創業者の鹿島岩吉は1840(天保11)年,25歳のときに大工として独立。江戸中橋正木町(現・中央区京橋)で店を構え,大名屋敷の御出入りとなるまでに成功した。
1858(安政5)年の日米修好通商条約により,開港場の横浜は建設ラッシュに沸く。ここに進出した岩吉は,鹿島の今日に至る発展の基礎を築いていった。
このころ東アジアで勢力を広げていた英国商社ジャーディン・マセソン商会は,日本の生糸が安く良質なことを知り,横浜へ進出。当時の外国商人の多くが船を事務所にしていたなか,1859年末に2階建ての商館をいち早く建てている。これこそ鹿島が建設した横浜初の外国商館,英一番館である。
つづいてアメリカ一番館と呼ばれたウォルシュ・ホール商会の建物を手がける。鹿島の仕事ぶりは,横浜や神戸の居留地に拠点を構えようとする外国商人たちに「洋館の鹿島」として知れ渡っていった。
そして,ウォルシュ兄弟の推薦により,1873(明治6)年には東京京橋木挽町に士族らの商社・蓬莱社(のち十五銀行本店)を建設。品川に毛利邸洋館,王子に煉瓦造の抄紙会社(のち王子製紙,現・王子ホールディングスの前身)の工場,さらには岡山県庁舎など,各地で新しい建築を手がけていったのである。