「横浜みなとみらい21」(以下,「みなとみらい21」)は,
横浜市の西区と中区にまたがる横浜港に面した地域で,1980年代から整備が進められている計画都市だ。
現在,みなとみらい21では,当社横浜支店により3つのビッグプロジェクトが進行している。
本特集では,施工中の3プロジェクトを中心に,発展するみなとみらい21とその周辺地域における
当社のかかわりを紹介する。
横浜と当社・横浜支店の歴史
港町・横浜の歴史は,江戸幕府が欧米諸外国と通商条約を締結して1859年に開国した際に,寂しい漁村に過ぎなかった武蔵国久良岐郡横浜村を,諸外国に開いたことに始まります。
開港と時を同じくして,横浜居留地の最重要地点に建てられた,英一番館とアメリカ一番館の二つの一番館は,1840年創業の当社が,創業20年の助走期を経て建設業として本格始動した時期に施工した,記念すべき建物です。当地には現在,当社施工の「シルクセンター国際貿易観光会館」が建っていて,横浜と当社の深い縁を感じます。
みなとみらい21と
横浜支店のかかわり
みなとみらい21は,海により関内・伊勢佐木町地区と,横浜駅周辺地区に二分されていた横浜都心部を一体化して,企業や商業・文化施設などを集積し,経済の活性化と経済基盤の確立を図る目的で,埋め立てによる再開発で形成されました。「みなとみらい21」の名称は,一般公募で命名されたものです。綿密な街づくり計画による,首都圏では類を見ない186haの大規模都市再生プロジェクトで,1983年に開発事業を開始し,1989年に竣工を迎えました。
この年に横浜博覧会が開催され,横浜ベイブリッジが開通すると,みなとみらい21の名は一気に浸透し,1993年の当時日本一の高さを誇る「横浜ランドマークタワー」の竣工以来,大規模オフィスビルが次々に姿を現し,ビジネス街が形成されました。オフィスの需要が下火になったバブル崩壊後も,大型商業・アミューズメント施設,高層マンションの建築が相次ぎ,現在に至っています。
当社横浜支店も,土木では「みなとみらい中央駅」の建設や埋立工事,共同溝といった基盤整備,また建築では「パシフィコ横浜・国際会議場」,「横浜銀行本店」,「横浜ワールドポーターズ」など,数多くのプロジェクトを担当し,みなとみらい21事業推進のお手伝いをさせていただきました。
ビッグプロジェクト3件の同時施工
現在,「みなとみらい21地区」の開発進捗率は約95%となり,事業開始以来約40年を経過した巨大事業も最終段階を迎える中,「横濱ゲートタワー」,「MM37タワー」,「Kアリーナプロジェクト」の3件の大規模プロジェクトを当社が同時期に施工していることを,横浜支店長として大変嬉しく感じています。
横濱ゲートタワーは間もなく竣工し,MM37タワーとKアリーナプロジェクトはこれから最盛期を迎えます。いずれの建物も,引き続き安全に施工を進め,より良い建物を,無事故で,お客様に引渡しできる日を楽しみにしています。
使命感を持って貢献する
みなとみらい21事業の,横浜市中心部の都市機能充実と,新たな観光・行楽スポットの創出で,ミナトヨコハマは,訪れる人を魅了する美しい街になりました。
私は,入社以来の46年間を横浜支店で過ごし,横浜の発展と,変貌する姿を見続けてきました。
今回の寄稿にあたり,日本を代表する国際文化都市ヨコハマの街づくりに,微力ながら貢献できたことを嬉しく思うと同時に,改めて横浜と当社とのつながりに思いを馳せ,深い感慨を覚えました。
横浜はこれからも,夢や希望を共有できる都市の未来像を目指し,さらに進化を遂げることでしょう。当社もまた,持てる技術力や企画開発力で地域社会の発展に貢献し,ともに繁栄していく。それが,横浜支店に課せられた使命と考えています。