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Site 4: 復旧・復興事業

各所で進行する復興工事に総力をあげて取り組む

震災からの応急復旧対応に続き,各地では復興工事が進められた。
当社は,交通インフラ,防災の強化,まちづくり事業,そのほか生活関連施設や
産業復興など,多方面にわたる分野での復旧・復興事業を同時進行してきた。
そこではさまざまな合理化工法やICTを活用した新技術の開発,大規模プロジェクトでは
CM方式などの新たなスキームを導入するなど,早期の復興推進を担ってきた。

交通インフラの再整備

震災復興の主盤となる道路,トンネル,橋梁,鉄道路線など交通インフラの再整備は,スピードと強靭化が求められた。被災地各所で同時に進行している復興工事により労務や資機材の供給がひっ迫するなか,当社はこれまでの経験やノウハウ,自動化などの新技術を開発・適用するなど,総力をあげて工事を推進した。

太平洋沿岸の国道45号は被災・寸断されたが,これと並行して部分的に供用していた三陸沿岸道路(宮城・岩手・青森3県の太平洋沿岸を結ぶ延長359kmの自動車専用道路)は,津波浸水区間を避けて整備していたため,発災後も国道45号の迂回路や緊急輸送路として大きな役割を果たした。国は,当時約4割しか供用されていなかった三陸沿岸道路の整備を「復興道路」として,また,太平洋沿岸地域と東北自動車道をつなぐ横断軸強化を図る道路整備を「復興支援道路」として震災復興のリーディングプロジェクトに位置づけた。当社はこのうち岩手県4工事,宮城県1工事,福島県1工事を担当した。

一部区間を除いて無料で通行できるこの全長570kmの道路網は,2020年12月までに約8割が開通し,2021年度中の全線開通を目指している。これにより観光や地域産業の振興,物流の効率化,医療支援など多方面での効果が期待されている。

また,震災による被害で長期運休を余儀なくされた鉄道路線は,福島第一原子力発電所の事故の影響で一部不通となっていたJR常磐線が2020年3月に全線運転再開されたことで,公共交通機関としてはすべて復旧した。当社もJR仙石線やJR常磐線などの復旧工事に携わった。

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図版:竣工した新区界トンネル(2019年8月)

竣工した新区界トンネル(2019年8月)

photo: 西山芳一

復興道路と復興支援道路の
当社担当工事

図版:復興道路と復興支援道路の当社担当工事
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津波防災の強化

東日本大震災では,太平洋沿岸に壁となって押し寄せた想定をはるかに超える津波により多くの尊い命が失われ,北海道から関東にかけて各地に甚大な被害をもたらした。被災地復興に伴うインフラ再構築にあたっては,最大クラスの津波に対してハード整備とソフト対策を組み合わせた多重防御により,災害時の被害を最小化する「減災」の考え方が新たに示され,防潮堤や水門の構築・見直しなど,地域の状況に応じた津波防災地域づくりが推進された。

当社は,岩手県陸前高田市の高田地区における防潮堤や福島県いわき市の夏井地区海岸堤防,宮城県名取市の貞山堀防潮水門などの施工を担当。岩手県宮古市では,現在も閉伊川水門の建設が続いている。

新区界トンネル工事

(岩手県宮古市~盛岡市)

宮古盛岡横断道路は,岩手県宮古市と盛岡市を結ぶ全長約66kmの自動車専用道路で,復興支援道路として事業化され建設が進められた。当社JVは,国道106号の最大の難所といわれた区界峠を貫く全長約5kmの「新区界トンネル工事」を担当した。
また,当社は新区界トンネルの宮古側に位置する「去石こ線橋」も担当。両工事を含む区界~簗川間約8kmの「区界道路」は2020年12月に開通した。 [工期:2014年2月~2019年8月]

図版:積雪が最大1.5mにも及んだ坑口の様子(2016年1月)

積雪が最大1.5mにも及んだ坑口の様子(2016年1月)

図版:「区界道路」の開通式(2020年12月)

「区界道路」の開通式(2020年12月)

JR常磐線復旧工事

(宮城県亘理郡山元町)

