志木ニュータウンは,コンペで採用された鹿島の開発プランのもと,1971年にスタートした大規模住宅団地。用地買収・土地造成・配置計画から設計・施工・分譲販売に至るまで,その総合力が試される国内最大級のプロジェクトとなった。鉄道駅の新設を含む街づくり全体の遂行は,鹿島にとっては新しい挑戦。この事業と寝屋川東ファミリータウンは,のちに大規模複合開発事業へ本格参入するきっかけとなった。
1980年代後半からは,大規模複合プロジェクトを各地で展開。東京イースト21(東京都江東区)では,ホテルやオフィス,商業施設からなる都市型の複合施設を整備し,新たなシビックゾーンを創出している。
そして,レジャー・リゾートの開発が全国的にブームとなるなかで,鹿島では良質なリゾート空間を提供していった。1990年代にオープンした那須ちふり湖カントリークラブや当間高原リゾート ベルナティオでは,世界的なゴルフコースの設計者と共同。さらに,地域振興や地域との共生,自然環境との共生にも注力している。
2000年代に入ると,経済構造改革により規制緩和や新制度の創設など都市開発に民間の資金やノウハウを誘導するための施策が具体化する。秋葉原開発プロジェクトや虎ノ門4丁目開発プロジェクトなど,都市再生プロジェクトにおける大規模複合開発事業へ積極的に参入していった。
“オール鹿島”の総合力が発揮される開発事業は,竹芝地区や浜松町2丁目地区,ウッドレイ(シンガポール)など各地で進行中だ。