支店
浜通り地区復興再生事務所
藤澤道徳 所長

2016年10月,「浜通り地区復興再生事務所」は,この地区の復興関連案件の受注活動を推進する営業拠点として,また分散する現場事務所間をつなぐ情報共有拠点としての役割を目的に,大熊町大川原の地に開設されました。

富岡町で生まれ育った私にとって,故郷である福島県の復興に携わることは震災直後からの強い願いでしたが,それが叶うまでには5年の歳月を要しました。当社がこの間,出身地・富岡町で除染作業や建物解体,減容化処理といった様々な復興支援を展開していたことも,福島着任への思いをよりいっそう強めることになりました。母が生まれ育った大熊町もまた,私には大変思い入れの強い町です。ゼロから復興を進める拠点整備事業を着任後の最初の目標案件として定め,一から営業をスタートさせました。大熊町新庁舎整備事業プロポーザルに際しては,本社・支店が一丸となり,避難されている皆さんが安心して戻ってきたいと思えるような町民目線に立った提案ができ,その案が選定されたことを大変嬉しく思っています。

富岡町が一部地域を除いて避難指示解除となった昨年4月1日より,私は故郷の復興を願い,帰還直前で他界した父の遺志を継ぎ,富岡町で生活をしています。遅れてしまった“5年”を取り戻し,少しでも故郷復興の一助となり恩返しができるよう,地元のNPO活動やボランティア,ワークショップなどにも参加しています。これからも公私にわたって故郷の復興に全力を尽くしたいと考えています。

写真:趣味で出場するマラソン大会では,いつもこのタオルを掲げて故郷の復興をアピールしている(本人提供)

趣味で出場するマラソン大会では,いつもこのタオルを掲げて故郷の復興をアピールしている(本人提供)

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