JR常磐線は,東京・日暮里~宮城県・岩沼をつなぐ鉄道路線。津波の影響で福島県と宮城県の県境・相馬駅~浜吉田駅間が不通となった。早期開通を目指して駒ケ嶺駅~浜吉田駅間の復旧工事が行われ,そのうち新地駅~浜吉田駅間の約14.6kmの区間は,津波被害を回避するため内陸側に移設する工事となった。当社は,移設区間となる新・坂元駅を含む坂元工区(約3.4km)を担当した。
[工期:2014年5月~2016年7月]

図版:完成した「新・坂元駅」周辺(2016年7月)

完成した「新・坂元駅」周辺(2016年7月)

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気仙沼湾横断橋
小々汐地区下部工工事

(宮城県気仙沼市)

当社JVは,気仙沼湾を横断する「気仙沼湾横断橋」の下部工となる海中橋脚1基と,陸上部の橋台1基の施工を担当した。海中に橋脚を構築する三陸沿岸道路唯一の工事で,橋脚は「トラス型支保工」を採用,一括架設を行った。完成した気仙沼湾横断橋は,東北地方最大の斜張橋であり、復興のシンボルともなっている。
[工期:2015年4月~2019年3月]

図版:トラス型支保工撤去の様子(2018年10月)

トラス型支保工撤去の様子(2018年10月)

図版:上部工も完成した気仙沼湾横断橋を含む区間が今年3月6日に開通する予定(2021年1月)

上部工も完成した気仙沼湾横断橋を含む区間が今年3月6日に開通する予定(2021年1月)
photo: 大村拓也

陸前高田地区海岸災害復旧工事

(岩手県陸前高田市)

今月号の表紙にもなっている陸前高田市の高田地区海岸の災害復旧工事は,震災から2年後の2013年から始まった。当時,被災地では深刻な資材不足に見舞われ,石材と再生砕石が不足し全国から海上輸送で調達。地盤改良用の杭は約2万6,000本,現地発生土を利用した盛土は46万m3,その上に被覆されたコンクリートブロックは約5万個に及んだ。海側の第1線堤は震災前と同じ海抜3mに,陸側の第2線堤は震災前の5.5mに対して12.5mと2倍以上の高さに整備。続いて,第1線提に沿って「砂浜再生工事」も担当した。
[工期:2013年3月~2016年12月]

図版:海上輸送で資材を調達するための荷揚げ用仮設桟橋2基(のちに撤去)と海側の第1線提の根固め工がほぼ完成した様子(2015年2月)

海上輸送で資材を調達するための荷揚げ用仮設桟橋2基(のちに撤去)と海側の第1線提の根固め工がほぼ完成した様子
(2015年2月)

図版:砂浜再生工事では,施工延長1kmの砂浜を復旧した(2019年3月)

砂浜再生工事では,施工延長1kmの砂浜を復旧した
(2019年3月)

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技術Column

新区界トンネルに日本初の
4ブームフルオートコンピュータジャンボ導入

新区界トンネル工事には,日本初となる「4ブームフルオートコンピュータジャンボ」を導入し,本坑掘削に適用した。同機が持つフルオート削孔機能により,4つのブームによる削孔作業を専任オペレータ1名で実現。最新鋭ドリフタ(削孔装置)との相乗効果によって,発破の削孔時間を従来に比べて2分の1以下に低減し,余掘りも40%低減可能となった。このマシンは国道45号白井地区道路工事「白井トンネル」にも適用され,高速施工と省人化に対応する自動化施工の実績を重ねた。

図版:4ブームフルオートコンピュータジャンボでの削孔の様子(2016年7月)

4ブームフルオートコンピュータジャンボでの
削孔の様子(2016年7月)

復興まちづくり事業

被災地では避難住民の帰還に向けた新たなまちづくりへの着手が急がれた。被災状況や復興の方向性は各地域さまざまであることから,国は「東日本大震災復興特別区域法」(2011年12月施行)に基づく復興特別区域制度を創設,地域ごとの実態に即した事業制度が適用できる体制を整えた。これにより被災各地では民間の力などを活用しながら独自の手法を採り入れた復興まちづくりが進められた。

