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幸せの建築術 人類の叡智を再考する 第2回 モンゴル 絆を強める移動式住居

厳冬に耐える移動式住居ゲル

飛行機でモンゴルへ入ると,まず広大なゴビ砂漠が目に入り,やがて窓の外には息をのむほどの美しい草原が広がる。草原には多くの川が流れている。モンゴル北部全域には網の目のように川が流れ,そのほとんどが隣国ロシアのバイカル湖に注ぐ。それらの川には鮭が溯上し,イトウという幻の大魚もいるため,日本からも釣り好きが集まる。

飛行機が下降していくと,草原の中に米粒のような白い点が数多く点在しているのに気がつく。放牧を営む遊牧民の「ゲル」(モンゴル語で住居)である。中央アジア,アラビア半島,アフリカの北部,南米のパンパ高原などに,今でも多くの遊牧民が存在するが,モンゴルのような冬に気温がマイナス40℃にもなる地域で移動式住居に住む遊牧民は珍しい。

図版:地図

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モンゴルの遊牧民は家畜のための草を求めて春夏秋冬,年に約4回移動していく。そのため一緒に移動する住居も軽量なものでなければならず,組立ても解体も容易なテント式住居が生まれた。軽量でも強い柳の木からつくられた最小限の部材で骨格を組み,厳寒の気候に耐えるよう屋根,壁をすべて分厚いフェルトで覆う。その上にフェルトを湿気から守るトトプレスと呼ばれる白い布を載せる。陽射しの強い夏と厳寒の冬には,フェルトの枚数で室内の温度を調整する。

写真:雪に囲まれたモンゴルの「ゲル」。厳寒の冬が訪れる地域で移動式住居に住む遊牧民は,世界でもまれな存在

雪に囲まれたモンゴルの「ゲル」。厳寒の冬が訪れる地域で移動式住居に住む遊牧民は,世界でもまれな存在

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組立ては30分

ゲルの骨組みは,南京玉すだれのように折りたたんで持ち運べる。まず骨組みをつないで円形の壁をつくり,中央に2本の柱を建てる。その上に留め具のリングを載せ,放射状に棒をかけ屋根をつくる。扉が唯一の贅沢といわれ,凝った意匠のものを見かけることがある。他の部分は一緒なので,扉がその家の特色を出す重要な役割を果たす。最後に南の開口に扉を付けて入口として完成である。

ゲルは大地に直接置かれるが,極寒の大地から守るため,床には断熱材として馬や牛のフンを乾燥させたものを地面に敷き,その上に布やフェルトを敷き詰める。中央には暖房や料理のためのストーブが置かれるが,臭いのきつくない牛糞はその貴重な燃料にもなる。通常,モンゴルの人たちはこれらの解体,組立てをなんと30分ほどで行ってしまう。

室内の家具の配置には厳格なルールが存在する。正面にはチベット仏教の祭壇が置かれ,向かって左側は猟や遊牧のための道具などが置かれた男性の空間,右側は料理道具が置かれた女性の空間である。

平面は直径5~6mほどの円形であるが,実際に内部で生活してみると思ったより広く感じ,それほど圧迫感や閉塞感がない。円という形状のせいかもしれない。世界でも珍しい窓のない住居だが,外の様子は風のそよぐ音や草のなびく音,家畜の動く音などにより手に取るように分かるし,天窓からは自然光もふんだんに入ってくる。

この狭い空間に5~6人の家族が同居する。日本のような個室群の住居に比べると家族の関係は濃密といえる。日本では失われつつある家族の強い絆がここにはある。

図版:夏の間は馬乳を発酵させた「馬乳酒」だけで栄養補給をする,ゲルの室内,折りたためる壁の骨組み(左)と,屋根をつくるリング状の留め具と放射状の棒部材,骨組みの上にフェルトを重ね,その枚数によって室内の温度を調整する

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隣家とのコミュニケーション

彼らは限られた空間を実に巧みに使い,最小限の家具や生活用具しか持たない。1家族でゲルを含んで300kgほどが全財産。これはラクダ1頭が運べる限度だそうだ。空間の有効利用と遊牧のために,ゲルに住む人々の整理整頓術は,現代人の我々と比較するとはるかに優れている。

家畜のための草原の広さを確保しようとすると,隣家とはどうしても2~3km離れてしまう。草原にぽつんと建つゲルを見ると,我々は孤独感や哀愁を感じてしまうが,じつは強いコミュニティがつくられている。それを可能にするのがモンゴルでは誰もが子どもの頃から乗りこなせる馬という交通手段と,3.0以上の驚異の視力。隣家までは数分で行けるし,ゲルの様子も互いに見えているのだ。最近では携帯電話やインターネットも普及し,コミュニケーションはむしろ濃密である。

