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特集 鹿島180年とその時代

英一番館が描かれた錦絵「横浜英吉利西商館繁栄図」(部分,一恵齋[落合]芳幾画,1871年)

創業180年を迎えて 「進取の精神」を明日に 取締役相談役 鹿島昭一

2019年,我が社は創業180年を迎えました。1840(天保11)年に初代・鹿島岩吉が江戸中橋正木町で町方大工の店を構えてから,幕末,明治,大正,昭和,平成と時代が移り変わる中で,「洋館の鹿島」「鉄道の鹿島」「超高層の鹿島」「原子力の鹿島」などと称されてきました。それは,時代の要請に応えた事業の展開であり,「進取の精神」の歩みとも言えます。

鹿島岩吉は,大名家御出入りの江戸町方大工として成功を収めたのち,幕末の開港直後に横浜へ進出しました。英一番館を皮切りに数々の外国商館を手掛け,洋館建築の旗手として名声を得ます。
その後,1880(明治13)年に曾祖父・鹿島岩蔵は,当時,成長産業であった鉄道建設請負へ転進を果たします。鹿島組を設立し,明治国家の鉄道整備の一翼を担いました。
これを1912(明治45)年に受け継いだ祖父・鹿島精一は,鉄道建設に事業を集中すると共に,国内はもとより満州や台湾にまで鉄道やダムなどのインフラ建設に邁進します。また,貴族院議員,土木学会会長,業界団体などの役員を務め,建設業界の発展や地位向上に取り組みました。

1938(昭和13)年,社長に就任した父・鹿島守之助は,科学的管理法の導入や機械化施工の強化など,科学的合理主義に根差した経営の近代化を図りました。併せて,将来の技術競争を見越し,戦後混乱の中で技術研究所を設立して「技術の鹿島」の礎を築きます。臨海の軟弱地盤に工業地帯を拓き,超高層建築の幕をあけ,原子力発電所の建設を担うなど,建設技術の深耕は高度経済成長に大きく貢献していきます。外交官出身の父・守之助は,学者,政治家としても活動し,社会の啓蒙や厚生に力を尽くしました。

我が社の伝統となった「進取の精神」は,今も着実に受け継がれています。1991(平成3)年,私は社長として,予見された市場の構造変化に対応するため,事業の多角化と国際化に向けた長期ビジョンを策定しました。建設に加え,設計,エンジニアリング,開発事業などを強化し,これらをグローバルに展開する企業グループへの進化を目指しました。
今後,それぞれの能力を一段と高め,グループ全体の総力を結集して,高度なサービスを提供する建設企業グループへと,永続的に成長を遂げたいと考えています。

上に掲げた錦絵・英一番館の時代から,今日に至る我が社の歴史を顧みる時,「唯一生き残るのは変化できる者である」というダーウィンの言葉を改めて思い起こします。
我が社は,先人たちが築いた技術と品質の優れた伝統と,未来を志向して果敢に挑戦して来た歴史を受け継ぎ,今後どのように環境が変化しても,必ずや新たな時代を切り拓いていくことを確信しています。
皆さんの奮闘を願ってやみません。

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