当社では2012年8月,開発事業本部プロジェクト開発部が東北支店内に「東北復興開発事務所」を設置,開発事業担当者が常駐してさまざまな開発スキームによる土地区画整備事業や産業復興計画などへの事業参画を積極的に推進した。

復興まちづくり事業では早期着工・完了が重要となることから,そのための新しいスキームが導入された。

「CM方式」は,発注者が受注者へ設計・施工一括での工事,マネジメント業務の一切を委託して業務の効率化を図ろうとするものだ。女川まちづくり事業ではCM方式に加え,着工可能なエリアから順次施工・引渡しを行う「ファストトラック方式」や,事業の透明性を確保するためのコスト管理手法である「オープンブック方式」などが初めて採用された。これらの試みは“おながわ方式”と呼ばれ,宮古市田老地区震災復興事業(岩手県)など,ほかの被災地における復興まちづくりのモデルとなった。

また,蒲生北部被災市街地復興土地区画整理事業(仙台市宮城野区)では,民間企業に事業の相当部分を一括して業務委託する「包括委託方式」という新たな発注方式が採用された。これら復興まちづくり事業では,これまで当社が培ってきた開発事業のノウハウとともに,当社の総合力が十分に発揮されたものとなった。

図版:女川の中心市街地の様子

女川の中心市街地の様子。手前のJR女川駅から女川湾に向かい,商業施設の建ち並ぶプロムナードが続く(2020年3月)

特別Message

誇りと愛着の持てる
暮らしやすい復興まちづくり

図版:須田善明 女川町長

須田善明 女川町長

わがまち女川町は,津波により町内の住宅7割が流失,人口のおよそ1割の方が尊い生命を失ってしまうという未曽有の災害に見舞われました。発災の翌朝,まちにたどり着いた私は,見渡すかぎりがれきの山と化したその姿を目にし,まず残った町民の命を明日へつなぐ,そのためには何ができるか,それだけを考えていました。

復興は一日も早く町民の生活を取り戻すことだけでなく,どのようなまちにしていくのかという将来を見据えることも重要です。復興プランの具体化にあたっては,世代を越えて多くの町民に立案作業へ直接かかわっていただきました。

実際に出来上がった一つひとつの場所には,希望を込めたまちの復興を次の世代へと引き継いでいくのだという町民みんなの熱い思いや願いが込められています。

復興にあたっては,まちを丸ごと再生しなければならない女川町のような場合,人的・物的資源の最適配置や効率的な工事の配分・調整など,統括して全体をマネジメントするCM方式での事業手法が最適だと考えました。そこで女川町は,復旧・復興支援などさまざまな面から検討した結果,URとパートナーシップ協定を結び,URはCMRとして鹿島JVに一括発注することになりました。

鹿島JVには町民の思いを受け止め,まちとともにワンチームとなって事に挑み,復興を成し遂げていただいたと感じています。現場で尽力されたすべての方々への感謝を込め,女川駅前に記念碑を建てました。7年半という長期にわたって女川町の復興と発展のために力を尽してくれた方々,みなさんの汗が染み込んだ女川の地はみなさんがつくり上げたものだと誇りを持っていただきたいと思います。

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コロナ禍で大変な時期でしたが,今年の元旦も女川湾から昇る初日の出を見に多くの人が集まりました。あの日から10年,女川町の復興はこれからの日々のためにあったとも言えよう。次の10年へ,女川町は,さらなるまちづくりに向かいます。

図版:JR女川駅前に建てられた記念碑

JR女川駅前に建てられた記念碑

住宅・生活関連施設の建設や産業復興

被災各地で新たなまちづくりが進行するなか,当社は住宅,公共施設,学校,病院など,人々の生活を支える施設の建設に対応した。

また,被災者の生活再建のため地域産業の復興が急がれた。とくに三陸沿岸地域では,被災した魚市場や水産加工工場など多くの工事を担当した。当社では,設計・施工による施設建設をはじめ,CM方式やPFIなどのスキームも導入しながら,迅速な事業推進を図った。

