ホーム > KAJIMAダイジェスト > March 2021:特集1 3.11 東日本大震災から10年[前編] > Site 1: 初動と応急復旧対応

Site 1: 初動と応急復旧対応

生活をつなぐための復旧工事

地震発生により仙台市内にある東北支店ビルも激しい揺れに襲われた。
社員は近くにある勾当台(こうとうだい)公園に一時避難。市内では電気・水道・ガスなどの
ライフラインがストップ,公共交通機関もマヒが続いた。全社をあげて支援体制を構築し,
本社・他支店からの派遣社員の協力を受けながら,得意先や行政などからの要請に対応。
産業や生活の基盤を一日も早く取り戻すための作業が昼夜を通して行われた。

全社支援体制の構築

地震発生後すぐに,東北支店では停電が起こった。約10分後,支店管理部に配備されていたMCA無線(業務用移動通信システム)に本社からの呼びかけがあり,状況を報告した。

発災後ただちに「東北支店震災対策本部」を支店2階に設置。支店長を本部長として,副支店長,支店次長,支店内各部署長により構成し,各部署の役割を定めた。

本社でも発災直後に「本社震災対策本部」を設置。また,関東・東京土木・東京建築・横浜の各支店も「震災対策本部」を設置した。本社震災対策本部では,大きな被害が想定された東北支店や関東支店に重点を置きながら情報収集に努めた。

図版:混乱と動揺の中で情報収集にあたる震災対策本部(3月12日)

混乱と動揺の中で情報収集にあたる震災対策本部
(3月12日)

図版:支店ビル入口には支援物資が運びこまれた

支店ビル入口には支援物資が運びこまれた

改ページ
図版:支店と本社を結んだ震災対策会議(3月24日)

支店と本社を結んだ震災対策会議(3月24日)

図版:MCA無線は電気が復旧し内線電話が使用可能となるまでの間,東北支店と本社,および他支店とを結ぶ唯一の通信手段となった

MCA無線は電気が復旧し内線電話が使用可能となるまでの間,東北支店と本社,および他支店とを結ぶ唯一の通信手段となった

得意先や行政への対応

発災当時,東北支店管下では主要な工事だけでも土木工事34件,建築工事81件の現場が稼働していた。このうち緊急対応を要する現場は,土木工事2件,建築工事4件を数えた。

施工中工事のほかに,既設工事案件や他社施工案件で調査要請を受けたものも含め,被災調査に着手した。派遣された土木系・建築系の社員も加わり,2週間で調査した件数は約1,190件に及んだ。

土木は東北新幹線や高速道路,女川原子力発電所,久慈石油備蓄基地など約260件に対応。建築は約900件の調査を行い,耐震性能に大きな問題があるもの約20件,大規模改修が必要なもの約60件を確認,軽微なものを含めると相当数となり,順次復旧工事に着手していった。

とくに交通インフラの復旧は被災地の救援のためにも急務だった。当社はJR東日本東北新幹線,NEXCO東日本東北・磐越・常磐の3自動車道などの復旧工事,一般道路の応急復旧工事などに対応した。

このほか,被災調査の結果を受け,エネルギー施設,生産施設,商業施設,公共施設など幅広い分野で応急復旧対応を担った。これらの対応のため,本社・他支店から東北支店への応援人員は延べ450人にのぼった。また,東北支店のほかにも多くの支店で応急復旧対応が行われた。

JR東日本東北新幹線復旧工事

(福島県郡山市~国見町,宮城県大和町)

郡山駅(福島県)南側から宮城・福島の県境までの高架橋区間約70kmにおける電化柱の取替え(約20本)と,傾いた電化柱の起こし(約60本)の工事を担当した。
余震によりほかにも新たな被害が生じたため復旧箇所が追加された。当社担当工区含め,懸命な作業が行われ,4月29日には東京〜新青森間の全線が復旧した。 [工期:2011年3月~2011年6月]

図版:根元が損傷して傾いた電化柱(3月18日)

根元が損傷して傾いた電化柱(3月18日)

図版:軌陸車を用いた高所作業(3月29日)

軌陸車を用いた高所作業(3月29日)

改ページ

NEXCO東日本常磐自動車道
いわき復旧工事

(福島県いわき市)

