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大正~昭和初期

明治から始まった鉄道は,大正を経て大きく進展する。
大正時代はわずか15年と短かったが,1914(大正3)年には東海道本線の起点となる東京駅の開業をはじめ,
1925年には山手線が環状運転を開始するなど,
日本の主要路線の多くが開通するといった目覚ましい進歩があった時代。
当社は日本初の鉄道高架橋となる東京市街線,半世紀もの間,日本一の長さを誇った阿賀野川橋梁,
世紀の難工事と言われる丹那トンネルを施工するなど,「鉄道の鹿島」としてさらに名を馳せることになった。

東京市街線

photo: Takuya Omura

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〈東京市街線〉 ~日本初の鉄道高架橋~

東京市街線は,新橋起点の東海道線と,上野起点の東北線を結ぶ路線として計画された日本初の鉄道高架橋だ。

1889(明治22)年に両地点を結ぶ高架線が計画されたが,日清・日露戦争の影響により中断し,竣工したのは1910年となる。日本初の高架橋工事のため,施工は工学士の請負者に限るという条件があった。当時,この条件を満たすのが鹿島精一の鹿島組と杉井組しかいなかったことから,両者に特命発注された。鹿島組は新橋~鍛冶橋間を施工。1910年,浜松町から烏森,有楽町を経て呉服橋仮停車場が開通,1914(大正3)年に中央停車場(東京駅)が完成し開業した。現在は補強整備され,高架下には多くの飲食店が立ち並ぶ。時代の名残を感じさせる煉瓦造りの高架橋は,土木学会選奨土木遺産にも認定されている。

図版:完成当時の新橋駅付近の高架橋,正面奥の洋館は帝国ホテル

完成当時の新橋駅付近の高架橋,正面奥の洋館は帝国ホテル

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阿賀野川橋梁

photo: Takuya Omura

〈阿賀野川橋梁〉 ~半世紀以上日本一の長さを誇った橋~

現在,羽越本線のうち新潟県の新津駅から新発田駅を結ぶ阿賀野川橋梁は全長1,366m。1910(明治43)年9月に着工し,1912(大正元)年9月に開通した。当社が施工した下部工は,100年以上経った今なお竣工時のまま残っている。

降雪地帯での工事ということもあり,融雪期の2月下旬は流水量が多く,施工中に何度も洪水に遭い足場が流されることもあったが,工期通り完成させた。竣工から半世紀以上にわたり日本一の長さを誇った。

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図版:当時の阿賀野川橋梁

当時の阿賀野川橋梁

history

〈丹那トンネル〉 ~16年の歳月を費やした世紀の難工事~

丹那トンネルは東海道本線の輸送力増強のために計画された。1917年,第一次世界大戦中の物価高に苦しむ中,鹿島組(組長・鹿島精一)は社運をかけてこの国家的事業に臨む。当時は調査技術が未熟で地質・湧水などの情報も限られる中,相当な困難が伴うことは当初から予想されたが,現実には従来のトンネル工事の経験では対応できない想像を絶する難工事となった。度重なる困難と悪条件を乗り越え1934(昭和9)年3月,16年もの歳月を費やし完成した。

熱海駅と函南駅の間の7,804mの複線型大トンネル。鹿島組は三島口からの西半分を担当したが,当時の技術では大崩落や止まらぬ湧水に幾度となく悩まされた。湧水には水抜坑を掘削して対処するも,20m弱の断層突破に4年8ヵ月を要するなど苦難を重ね,漸く貫通できたのは1933年8月のこと。その難工事ぶりは,当時「アメリカで出たトンネルの本を見ると必ず丹那の記事が数頁のって居る。非常に厄介な面倒だったトンネル」と記されるほど世界にも知れ渡った。「鉄道の鹿島」の名声を高め,後代に語り継がれる記念碑的事業である。

※石川久五「隧道のスピード」日本国有鉄道新橋工事事務所『丹那とんねる』16頁より

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図版:丹那トンネル開通前後の線路比較図

丹那トンネル開通前後の線路比較図

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