除染や汚染廃棄物処理が必要となった福島県は,他県の被災地と比較して本格復興までに相当の時間を要した。当社は被災地を有効活用する震災復興事業や,住民の生活に不可欠となる諸施設の建設などを進めた。

女川まちづくり事業

(宮城県牡鹿郡女川町)

女川町の復興では,女川町と都市再生機構(UR)との間で「女川町復興まちづくりパートナーシップ協定」を締結。その後URと当社JVで「女川町震災復興事業の工事施工等に関する一体的業務」のCM方式による協定を結び,当社JVがCMRとしてまちづくり全体の総合的なマネジメントを行った。
工事は,中心市街地約220haと離半島部14地区約55haに及ぶ各地区の造成,上下水道や道路などのインフラ整備が中心となった。
当社はほかに,被害を受けた女川町地方卸売市場を次世代型魚市場とする再整備や女川駅北地区に災害公営住宅「大原住宅」の建設などを担った。 [工期:2012年10月~2020年9月]

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石巻市水産物地方卸売市場
石巻売場

(宮城県石巻市)

震災前水揚げ量全国3位を誇った石巻市は旧石巻魚市場の再建にCM方式を導入。CMRの当社は専門工事業者の選定やオープンブック方式でのコスト開示,周辺関連工事との調整業務を担った。これは公共建築物では国内初となる試みで「石巻型アットリスクCM方式」と呼ばれた。 [工期:2013年8月~2016年3月]

図版:石巻市水産物地方卸売市場 石巻売場

イーストピアみやこ

(岩手県宮古市)

津波で2階まで浸水した宮古市役所本庁舎と,全壊した保健センターおよび市民交流センターの機能を引き継いだ複合施設。災害や復興の歩みを紹介する「防災プラザ」は,震災伝承ネットワーク協議会により震災伝承施設として登録された。
[工期:2016年9月~2018年7月]

図版:イーストピアみやこ

小峰城跡石垣復旧工事

(福島県白河市)

国の史跡に指定されている「小峰城跡」は,地震により石垣約1,600m2,7,000個あまりの石が崩落した。修復は崩落した石材を昔ながらの伝統的な工法で元の位置に忠実に復元することが求められた。白河のシンボルである小峰城の長い歴史の1ページに携わる工事となった。
[工期:2013年9月~2018年7月]

図版:小峰城跡石垣復旧工事
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東洋学園児童部

(福島県いわき市)

福島県福祉事業協会は富岡町を中心に相双地区で指定障害児および障害者のための施設を運営してきた。震災後ほとんどの施設が避難区域内となり,当社は指定障害児が入所する応急仮設施設となる「東洋学園児童部」の施工を担った。
[工期:2017年3月~2018年3月]

図版:東洋学園児童部

大熊町新庁舎

(福島県双葉郡大熊町)

福島第一原子力発電所事故により全町民が避難生活を余儀なくされた大熊町。大熊町新庁舎は,2019年4月に約8年ぶりに一部地域で帰還が可能となった町を見守る復興のシンボルとして,多くの人に親しまれている。
[工期:2018年5月~2019年3月]

図版:大熊町新庁舎
あのときを振り返って

強い使命感で成し遂げる

図版:佐々木正充 所長
福島建築工事事務所
岡野春彦 所長
(当時・日本製紙石巻工場復興対策工事,
石巻市水産物地方卸売市場石巻売場建設事業,
女川町地方卸売市場荷捌場・管理棟建設工事,
大熊町新庁舎整備建設工事などの所長)

被災から5ヵ月後,初動で対応した石巻のシンボルである日本製紙石巻工場の煙突から白い煙が昇った瞬間の感動は忘れられません。部分引渡しをした新しい石巻魚市場で4年ぶりの開催となった2014年「いしのまき大漁まつり」での,多くの人々の笑顔と賑わいが今も目に焼き付いています。復興工事に携わると人々の早期復旧への切なる願いを直に感じ取れます。その思いを叶えるため工事関係者すべてが強い使命感を持って従事しています。その使命感は,さまざまな障害を乗り越えて工期内に完了し早期復興に寄与するとともに,震災後携わったすべての復興工事を全工期無事故無災害で完工させたことに表れていると思います。

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