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東京の玄関口に喜びの空間を広げる

東京駅丸の内広場整備他工事

東京駅丸の内駅舎の目の前に,歩行者の憩いの場となる駅前広場を整備する工事だ。
車や歩行者の通行に配慮するため,細かい調整を繰り返しながら,
経験豊富なベテラン社員から若手社員まで皆が一丸となって取り組んだ。
完成したばかりの広場では今,人々の笑顔が行き交っている。

【工事概要】

東京駅丸の内広場整備他工事

場所:
東京都千代田区
発注者:
東日本旅客鉄道
事業者:
東日本旅客鉄道,東京都建設局
設計:
ジェイアール東日本コンサルタンツ
規模:
[土木工事]
既設舗装撤去18,100m2
既設インターロッキング撤去3,400m2
アスファルト舗装工18,200m2
自然石舗装(インジェクト工法)13,300m2
道路附帯設備一式
植栽高木69本,低木・芝生他3,200m2
照明 街路灯 61本,その他照明設備,
水景設備,
打ち水・スプリンクラー設備一式
[建築工事]
シェルター工事4ヵ所/
荷捌きエレベーター設備一式/
換気塔設備一式/銅像2体
工期:
2015年4月~2018年2月

(東京土木支店・東京建築支店施工)

図版:地図

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写真:丸の内中央広場に配置されたベンチ

丸の内中央広場に配置されたベンチ 大村拓也(現場撮影以外同氏撮影)

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赤レンガ駅舎を引き立てる格式ある広場

首都・東京の象徴である赤レンガの東京駅丸の内駅舎の目の前に2017年12月,当社が施工した駅前広場がお目見えした。2012年に保存・復原工事が完了した丸の内駅舎,2013年に完成した八重洲口の「グランルーフ」とともに,当社が手掛けてきた東京駅の顔となるプロジェクトのひとつだ。

かつて丸の内駅舎の前には,自動車を主体としたロータリー(交通広場)が広がっていた。今回,広場の中央に約6,500m2の歩行者空間「丸の内中央広場」が整備された。中央広場の両側には,皇居方面へ続く行幸(ぎょうこう)通りとの一体感に配慮した植栽や照明が立ち並ぶ。広々とした空間は,都市の喧騒を忘れさせるだけでなく,まるで昔からここに広場があったのではないかと思うほど,駅舎や周囲の風景に調和している。一方,路線バスやタクシーなどの乗り場を持つロータリーは広場の南側と北側の2ヵ所に集約することで,広場内の車と歩行者のエリアを切り離した。

写真:大北善之所長

大北善之所長

丸の内中央広場は,時に東京駅を利用する皇族の車や,皇居で執り行われる信任状捧呈式に訪れる外国の駐日大使を乗せ,東京駅と皇居を往復する馬車列が通るルートとしても使われる。駅舎中央の御車寄せから行幸通りに向かって延びる部分は国産の真白な御影石による舗装が施され,重厚な赤レンガの駅舎のイメージと相まって,この場所の格式の高さを際立たせている。

広場を整備する事業は,東日本旅客鉄道(JR東日本)と東京都建設局によって行われた。当社が工事に着手した2015年4月から約3年間にわたり,現場を率いてきたのは大北善之所長だ。JR東日本が発注する鉄道工事に長年携わってきた。現場の多くは鉄道営業線に近接しており,トラブルになれば,列車の運行を止めてしまいかねないというリスクと常に隣り合わせだった。

対して,この工事の特徴を大北所長は次のように語る。「日本の人ならば,誰もが知っている場所で,工事中も常に注目されていました。広場が持つ格式の高さを損なわないためにも,作業の安全確保を徹底しました」。

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図版:広場整備の概要

広場整備の概要

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動線を何度も移設し全面的に作り直す

当社が施工したのは,駅舎と都道に四角く囲まれた南北約300m,東西約130mのエリアだ。東京駅が開業した1914(大正3)年当時から,都道は丸の内駅舎の両端にある丸の内南口と丸の内北口の正面を斜めに横切るように通っていたが,広場の整備事業の一環として,この工事を着手する以前に広場の外側を通るように付け替えた。

施工エリアは四方に長く,平面的に広い。線状の構造物を作ることが多い土木工事としては,稀な現場だ。しかし,工事スペースを十分に確保できたわけではない。着工当時,広場の北側に当たる部分では,その直下にあるJR総武線の地下駅の構造物を開削工法で増設する工事が進められており,段階的に施工していかなければならなかったからだ。

写真:尾崎友哉工事課長

尾崎友哉工事課長

工事は既存の舗装などを撤去しつつ,新たなレイアウトで車道や歩道,タクシーやバスの乗り場を段階的にすべて作り替えていった。工事期間中も車や歩行者を通すため,動線を工事の進捗に合わせて,何度も移設する必要がある。そのためのスペースも確保しなければいけなかった。