常磐自動車道いわき勿来(なこそ)ICの北約3kmで,切土法面が約4,000m3崩壊。福島県太平洋沿岸地域復興の重要路線であることから,早期復旧が求められた。12日早朝に現地調査を行い,関係機関と慎重な協議のうえ,安全かつ的確で迅速な復旧方法をすぐに決定した。着手から48時間で作業を完了し,14日の午後4時に通行を再開した。

図版:法面復旧作業の様子

法面復旧作業の様子

図版:復旧完了

復旧完了

日本製紙石巻工場

(宮城県石巻市)

日本製紙石巻工場は日本製紙グループの基幹工場。印刷用紙の単独工場としては世界トップレベルの生産能力を誇り,地域産業を支えてきた。
津波により構内全域が浸水し操業が停止,構内には大量のがれきや土砂が堆積した。
復旧工事を担当した当社は4月末から現地に乗り込み,排水設備建屋・電気室などのインフラや生産建屋の復旧工事を行った。
[工期:2011年4月~2013年3月]

図版:最大5mの津波による甚大な被害(4月3日)

最大5mの津波による甚大な被害(4月3日)

図版:応急復旧した後の2011年8月の火入れ式。煙突から白煙が昇る

応急復旧した後の2011年8月の火入れ式。
煙突から白煙が昇る

図版:復旧後の工場の様子(2013年2月5日)

復旧後の工場の様子(2013年2月5日)

改ページ
特別寄稿

発災当時の様子と
初動のポイント

前東北支店長
赤沼聖吾 顧問

震災対応初期段階でポイントとなったと考えている点について述べてみたい。

発震後,最先端の通信網がことごとく途絶えるなか,旧来のMCA無線※1が本社とつながり,連絡網が辛うじて確保された。翌日の支援物資第1号を可能にし,10日間で全社からトラック約200台分が届き,その後も続いた。当社の凄い機動力であった。これは社員の士気にも大きな影響を与えた。私も支店長として,目の前の緊急業務に集中することができた。

支店の震災対策本部は,2階に設け,情報を持つ社員は自由に入れるオープンなものにした。得意先の要望に素早く応えるため,社員の動き・やる気にブレーキをかけないため,即断即決していった。得意先でなくても断らない方針にしていたため,対応した案件は調査工事約1,500件,応急復旧工事約1,000件にのぼった。中小工事では,複数人員で複数現場を担当し,連携を強めながら交代で休みを取れるようにしていった。

3月後半から,次に乗り越えるのは「がれき処理」と考え,震災・水害経験者の派遣を受け,対策本部会議後勉強会をはじめた。その後,環境本部・土木管理本部も加わり,大きな力となっていった。未曽有の「大規模災害廃棄物処理業務」を高評価で全うできたのも,鹿島の総合力であった。

当時,私は日本建設業連合会の東北支部長も拝命していたが,当初から復旧・復興事業は,いかに民間の力を上流側から活用するかが鍵だと考え,東北地方整備局,地方自治体,都市再生機構(UR)など発注者側と意見を交わしていた。法の整備が不充分で,民間活用には壁があり,実現には時間を要した。復興道路での「事業促進PPP方式」※2,復興まちづくりでの「CM活用設計・施工一括発注方式」※3が新たな仕組みとなった。CM方式は,その後建築工事にも採用され,コスト・工期など大きなメリットを生んだ。新方式でも当社が先行していったが,リスクの見極めを含め,当社の積極性・柔軟性の表れであったと考えている。

※1 MCA無線
MCA(Multi-Channel Access)無線は,トラックやタクシーなどで使われている業務用無線。ほかの通信網から独立しているため,災害時にも安定して通信することができる。当社では阪神・淡路大震災の経験から本支店に数台ずつ配備していた

※2 事業促進PPP
(Public Private Partnership)方式

調査・設計段階から発注関係事務の一部を民間に委託する方式。事業監理,調査設計,用地,施工といった専門知識を持つ民間技術者チームが,通常は発注者が単独で行う施工前の各種協議調整などの業務を発注者と一体で推進する方式

※3 CM活用設計・施工一括発注方式
CM(Construction Management)とは,発注者の下でコンストラクション・マネージャー(CMR)が設計・発注・施工の各段階において,各種のマネジメント業務を行うもの。今回は市町村からURが計画・事業を受託,URから当社がコンストラクション・マネージャー業務を受託し設計・施工一括で行った

ContentsMarch 2021

ホーム > KAJIMAダイジェスト > March 2021:特集1 3.11 東日本大震災から10年[前編] > Site 1: 初動と応急復旧対応

ページの先頭へ