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橋の歴史物語

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  5-1 ブルックリン橋
 

ブルックリン橋

ブルックリン橋

アメリカの経済の中心であるニューヨークのマンハッタンとブルックリンを結ぶブルックリン橋が完成したのは1883年。中央径間486mです。 中央径間500mクラスの橋を架けるのは当時の技術では不可能と見られていましたが、ナイアガラ橋で実績のあるジョン・ローブリングは、平行線ケーブル(注1)を使った、吊り橋方式を提案、建設されることになりました。 ケーブルの材料としては、当時大量生産ができるようになった鋼(steel)を使い、主塔基礎の掘削には、ヨーロッパで開発されてまもない潜函工法(ニューマチック・ケーソン)(注2)を採用しています。途中事故で死亡したジョンを引き継いで息子のワシントンが橋を完成させました。世界で初めての長大吊り橋の建設にあたって、工事は難航し、着手から完成まで13年の年月がかかっています。

継ぎ目なしにイースト川を渡る柔軟なケーブル、ゴシック風の荘重な石積みの巨塔、その間を貫いて対岸に走る橋桁。ニューヨーク市民はその姿に技術と人間の偉大さを実感したといわれています。 このブルックリン橋の完成によって、吊り橋は広い水路を架ける安定した構造であることを実証しました。

 
 
 
  5-2 1930年代の長大吊り橋のブーム…アメリカ
 

ジョージ・ワシントン橋

ジョージ・ワシントン橋

ブルックリン橋の成功のあと、アメリカは長大吊り橋の建設が続き、中央径間の世界記録が書きかえられていきます。 1931年、ニューヨークのハドソン川に架けられたジョージ・ワシントン橋は中央径間1067m。それまでの記録を一挙に2倍に伸ばしました。この橋は、橋の荷重はケーブルで受けるという考え方のもとに設計されています。そのため、補剛トラスを最小限にし、橋の荷重も小さく、主塔もスリムになっています。 この橋は、1965年に従来の8車線に加えて6車線の橋桁が下段に追加されてダブルデッキとなり、合計14車線で1日に25万台の車の通行量をさばいています。 現在の軽やかで優美な吊り橋の形ができあがったのです。

サンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジ

サンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジ

1930年代はアメリカの大不況の最中でしたが、ルーズベルト大統領によるニューディール政策が長大橋の建設を促しました。 サンフランシスコでは、1933年に「サンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジ」と「ゴールデン・ゲート橋」が同時に着工され、前者が1936年、後者が1937年完成します。 サンフランシスコ・ベイブリッジは、中央径間704mの吊り橋が二つ連なる橋。ダブルデッキ構造で、上下段合わせて10車線。一日25万台の車を通し、サンフランシスコ・ベイエリアの大動脈となっています。

ゴールデン・ゲート橋

ゴールデン・ゲート橋

ゴールデン・ゲート橋は、中央径間1280m。1964年、ニューヨークにペラザノ・ナローズ橋が架けられるまでの27年間、世界一の座を保っています。 青い海を背にして建つ朱色の巨大な塔と優美なケーブルの曲線、白い波が織りなす色と形のコントラストが実に見事で、世界でもっとも美しい橋の一つとなっています。

 
 
 
  5-3 第2次世界大戦後の長大吊り橋…アメリカ、ヨーロッパ
 

(1)ペラザノ・ナローズ橋

ベラザノ・ナローズ橋

ベラザノ・ナローズ橋

世界ではじめての長大吊り橋、ブルックリン橋の登場以来、長大橋はアメリカの独壇場でした。その頂点を示すのが、1964年に完成したペラザノ・ナローズ橋なのです。この橋は、マンハッタン島の下流、ニューヨーク湾口のリッチモンドとブルックリンを結ぶ吊り橋で、中央径間1298m。1981年、イギリスのハンバー橋ができるまで、17年間、世界一の座を守りました。主塔は、凱旋門を思わせる形で力強く、美しい橋です。建設当初は6車線でしたが、現在はその下段に6車線が追加され、湾口を結ぶ大動脈になっています。

(2)ヨーロッパの長大吊り橋

フォース道路橋

フォース道路橋

4月25日橋

4月25日橋

ヨーロッパに最初に登場した長大吊り橋は、1964年、イギリス、スコットランドに架けられたフォース道路橋(span=1006m)です。 この橋はフォース鉄道橋のすぐ近くに架かっています。 続いて、ポルトガルの「4月25日橋」(span=1013m)、イギリスのセバーン橋(span=899m)が相次いで架けられました。

(3)吊り橋の形を変えたセバーン橋

セバーン橋

セバーン橋

第一ボスポラス橋

第一ボスポラス橋

ハンバー橋

ハンバー橋

セバーン橋には、橋桁を軽くする技術が採用されています。橋桁をトラス形式の補剛桁に代えて、飛行機の翼のような流線型断面をもつ箱桁としたのです。 これによって、橋桁が受ける風を上下面に流すことができ、使用する鋼材が少なくてすむ上、主塔もケーブルも細くなり、橋のデザインがスリムで軽やかな印象を与えます。建設コストも、同規模のフォース道路橋に比べて、3分の2に抑えられたそうです。以後、この形式は、イギリス型と呼ばれるようになり、1973年トルコのイスタンブールに架けられた第1ボスポラス橋(span=1074m)、1989年のスルタン・メハメット橋(第2ボスポラス橋、span=1090m)、そして、1981年ハンバー川の河口に架けられた、ハンバー橋(span=1410m)などがこの形式を採用しています。ハンバー橋は、明石海峡大橋ができるまで世界一の座を保ちました。

 本州四国連絡橋でも、西瀬戸自動車道の伯方・大島大橋、来島第一・第二・第三大橋がこのタイプの橋です。

 
 
 
  5-4 世界一の座を逃したグレート・ベルト東橋
  現在、世界第2位のグレートベルト東橋(デンマーク)は、中央径間1624mで、1997年に予定通り完成すると世界一になるはずでしたが、工期が遅れ、完成が明石海峡大橋のあとになったので世界一の座を逃してしまいました。  
 
 
  5-5 世界の長大吊り橋のベスト20
 
 
  5-6 世界最長橋のうつりかわり
 

世界最長橋の移り変わりをグラフにしてみました。

世界最長橋の移り変わり

世界最長橋の移り変わり

 
 
 

 

※このコンテンツは、2001年に開催されたインターネット博覧会出展時のアーカイブです。

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