理想的な施工手順は,広場の南側と北側のロータリーを完成させた後に,中央の歩行者空間を施工することだ。工事全体の計画を担当した尾崎友哉工事課長は,「中央広場を後から施工すれば,車道を移設するためのスペースや資材置き場として,工事の終盤まで有効に活用することができます。しかし,実際には,着工後すぐに取り掛かれた広場南側のエリアから中央,北側の順に工事を進めないと,工期を確保できませんでした」と話す。

動線の移設は,車道だけでも15回以上に及ぶ複雑なものになった。これまで大北所長とともに鉄道工事の現場を歩んできた尾崎課長にとっても,初めての経験だった。

車道の移設に当たっては,警察から許可も必要になる。こうした関係機関との協議も尾崎課長が担った。移設を計画するうえで,重要なのは交通安全が損なわれたり,周辺の渋滞を巻き起こしたりしないように配慮することだ。

尾崎課長は協議の際,定期的に撮影している工事現場の航空写真を活用した。「航空写真は,周辺の道路の交通量や渋滞発生状況が一目瞭然です。計画中の移設が周辺への影響が少ないことを,写真を見てもらいながら説明しました」と,尾崎課長は語る。また,道路の移設によって,交通状況が変わる場合には,信号機のサイクル長を調整してもらうなど所轄の警視庁丸の内警察署の協力も欠かせなかった。

2015年6月に広場南側のロータリーに着手した工事は,別工事が完了した部分が引き渡されるごとに広場の北側へ施工エリアを拡大していった。まず初めに広場南側のロータリーが2015年12月に完成すると,工事現場を縫うような格好で駅前全面にあった仮設のタクシープールとタクシー乗り場を新しいロータリーに一旦集約。2016年6月ごろからは,広場中央の「丸の内中央広場」の南側半分に取り掛かった。最終的に施工範囲全体を施工できるようになったのは,地下工事がすべて完了した2016年12月以降のことだった。

歩道となる部分はアスファルトで下地を築いた後,それを追いかけるように,自然石舗装を仕上げた。砕石を厚さ3cmに敷き均し,大盤サイズは縦60cm,横90cmの御影石を並べ,その間から砕石に対してCAモルタルを注入する。この自然石舗装は「インジェクト工法」と呼ばれるものだ。衝撃吸収性に富んだCAモルタルを使うことで,大型車が通行した際の衝撃にも耐えられる。

歩行者の通路を確保しながら施工したところは段階的に舗装した一方,丸の内中央広場は工事が大詰めを迎えていた2017年3月から5月にかけて,最大30名がかりで石張りを一気に仕上げた。

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写真:南側ロータリー施工中

南側ロータリー施工中

写真:丸の内中央広場施工中

丸の内中央広場施工中

写真:丸の内中央広場一部開放

丸の内中央広場一部開放(空撮すべて現場撮影)

写真:御影石による自然石舗装

御影石による自然石舗装(現場撮影)

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固定方法を一から見直し銅像を再建

土木技術者が中心の現場だったが,現場事務所で建築の中心として奮闘してきた社員がいる。2009年に「保存・復原工事」を担当以来,8年にわたって東京駅のプロジェクトに携わってきた田中哲也工事係だ。この工事では,地下への階段部分の屋根を中心に広場内に点在する建築物などの設計と施工管理を一手に引き受けてきた。

「建築の仕事は建築物のディテールに気を配るのに対し,土木の仕事は工程厳守を重視する印象があります。初めのうちは仕事に対する考え方の違いから,土木の担当者と対立して,現場内で孤立するのではないかと心配していました。でも,大北所長が現場内のコミュニケーションを積極的に図ろうとしてくれていたおかげで杞憂に終わりました」と田中工事係は振り返る。

写真:田中哲也工事係

田中哲也工事係

田中工事係が2年の歳月をかけて,取り組んだのが,駅前広場に2つの銅像を再建することだった。これらの銅像は2007年,東京駅の工事にともなって,別の場所に保管されていた。

このうちの1つは明治時代の鉄道技術者で初代鉄道頭を務めた井上勝(1843~1910)の銅像。井上の勧めで1880(明治13)年,鹿島組の初代組長・鹿島岩蔵が鉄道請負業に乗り出すなど当社とも縁が深い人物だ。井上勝像は東京駅が開業した1914(大正3)年に建立され,太平洋戦争中に金属供出のために撤去されたものの,1959(昭和34)年に再建された。

もう1つは,天に向かって手を広げるポーズを取る男性の銅像「愛の像」。こちらは恒久の平和を願い1955(昭和30)年に建立された。

銅像の再建に当たっては,構造を一から検討する必要があった。元の銅像は,台座に埋め込まれた鉄の棒を銅像内空の銅の部分に溶接することで固定されていた。建築基準法では,銅と鉄の異種溶接は認められておらず,そもそも溶接部分が腐食する原因になる。

