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4章 超高層への挑戦

図版:完成当時の霞が関ビルディング

完成当時の霞が関ビルディング(1968年)

わが国の超高層時代の幕あけとなった高さ147mの霞が関ビルディングが,地上36階建てで完成したのは1968(昭和43)年。地震国・日本では,建物の高さに31mの「100尺制限」が長くつづいていたが,1963年の法改正によって制限が撤廃。すでに鹿島では,欧米への社員派遣や大型コンピュータの導入などに力を注ぐとともに,構造力学の世界的権威・武藤清博士を副社長に迎えていた。

地震に抗するには建物自体を強固にする考えが常識だったなか,地震動を柳に風と受け流す「柔構造理論」を具現化。施工では,H形鋼の柱,長大ハニカムビームの梁,タワークレーンによる鉄骨建方,デッキプレートによる作業床,コンピュータによる工程管理など,無数の創意工夫によって日本における超高層の建設技術を確立した。

霞が関ビルディングの建設から半世紀,高さ100m以上の超高層ビルは,全国で1,000棟を超え,より安全性と快適性が求められるようになっている。その代表的な技術である制震構造は,ダンパーなどの装置によって地震時に建物の振動を抑制。鹿島ではこの技術開発を1980年代より世界にさきがけて推進し,制震構造の提唱者・小堀鐸二博士を副社長に招聘した。

昨年竣工の東京ミッドタウン日比谷では,新世代制震装置「HiDAX-R®」を装備。また現在,鹿島が手がけた第三の超高層ビルである世界貿易センタービルディングの建替え事業がはじまり,国際性豊かなビジネスセンター創出への整備が進んでいる。

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図版:現在の霞が関ビルディング

現在の霞が関ビルディング。
3回の大規模なリニューアルを行い,最新の機能を保持しつづけている

図版:超高層ビルが建ち並びはじめたころの新宿副都心

超高層ビルが建ち並びはじめたころの新宿副都心。
左から,新宿住友ビル(1974年),新宿三井ビルディング(同),京王プラザホテル(1971年),
国際通信センタービル(1974年,現・KDDIビル)。建設当時,「高さ東洋一」を次々と更新していった

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図版:世界貿易センタービルディング

世界貿易センタービルディング(1970年)

図版:サンシャイン60

サンシャイン60(1978年)

図版:OUBセンタービル

OUBセンタービル(シンガポール,1986年)

図版:大阪東京海上日動ビルディング

大阪東京海上日動ビルディング(1990年)

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図版:新宿パークタワー

新宿パークタワー(1994年)

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図版:東京ミッドタウン日比谷

東京ミッドタウン日比谷(2018年)

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