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都市をよむ:最終回 「時間地図」をよむ

地図の概念を覆した「時間地図」

都市や建築が内包する様々な社会的課題。それを可視化していくと,私たちが漠然と感じていた課題や解決策が,はっきりと浮かび上がってくる。そうした試みの一端を連載してきたが,この分野で多大な影響を与え続けているのが,グラフィックデザイナーの杉浦康平氏だ。

杉浦氏は,空間を2次元的に表示した一般的な地図に「時間」の概念を持ち込むことで,「時間地図」という分野をつくり上げた。グラフィックデザインがデジタル化される遙か以前の1960年代末に,膨大な手作業により生み出されたこの時間地図は,現在もなお私たちに大きな驚きを与え続けている。

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図版:図1

図版:図1

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図1 名古屋駅を出発点とした日本列島の時間軸変形地図(1985年制作)
中央の名古屋駅に向かって,北海道(オレンジ),四国(オレンジ),九州(緑),沖縄(紫)の空港所有都市が突き刺さるように引き寄せられる。伊豆半島は裏返り(東海岸・西海岸が逆転している),山地などの内陸部は海岸線の外にはみ出していく。たとえば富士山は右下端海上に見える

日本列島を「時間」によって歪める

なかでも,特に大きな衝撃を与えたものが「日本列島の時間軸変形地図」だ。上図がそのひとつで,一見では原型の姿がわからないほどに「日本」という空間が歪められている。しかし,北海道(オレンジ),本州(黄色),四国(オレンジ),九州(緑),沖縄(紫)と目で追っていくと,やっとおぼろげに日本列島が浮かび上がってくるだろう。奇妙なゆがみは,その名が示すとおり「時間」の干渉によって生まれている。

ここに示した地図は,名古屋駅を出発点として1985年に描かれた。名古屋駅から各地の駅に到達する最短時間を,地図上の距離に置き換え日本列島を変形させて描いたものだ。移動手段は飛行機・新幹線・鉄道・バスなどの公共交通機関を早いものの順に乗り継ぐ想定。出発点を円の中心として,そのまわりの同心円が到達時間のひろがりを30分刻みに示している。円の中心に近いほど出発点から短時間で行け,外側になるほど移動時間が長くなる。到達時間を距離に置き換えた時間地図は,一般的な地図では表現されない空間の差異が描き出される。

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引き寄せられる都市,遠ざかる地域

30年前に描かれた名古屋駅の時間地図は,空港や新幹線駅など,高速移動の拠点をもつ大都市が名古屋に向かって鋭く針状に引き寄せられている。例えば北海道は札幌が突出し,本州の秋田と近接する。福岡をはじめとする九州の空港所有都市,四国・沖縄などの主要都市も,やはり本州に突き刺さっているかのようだ。

反対に交通の便が悪い半島の先端部や山岳地帯は,実際の距離以上に名古屋から遠のいている。地理的には近いはずの紀伊半島は,先端部が3~5時間圏にまで達し,時間軸上では九州の都市部と変わらない。登頂に時間のかかる富士山は,本州にさえ収まらず,右下端の海上にまで飛び出してしまった。

これほど遠ざかる地域が多くあるとは,作り手の杉浦氏自身も予想していなかったという。こうした地域は交通発達度が低かったいわゆる僻地で,時間地図上では本州の輪郭線(海岸線)をはみ出して外部へとひろがっていく。日本中のインフラ整備が進んでいた1970年代に,時間地図は国土開発から取り残されたエリアを浮き彫りにしたのだ。それは視点を変えれば,その土地固有の風土や手つかずの自然が残されている地域の発見でもある。

