鹿島の海外事業は,1899年に着工した鉄道インフラ建設にはじまる。台湾における日月潭水力発電所計画では,最大・最難の武界ダムなどを施工。完成後は,東洋一の水力発電所として台湾全島に電力を供給しつづけた。
戦後初の賠償工事となったバルーチャン発電所は,ビルマ(現・ミャンマー)最大の電力インフラ施設。高温多湿,人跡未踏の熱帯雨林のなか,建設資機材の運搬にも苦労しながら完成にこぎつける。以後,各地のインフラ整備において信頼と実績を積み重ねていく。
一方で米国では,ロサンゼルスの日本人街,リトルトーキョーの再開発に1960年代より取り組み,その後,海外事業が躍進する大きな契機となった。市当局は,荒廃するこの街を取り壊す計画だったが,鹿島は同胞の四散防止のために独自の再開発案を作成。海外進出は社運にかかわる大きな挑戦だったものの,この計画が高く評価され,街は存続となって再開発がはじまった。新たな街づくりの拠点としてカジマビルが竣工するころには,一企業の枠組みを超える事業へと成長。戦後の日米関係を育み,現地日系人の地位を向上させる一助となっていたのである。
現在は,アメリカ,アジア,ヨーロッパ,オセアニアの各地で,現地法人を通じて建設・開発事業を展開。大型複合開発をはじめ,工場,オフィス,物流,学校,病院,集合住宅,ホテルなど多岐にわたる施設を手がけている。土木事業でも50ヵ国以上でインフラ整備やプラント関連施設の工事を担ってきた。そしていま,「海外の鹿島」として発展をつづけている。