検討の結果,銅の鋳物形状のプレートを溶接し,ステンレスのフレームを構築し,そのフレームを台座にアンカーボルトで固定した。田中工事係は「これまでこうした銅像を扱った工事とは無縁でしたが,駅舎の工事の際,お世話になっていた石材会社から富山県で銅像や仏像の鋳物を手掛けている工場を紹介してもらうことができました」と,これまでの経緯を説明する。

2体の銅像は南北2ヵ所のロータリーにそれぞれ設置された。井上勝像は1914年に建立された当時の場所の近くに戻され,東京駅を見渡すようにたたずんでいる。

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写真:井上勝像

井上勝像

写真:銅像脚部に溶接したステンレス製フレーム

銅像脚部に溶接したステンレス製フレーム(現場撮影)

初めて実感した仕事の意義

丸の内中央広場を中心に,意匠を凝らした照明や石造のベンチが配置されている。これらは当社で製作したモックアップを基に,設計を担当したデザイナーにディテールを確認しながら,実際の製作に取り掛かった。「意匠に関わる仕事は初めての経験だったので,行き違いがないように慎重に進めました」(尾崎工事課長)。

広場の全面オープンを半年後に控えた2017年6月,駅舎中央の御車寄せの目の前にあった工事用の仮囲いを撤去した。丸の内中央広場のうち,駅舎側のスペースが一般に開放されると,赤レンガの駅舎をバックに記念撮影したり,ベンチでくつろいだりする観光客の姿が多く見られるようになった。

「これまで携わってきた鉄道工事は,完成しても利用客の方の率直な反応を知る機会がありませんでした。それだけに,人々が新しくなった広場で嬉しそうにしているのがとても印象的で,まったく予想していませんでした。工期が迫る中,大変な思いもしましたが,この仕事の意義を実感することができました」と,大北所長は感慨深げに語ってくれた。

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図版:東京駅丸の内広場平面図

東京駅丸の内広場平面図

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写真:南側から広場を望む

南側から広場を望む

写真:行幸通りから広場を望む

行幸通りから広場を望む

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+THE SITE 工程管理がシビアな調整を初めて経験

工事全体の工程を尾崎課長が調整しつつ,細部の施工は入社2~3年目の若手社員の手にも委ねられた。2016年に入社した直後からこの現場に所属する箆津(のつ)杏奈工事係は,既存の地下駐車場への取付け部分に位置する舗装について次のように振り返る。「舗装中は駐車場への出入口を閉鎖する必要があります。施工日と作業時間を,駐車場を管理する東京駅の担当者と調整したうえで,ギリギリの工程で挑みました。上司や先輩たちのフォローもあり,計画通りに行ったのですが,まだ工夫の余地があり,もう少し工程を詰められたのではないかと思っています」。

地下駐車場があるのは,広場の南側と北側の直下の2ヵ所。このうち,北側の地下駐車場は駅の業務用のもので昼夜を問わず,時間帯ごとに決まった車が出入りするうえ,出入口が1ヵ所に限られていた。そこで,深夜帯に唯一出入りするごみ収集車のスケジュールをずらしてもらい,これによって,確保した深夜帯の約3時間を舗装に充てた。

動線の移設や,交通規制が必要になったのは車だけではない。駅を利用する歩行者がスムーズに通行するための配慮も必要だった。施工範囲は駅舎の外構に相当する部分も含まれる。丸の内南口と丸の内北口には,それぞれ3方向に向けて出入口があり,1ヵ所ずつ通行止めにしながら,順に歩道の自然石舗装を仕上げていった。通行止めの情報は利用者に対して,事前の周知が必要で,綿密な工程管理が求められた。

2017年4月にこの現場に異動してきた入社3年目の高橋直樹工事係は,自然石舗装の下地となるアスファルト舗装などを担当。一般の利用者が行き来する場所で施工することは,初めての経験だ。

丸の内南口と丸の内北口には,それぞれ1ヵ所ずつ車いす用のスロープがある。高橋工事係が担当した丸の内北口付近の舗装では,スロープの周辺は完全に通行止めにせず,夜間のみの施工で行うことになった。

「一晩のうちに既存のアスファルトの約20m2を解体して,新たに舗装し直す作業を繰り返しましたが,初めのうちは計画通りに進捗が伸びず苦労しました。施工済みの部分と未施工の部分の境で段差ができないように常に気を配りました」と,高橋工事係は語る。

写真:箆津杏奈工事係(左)と高橋直樹工事係

箆津杏奈工事係(左)と高橋直樹工事係

写真:駅舎に面した範囲での舗装の様子

駅舎に面した範囲での舗装の様子(現場撮影)

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