止まらぬ思考

杉浦氏は日本列島の時間地図をつくり終えた後も,そこで創作を止めず,さらなる思考をいまなお続けている。完成した地図を多くの人が理解できるよう,作図プロセスの方法を示すために,「空間」と「時間」の関わりのモデル化を試みる。その過程で改めて生じる困難と,それを乗り越えるための新たな知的創造力を得る。杉浦氏はこの過程を「少年が模型飛行機づくりに試行錯誤するなかで,飛行という本質に近づいていくのと似ている」と説明する。なるほど,創造性とは,その絶え間ない思考の連鎖のなかにあることを改めて気づかされる。

時間軸でモデリングした地球儀

杉浦氏は,時間地図の発想を地球全体にも応用した。1971年の「時間軸変形地球儀」である(図2の【A】)。ジャガイモのように凸凹とした表面のゆがみが,交通の発達による世界の格差を視覚化している。凹んでいる場所は高速移動手段をもつ都市。膨らんでいる場所は砂漠や高山,極地といった到達困難な地帯である。

この表現法は,飛行機に乗ったときに,地球が縮んだように感じられた体験をきっかけとして生まれたという。「交通の発達によって2地点間の移動時間が短縮するさまは,2地点間の距離が縮む=球体の表面積が縮むことで表現できるのではないかと思いついた」と杉浦氏は当時を振り返っている。つまり図2の【B】のように,歩行速度(外側の層)→自動車→列車→高速鉄道→航空機(内側の層)と,交通の発達に応じて地球の表面積は縮小する。その各層をタマネギの皮のように重ねることで,地球の時間軸構造を表現したのだ。

【D】は8層の速度の重なりが描かれた地球の断面。最も内側にきているのは時速800kmの航空機の層である。着陸場所である空港は地表の一点にしかならないため,空港所有都市のある場所が,針先のように鋭く陥没するのが特徴的だ。この表面積の異なる各層を滑らかにつなぎ合わせることで,【A】の「時間軸変形地球儀」は描き出された。

意外な世界像を提示した時間地図。一般的な地図は,客観性・普遍性を目指して描かれた世界であり,それは誰もが疑わない「堅い世界」だと杉浦氏は表現する。そこに「時間」という軸を加えると,見慣れた地図や地球儀は容赦なくゆがみ,凹んでいく。新しい視点の導入は,疑いなく堅いと思われていた世界や都市の空間を,柔らかく捉えなおす手助けとなり,ときに問題意識を表出させる。「時間地図」は,凝り固まった私たちの価値観を柔らかく解きほぐし,新たな指標へと導いてくれるのである。

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図版:図2

図2 時間軸変形地球儀
(初出:雑誌『遊』1号,1971年,工作舎)
【B】【C】は,人間の歩行速度(外側の層)から自動車・列車・高速鉄道・航空機(内側の層)へと,交通の発達度に応じて地球の表面が陥没していくプロセスを描く。
【D】で内側に向かって針先のように鋭く陥没する点群は,空港を所有する都市。最外周は極地・高山・砂漠といった到達困難な地帯のふくらみで覆われている。これらの表面をつなぐと【A】のような凸凹の球体「時間軸変形地球儀」が描ける

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図版提供:杉浦康平プラスアイズ
出典:杉浦康平『時間のヒダ,空間のシワ…[時間地図]の試み─杉浦康平ダイアグラム・コレクション』鹿島出版会,2014年

Profile:白井宏昌(しらい・ひろまさ)

建築家,滋賀県立大学准教授。早稲田大学大学院修了後,Kajima Design勤務。2001年文化庁派遣在外研修員としてオランダに派遣。2001~06年OMA(ロッテルダム・北京)に勤務。中国中央電視台本社屋などを担当。ロンドン大学政治経済学院(London School of Economics)都市研究科博士課程より「オリンピックと都市」の研究にて博士号取得。2008年には国際オリンピック委員会(IOC)助成研究員に就任。研究の傍ら2012年ロンドンオリンピックパークの設計チームメンバーとしても活動。現在,H2Rアーキテクツ(東京・台北)共同主宰。また明治大学大学院,国際建築・都市デザインコースなどで兼任講師も務める。

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