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幸せの建築術 人類の叡智を再考する 第3回 チチカカ湖 大地に縛られない住居

古来,人間は土地をめぐって争いを続けてきた。土地に縛られることなく,大地から遊離した建築があればと,多くの民族が思い続けてきたことだろう。それを可能にした住居が,遊牧民(ノマド)の人々の移動式住居である。中央アジア,アラビア半島,アフリカ北部から東欧のジプシーまで,彼らのライフスタイルは多くの人々のロマンをかき立ててきた。現実の彼らの生活は過酷なものだが,それでも都市に住む人々はノマドの自由さにあこがれたものだ。

かつてメタボリズム*全盛の1960年代,建築家の黒川紀章さんが,21世紀の都市と建築では,交通機関や通信の発展により,定住性よりも自由に動き回れる機動性(モビリティ)が重要になると説き,そこに住む人々をホモ・モーベンス(移動する人々)と呼んだ。黒川さんが設計した取り外し可能なカプセル型集合住宅「中銀カプセルタワービル」も,そこからの発想と言ってよい。

しかし,このライフスタイルは16〜7世紀に,すでに完全な形で南米ペルーのチチカカ湖で実現されていた。

*メタボリズムとは,生物学用語で「新陳代謝」。固定した建築や都市ではなく,空間や設備を取り替えながら新陳代謝するという発想にもとづく日本の建築運動。

図版:地図

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写真:チチカカ湖

湖上の浮島で生活を営む

チチカカ湖は,アンデス山中の標高3,810mにある淡水湖で,ペルー南部とボリビア西部にまたがり,琵琶湖の12倍以上もの広さをもつ。そのペルー側の街プーノに近い湖上に,ウル族といわれる人々が,人工の浮島をつくって暮らしている。湖に自生するトトラ(太いイグサ)の束を水面に大量に積み重ねて島をつくり,その上にやはりトトラでつくった家を建てている。浮島というとおりに,完全に大地から切り離されているが,土台はかなりの厚みがあるため揺れる感覚はあまりない。40を超える浮島が集まる一帯はウロス島と呼ばれ,現在も数百名が,おもに観光収入を財源にして生活を営んでいる。なかには学校や病院,スーパーマーケットまである。

なぜわざわざ陸地を離れて湖の水面に住み始めたのか。いちばんの理由は,インカや侵攻したスペインの攻撃から逃れるために,水上に移り始めたといわれる。敵の攻撃から身を守るためには,四方を水に囲まれているので,これほど防御に都合のいい場所はない。

それにチチカカ湖盆地の平均気温は,陸地が約0℃なのに対し,湖面では10℃ほどで過ごしやすい。標高は高いが熱帯に属しているため,年間を通して日照時間は比較的安定している。

浮島の上では農業も行われる。畑ではトトラの根が肥料となる。もちろん周囲は豊かな漁場であるから,釣りをすれば魚も捕れる。半農半漁がここでは成り立っているのだ。漁に用いるボートや移動用の舟,生活のあらゆるものがトトラでつくられる。

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写真:住居は広場を囲むように配置されている

住居は広場を囲むように配置されている

写真:交通手段は,トトラでできたバルサと呼ばれる舟

交通手段は,トトラでできたバルサと呼ばれる舟。舟首の動物の顔は,インカで神聖視されるピューマだそうだ

写真:湖で捕れたマス

湖で捕れたマス。島では半農半漁が成り立っている

写真:サトウキビを手にする筆者

サトウキビを手にする筆者

簡単にできる家と土地

浮島の広さは大小さまざま。家族構成,親戚縁者などにより,その島に住む人の数も異なる。各島には湖に開いた広場があり,それを囲むように住居が配置される。小さな住居の集合がつくり出すスケール感がいい。広場を中心にプライバシーもほどよく保たれている。

基本は個室の集合体であり,高さはせいぜい3mで基本的にワンルーム。どこも同じくらいの大きさで,棟ごとに寝室,食堂などと分かれている場合が多い。居住人口により住居の棟数も変わり,家族が増えれば棟を増やせばよい。家は丁寧につくられていて,地べたに座るとふかふかしていて座り心地がよく,しかも暖かい。

床を敷いて,壁にベニヤを張っている家もある。室内はそれぞれの住居で生活しやすいようにつくられている。内部には必要最小限のものがあるだけで,基本的にひとつの島の中で生活用具はシェアされている。

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地縁に縛られない生き方

日本では土地を購入し,そこに住居を建てるのは一生に一度の大仕事であるが,チチカカ湖の浮島や住居を見ていると考えさせられるものがある。土地も住居も,湖に生えているトトラで簡単につくり出せるし,それほどつくる手間がかかるものではない。