写真:扉は唯一贅沢につくられ,各家の特色が出る

扉は唯一贅沢につくられ,各家の特色が出る

写真:モンゴルでは誰もが子どもの頃から馬を乗りこなせる

モンゴルでは誰もが子どもの頃から馬を乗りこなせる。そのおかげで数km離れた隣家も“ご近所”の範囲だ

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21世紀のゲルをつくる

1995年,モンゴル建築家協会から21世紀のゲルを共同で開発できないかという提案があった。当時モンゴルの山岳地帯で大規模な山火事があり,ゲルの骨格をつくる柳の木が大幅に減少してしまっていた。さらに移動用にゲル自体をもっと軽くしたいという要望もあった。

そこで日本の建築家たちで有志を募り,私の他に内藤廣,古谷誠章,今川憲英の諸氏,太陽工業が参加して試作品を完成させ,大阪・千里の国立民族学博物館で展示,シンポジウムを行った後,いよいよマイナス40℃の厳寒のモンゴルに持ち込んで組み立てた。骨組みは触っても熱くも冷たくもないアルミで作成。シートには断熱性を持たせた。しかし我々のゲルは期待したほど寒さを十分にしのぐことができなかった。自然はそう甘くない。厳しい自然を知り尽くしたモンゴルの草原の遊牧民の叡智の深さに脱帽した。

写真:アルミの骨組みと断熱性シートで制作した21世紀のゲル

アルミの骨組みと断熱性シートで制作した21世紀のゲル

大都市に定住する遊牧民

それ以来,モンゴルの草原に行くたびに何の前触れもなくゲルを訪問したものだが,ほとんどの遊牧民が暖かく迎えてくれた。ある家族を訪れたとき,最後に記念写真を撮ろうとすると夫妻は隣のゲルに移り,なかなか出てこない。しばらくすると完全に正装し,あでやかな衣装で現われて我々を驚かせた。物を極力持たないといっても,お洒落は別なようである。

今モンゴルの大都市では定住する遊牧民が増えている。収入もなく,ゲルのまま都市に住んでいる人たちもいる。インフラも整備されておらず,不衛生でスラム化した地域が現れ,新たな都市問題となっている。しかし,国土南部に広がるゴビ砂漠は地下資源の宝庫といわれる地。草原の遊牧生活の中で培ってきた自然との共生術や人々の絆を生かしながら新たなモンゴルを切り開いていってほしいと願うばかりである。

写真:あでやかな正装姿

あでやかな正装姿

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古市流 地球の歩きかた

モンゴル国国旗
(Mongolia)

面積:156万4,100km2(日本の約4倍)
人口: 約299万人
首都: ウランバートル

羊は一緒に移動する食料

羊の肉料理は,まずぶつ切りにした肉を,豚や牛などの内臓の皮をなめした大きな袋に入れ,水と栄養いっぱいのモンゴル岩塩を加えた後,焼いた石をその中に入れ,それを男たちが持ち上げぐるぐるとしばらく振り回す。でき上がった羊の岩塩蒸しは,野性味が強くうまい。モンゴルチーズともよく合う。

チンギスハンの時代,世界制覇に向かう遠征で,羊と共に移動することは大事な食料と一緒に動けることを意味した。ロシア,ハンガリー,シリアなどまで侵攻できたのは羊のおかげなのである。

写真:羊は一緒に移動する食料

地平線から立ち上がる天の川

かつてゴビ砂漠で見た夏の夜空は忘れられない。空を遮るものが一切なく空気も澄んでいるので,日本で見るよりも天の川がはるかに幅広く,星群も濃密に感じられた。ミルキー・ウェイとはよく言ったもので,真っ白な天の川が,大地から反対側の大地へ沈むその姿は必見である。

遊牧民は歌がうまい

人が集まるとアルヒという強い酒が出される。蒸留酒で,家畜乳由来のシミンアルヒと穀物由来のツァガーンアルヒの2種類がある。

宴たけなわになると歌が出る。遊牧民はみな歌がうまい。「故郷を想う歌」など,次々と歌い手が入れ替わりながら,美しいメロディを朗々と自信をもって歌う姿は感動的である。草原でも放牧しながら歌っているのだろうから,ますます磨きがかかる。

古市徹雄(ふるいち・てつお)
建築家,都市計画家,元千葉工業大学教授。1948年生まれ。早稲田大学大学院修了後,丹下健三・都市・建築設計研究所に11年勤務。ナイジェリア新首都計画をはじめ,多くの海外作品や東京都庁舎を担当。1988年古市徹雄都市建築研究所設立後,公共建築を中心に設計活動を展開。2001~13年千葉工業大学教授を務め,ブータン,シリア調査などを行う。著書に『風・光・水・地・神のデザイン―世界の風土に叡知を求めて』(彰国社,2004年)『世界遺産の建築を見よう』(岩波ジュニア新書,2007年)ほか。

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