地中海文明の十字路
シチリアと聞くと,多くの日本人にとっては映画「ゴッドファーザー」のイメージが強く,マフィアを連想するだろう。しかし,実際にこの島を訪れると,長い歴史の中でつくり上げられた美しい街やさまざまな文化,その奥の深さに惹きつけられる。
イタリア半島の長靴のつま先に面して浮かぶ地中海最大のこの島は,日本でいえば四国と九州の中間くらいの大きさである。北はイタリア半島,南はアフリカ,東はギリシャ,トルコや中近東に面しており,地中海古来の交通の要衝地としてさまざまな民族がここを支配した。起伏のある豊かな大地には,各地域から多種の作物が持ち込まれ,肥沃な大地をつくり上げていった。
紀元前8世紀には東からギリシャが侵略。その後はローマ帝国,ビザンツ,8世紀にアラブ,11世紀にノルマン人の統治下となり,以降もカタルーニャやハプスブルク家が君臨。19世紀にイタリア王国の成立と同時にその一部となって現在に至る。さまざまな強国の歴史が混じり合い,独特の文化をかたちづくってきた。
建築についても同様で,ギリシャの神殿からアラブやノルマンの建築に加え,イタリアのバロックも入り,ほかにはない造形文化がみられる。地中海文明の十字路といわれる所以である。
旧市街の眺めと斜面につくられたつづら折りの道路
丘の上の新市街ラグーザ・スペリオーレ
地中海にはギリシャのサントリーニ島,イタリアのアマルフィやマテーラなど,斜面につくられた都市が多く存在する。シチリアでも州都パレルモに加えて,シラクーザやタオルミーナ,シャッカなど多くの美しい斜面都市を見ることができる。
なかでもここラグーザは,斜面の利用の仕方や街区の構成などの個性が際立つ。深い渓谷に囲まれた東西2つの丘の斜面に,数千年前から市街地が発展してきた。しかし,1693年にこの地を襲った大地震によって,2つの地区に分けられることになった。東側の低い丘の斜面中心にひろがる旧市街ラグーザ・イブラと,西側の標高の高い丘の上に建設された新市街ラグーザ・スペリオーレである。
鉄道駅のある南の丘(左)と,西の丘(右)のラグーザ・スペリオーレをつなぐカップッチーニ橋(手前)
旧市街から西の丘の新市街,ラグーザ・スペリオーレを見上げる
深い渓谷に囲まれたラグーザ
大地震で壊滅的な被害を受けたのを契機に,西の丘の上には新市街が碁盤の目のように区画され,豪壮なバロックの館が次々と建てられた。今では近代的な建物も多く立ち並んでいる。谷を挟んで南側にあるもう1つの丘には鉄道駅やバスターミナルが敷設され,西の丘とはいくつかの橋で結ばれることで,あわせて新市街を構成している。
西の丘の端にあるサンタ・マリア・デッレ・スカレ教会の近くに立つと,向い側には東の丘の斜面に築かれた旧市街が,まるで谷間の緑の中に島が浮かんでいるように現れる。
窓の装飾が美しいコゼンティーニ邸
新市街ラグーザ・スペリオーレと東の丘をつなぐつづら折りの道
Google Earth ©2017 Google
急斜面のつづら折りの道
サンタ・マリア・デッレ・スカレ教会から東に下る急斜面には古い街並みが残る下町がある。この急斜面には歩行者のために300段ほどの階段が設けられているが,一気に上下させるのではなく,小さな広場や斜路が組み合わされている。両側には住宅などの入口が面し,そのつくり方も絶妙である。小さな広場にはベンチが置かれていたり,所々がトンネル状になっていたりして豊かな空間を楽しむことができる。
建物がまたがってトンネル状になっているところもある
新市街ラグーザ・スペリオーレと旧市街をつなぐ歩行者のための階段。住宅への入口が工夫されている
車は,斜面を縫うようにつくられた,日光いろは坂のようなS字カーブを描くジグザグの道路を通ることになる。つづら折りの車道と歩道が直交するところは立体交差になっていて,歩行者の頭上にまるで空中を飛ぶような車道がしばしば現れる。暑い夏には車道の下は格好の日陰となり,ひと休みもできる。
歩行者用階段の上を通る車道
歩行者のための階段から眺める東の丘旧市街地
中世の面影とバロックの個性
旧市街地区には,およそ紀元前2000年から人々が住み始めたとされ,大地震の後にやはりバロック様式で街が再建された。中世の面影も色濃く残す街は,整然とした街並みの新市街とは対照的である。斜面につくられた旧市街の全体には,石畳の狭い坂道と階段が縦横に走り,まさしく迷路のようだ。
丘の頂上近くには,旧市街の中心となるドゥオモ広場があり,そこに面してシチリア出身のバロックの建築家ロザリオ・ガルディによるサン・ジョルジョ大聖堂が建つ。その内部は,劇的なバロック様式を感じさせるものではなく,むしろ端整なルネッサンスの空間である。この大聖堂周辺の斜面に並ぶ個性豊かなバロック様式の建築群は圧巻だ。
高さの違う丘につくられた街からなるバロックの斜面都市,ラグーザ。東西の丘を登り降りしてみると,空間の変化が味わえ,それぞれつくられた時代も街の構成も,人々の暮らし方もまったく違うことが実感できるのである。
イブラ旧市街中心に立つサン・ジョルジョ大聖堂。シチリアの建築家ロザリオ・ガルディ設計
シチリア島
Sicilia
面積:25,708km2
人口:510万人
州都:パレルモ
地中海最大の島。イタリア各地から島の主要都市を結んだ航空便が頻繁にある。平野部は少なく,島の大部分は山岳・丘陵地帯。漁業が盛んで,柑橘類も豊富だ。
味の十字路でもあるシチリア
宗教や建築などさまざまな文化が混じり合ったシチリアは,独特の様式をつくってきたが,料理も例に漏れない。豊富な魚介類,トマト,オリーブなどを使ったメニューはもちろんだが,アラブや北アフリカに近いため,ハーブやスパイスの味付けも楽しめる。
明るい伊達男
イタリアの伊達男のイメージを裏切らず,ラグーザで見かけた男性は,70〜80歳代でもみなおしゃれで気さくだった。私が訪れたのは8月の暑い日。男性たちは昼間から酒を飲み,ベンチや広場で休んでいる。イタリア南部は経済的に貧しいともいわれるが,人々の表情は明るく,その佇まいからは真の豊かささえ感じられた。
魚介類の豊富なシチリア料理
ベンチでくつろぐ伊達男たち
古市徹雄(ふるいち・てつお)
建築家,都市計画家,元千葉工業大学教授。1948年生まれ。早稲田大学大学院修了後,丹下健三・都市・建築設計研究所に11年勤務。ナイジェリア新首都計画をはじめ,多くの海外作品や東京都庁舎を担当。1988年古市徹雄都市建築研究所設立後,公共建築を中心に設計活動を展開。2001~13年千葉工業大学教授を務め,ブータン,シリア調査などを行う。著書に『風・光・水・地・神のデザイン―世界の風土に叡知を求めて』(彰国社,2004年)『世界遺産の建築を見よう』(岩波ジュニア新書,2007年)ほか。