しかも浮島の上なので,地縁に縛られる不自由さはここにはない。もし家族や共同体の関係がぎくしゃくすれば,彼らはのこぎりで島をいとも簡単に切り裂き,そこから離れ,気の合う人間のいる別の島にくっつくこともできる。傑作なのは,奥さんが旦那に愛想を尽かしたら島を切り離し,別な男の島にくっつければよいそうだ。

もし村八分にされたら「はい,サヨウナラ」すればよい。大地に縛られないということはそういうことなのだ。ひたすら耐えるという生き方,選択肢はここにはない。新しいコミュニティのあり方,幸せの建築術へのヒントを与えてくれる。

究極の自然循環型生活

湖なので電気を引くのは難しいが,最近では太陽光発電ソーラーパネルがある。こういう場所にこそふさわしい技術といえよう。そしてインターネットで軽々と世界とつながることができる。チチカカ湖の住居は,軽くて移動性があり,さらにそこに情報通信が加わる。黒川さんが予言したホモ・モーベンスの姿がここにある。

この島と住居は20年ほどで役割を終える(伊勢神宮の式年遷宮と同じ周期だ)。その数年前から,隣にゆっくりと次の新しい浮島と住居をつくり,でき上がって移動すると,古いものはやがて湖底に沈み自然に還る。環境に優しい自然循環型の建築,集落であり,人工大地なのである。

写真:トトラでつくられた住居

トトラでつくられた住居

写真:ソーラーパネルが随所に置かれている

ソーラーパネルが随所に置かれている

写真:室内は,それぞれが生活しやすいように手を入れており,この家では床を張っている

室内は,それぞれが生活しやすいように手を入れており,この家では床を張っている

写真:女性はみんな同じような服装

女性はみんな同じような服装。ピンク,赤,青などの美しい原色が,トトラに映える

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古市流 地球の歩きかた

チチカカ湖
(Lake Titicaca)

面積:8,372km2(琵琶湖の約12倍)
最大水深:281m
淡水湖。湖面の60%がペルー領,40%がボリビア領

チチカカ湖・ウロス島へ行くには

ペルーの首都リマを経由するのが一般的。リマからまずクスコへ。チチカカ湖へはそこからバスで4,000m級の山が連なるアンデス山脈を行く。標高が上がっていくと山々の緑,樹木は消えて土肌だけの景色となる。

クスコから7時間のバスの旅はややきついが,刻々と変わるアンデスの景色は,車窓からじっと眺めていても飽きることがない。

インカ帝国の遺跡マチュピチュ

インカ帝国時代の首都クスコは,アンデス山脈中の標高3,400mにあり,現在もペルーで有数の都市のひとつである。クスコから北西にウルバンバ川を下っていくと,15世紀のインカ帝国の遺跡マチュピチュが,標高2,430mの山の尾根にある。その素晴らしさに,世界中を見てきた私もしばし言葉を失った。

ウルバンバ川に並行して走る高山鉄道で行くのがおすすめだ。車窓から見るウルバンバ渓谷と急流,両側にそびえたつ山々にも圧倒される。このマチュピチュやナスカなど,観光地の多いペルーは日本人に人気が高い。

グルメの国ペルー

ペルー料理は,インカなどの先住民やスペイン人,中国人,日本人などの移民の影響を受け,独自に発展したといわれる。ジャガイモ,トウモロコシ,トマトなど,温暖な気候が豊かな野菜や果物を育て,海の幸にも恵まれてきた。それら山海からの豊富で新鮮な素材を生かした料理が特徴で,南米でもグルメの国といわれるそうだ。リマに行くと, さまざまな種類のレストランに出会える。

南米ではどの国も良質なワインを産出する。ペルーも例外ではなく,どこのホテルやレストランでも,美味しいワインを楽しめる。

写真:リマのレストラン

リマのレストラン

古市徹雄(ふるいち・てつお)
建築家,都市計画家,元千葉工業大学教授。1948年生まれ。早稲田大学大学院修了後,丹下健三・都市・建築設計研究所に11年勤務。ナイジェリア新首都計画をはじめ,多くの海外作品や東京都庁舎を担当。1988年古市徹雄都市建築研究所設立後,公共建築を中心に設計活動を展開。2001~13年千葉工業大学教授を務め,ブータン,シリア調査などを行う。著書に『風・光・水・地・神のデザイン―世界の風土に叡知を求めて』(彰国社,2004年)『世界遺産の建築を見よう』(岩波ジュニア新書,2007年)ほか。

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