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昭和後期

第二次世界大戦後の復興から高度経済成長期を迎えた昭和後期。鉄道界も大きく変化していく。
1964年は日本にとって,大きなエポックメイキングとなった年で,東京オリンピック開幕を目前に
東海道新幹線東京~新大阪間が開通した。その後,1975年に新大阪から博多までの山陽新幹線,
1982年には東北新幹線大宮~盛岡間,上越新幹線大宮~新潟間,1985年東北新幹線上野~大宮間などが
開業した。当社は東海道新幹線の東京駅・有楽町駅の高架橋や新丹那トンネル,
同線の橋梁最長となる富士川橋梁,さらに,日本の主要4島を結ぶ国家プロジェクト瀬戸大橋,
青函トンネルなど,歴史に名を刻む数々のプロジェクトを手掛けた。

富士川橋梁

photo: Takuya Omura

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〈富士川橋梁〉 ~東海道新幹線で最長の橋梁~

富士川橋梁は東海道新幹線新富士駅(静岡県富士市)から静岡駅(静岡市葵区)間の富士川にかかる鉄道橋。

日本の大動脈とも言われる東海道新幹線の橋梁のうち,一番の長さを誇る。東京起点136.9kmから138.4kmに至る1,510mの工区のうち,実に1,374mもの長さである。1961(昭和36)年3月に着工,潜函基礎19基(径6m,深さ15m~17m)および橋台2基を建設し,翌年8月に完成した。富士山を背景に橋梁を通過する新幹線が撮影できることから,鉄道撮影スポットとして人気を博す。

当社は富士川橋梁の東隣,東京起点134.0kmから137.2km(富士川橋梁左岸の橋台手前300m)に至る富士工区についても,1962年6月に着工,1963年9月に完成させた。

図版:開通当時の富士川橋梁

開通当時の富士川橋梁

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瀬戸大橋

photo: Takuya Omura

〈南備讃瀬戸大橋〉 ~明治時代から提唱された歴史的国家プロジェクト~

瀬戸内海に架かり,本州(岡山県倉敷市)と四国(香川県坂出市)を結ぶ橋として1988年4月に開業した。道路鉄道併用橋で,完成当時としては世界最大級の規模を誇る。

当社JVは,ルートの最南端にあたる“南備讃瀬戸大橋”と,海峡部と四国側をつなぐ高さ70mの“番の州高架橋”およびルート終端部となる鉄道単独のコンクリート橋“北浦港橋梁”の施工を担当した。

その中でも圧巻なのは,巨大ケーソンにより施工した“アンカレイジ7A”。南備讃瀬戸大橋の吊橋の主ケーブルの張力約9万トンを支えるコンクリート構造物で,海面からの高さは75.5m,海中基礎が海面下50m。体積は約40万m3であり,霞が関ビルに匹敵するほどだったが,技術と英知を結集し,幾多の難工程を経て,無事完成させた。

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図版:7Aケーソンの曳航

7Aケーソンの曳航

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〈青函トンネル〉 ~昭和後期に開通した世紀の長大トンネル~

世紀の長大トンネル・青函トンネルは,津軽海峡に海底トンネルを通して本州と北海道を結ぶという壮大な国家プロジェクト。延長53.85km(うち海底部は23.3km),トンネルは水深が140mもある海のさらに100m下を通り,地質調査から数えて42年,着工から16年の歳月をかけた大工事であった。

当社JVは本州側の竜飛工区を担当。1972年着工以降,坑内外の激しい温度差などによる過酷な作業環境に耐え,幾度もの異常出水を克服し,1985年3月,海峡中央部で本坑が貫通した。その後,設備工事を経て1988年3月13日,一番列車が海底トンネルを颯爽とくぐり抜けた。

本工事で採用された工法はまさに多種多様で,当トンネルには世界約80ヵ国から見学者が訪れた。

図版:貫通して北海道の銘酒“北の誉”が本州方に運び込まれる

貫通して北海道の銘酒“北の誉”が本州方に運び込まれる

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