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特集-1 日本橋再生~伝統と革新の融合~

かつて“江戸の中心地”として栄えた日本橋。
その賑わいの様子は,数多く残っている錦絵や絵葉書からも垣間見ることができる。
江戸幕府開府から400年余り,現在,都心では多くの都市再生が進んでおり,日本橋地域もそのひとつだ。
なかでも「日本橋・室町地区」は,歴史的建造物や伝統的な老舗を残しながら,
新たな魅力を引き出そうと官民地域一体で革新的な街づくりに取り組んでいる。
今月の特集では,新たに生まれ変わりつつある“東京の中心地”の今を紹介する。

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写真:日本橋再生~伝統と革新の融合~イメージ

1段目:東都名所 日本橋真景并ニ魚市全図(天保年間1830年代頃)(提供:国立国会図書館)
2段目左:東京名所図会 日本橋の真景(明治時代)(提供:国立国会図書館)
3段目左:日本橋夕景 © yonehara keitaro /a.collectionRF/amanaimages

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慶長8(1603)年の江戸幕府開府とともに架けられた日本橋。翌年には,東海道をはじめとする五街道が定められ,日本橋は全国に通じる街道の起点となった。江戸から地方へ向かう人々は日本橋から出発し,地方から江戸に来る人々は日本橋で初めて江戸の活気を感じていたのだろう。

橋の下を流れる日本橋川には,江戸の水運の大動脈として多種多様の船が引きも切らず行き交っていた。川沿いには魚河岸が設けられ,その近隣には魚介の加工品を扱う店が派生し,料理屋,市場で使う道具や雑貨の店も並んだ。近くには有名呉服店も軒を連ね,その中には江戸時代に創業し現在まで商いを続ける老舗も多く見られる。こうした商人たちの活力を反映するかのように町人文化も誕生し,歌舞伎などの芸術文化はめざましい発展を遂げた。

また,現在の日本銀行本店の敷地には金貨を鋳造する金座が置かれ,その周りには金銀交換のための両替商が現れた。日本橋は江戸経済の中心をも担っていた。

すべてのものが江戸城の前に集まるように考えられた綿密な都市計画によって,日本橋地域は商業,文化,金融の中心地として繁栄。江戸時代中期には江戸の人口が100万人に達し,当時世界的な大都市といわれていたパリやロンドンを凌ぐ都市にまで成長した。

その後時代は流れ,関東大震災や東京大空襲に見舞われて大きな被害を受けるものの,日本橋はいちはやく復興を遂げた。戦後の復興期まで日本経済をリードしてきたこの地域は,都内各所に新しいビジネス街などが開発されていく中で,いつしか歴史と伝統の街となっていった。そしてバブル崩壊後,日本の景気が急速に後退し,日本橋のかつての勢いと賑わいは失われつつあったが,伝統と革新の融合によって再生しようとしている。

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